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三嶋大社 神の鹿はどこから来た?

NHK静岡放送局
  • 2023年03月28日

徳川家康や源頼朝などから厚い信仰を集めた、静岡県三島市の三嶋大社
3月22日、三嶋大社である神事が行われました。神職たちが本殿で祝詞を奏上した後、お供え物の餅やにんじんを持って向かった先にいたのは・・・

およそ40頭の鹿たちです。

三嶋大社の境内にある神鹿園。ここで毎年3月22日に執り行われるのは、鹿が来たことを記念する神事・神鹿記念祭です。この日は訪れた人たちも参加して、鹿に餅やにんじんをあげていました。

三嶋大社の鹿はどこから来た?

地元の人や参拝客から親しまれてきた鹿たち。もともとはどこから来たのか知っていますか?

三嶋大社・権禰宜 土佐谷允(とさやまこと)さん

(もともと鹿たちは)大正年間に奈良のほうからやってきました

三嶋大社の鹿のルーツは、奈良の鹿
奈良市の奈良公園周辺では、およそ1200頭の鹿が暮らしています。奈良では昔から、鹿を神の使いとして大切にしてきました。

奈良公園に隣接する春日大社には、次のような言い伝えが残っています。

春日大社・広報課 秋田真吾さん

奈良時代のはじめ、平城京遷都のころに、茨城県鹿島からタケミカヅチノミコト様という神様が、白い鹿に乗って奈良の地にやってきたという言い伝えがあります。タケミカヅチノミコト様がお乗りになった鹿が、奈良の鹿のルーツになっています

『鹿島立神影図』

鹿を迎えた背景にあるのは100年前の三島の町事情

神様の鹿の子孫である、奈良の鹿たち。
そんな由緒ある鹿が、なぜ三嶋大社に来ることになったのでしょうか。

秘密を解き明かす貴重な資料が、三嶋大社の近くで見つかりました。

三島市に住む、米山良博さん。
米山さんの祖父と父は、かつて三嶋大社の前で呉服屋を営んでいました。

米山良博さん

これが神鹿の資料が入っていた箱です。家の片付けの中で偶然出てきました

12年ほど前、店舗だった建物を整理していて見つけた箱。開けてみると、米山さんの祖父が残した書物が入っていました。そこには、奈良から鹿を迎えることになった当時のいきさつが書かれていました。

箱には「神鹿関係 大正八年」と書かれている
箱の中に入っていた資料

今からおよそ100年前の大正時代、三島市周辺では鉄道のトンネルの工事が始まります。この丹那トンネルは、東海道本線の熱海駅と函南駅を結ぶトンネルで、開通後には現在の三島駅も建設されるなど、三島の町に大きな恩恵をもたらしました。

また同じ頃、陸軍の野戦重砲兵第2・第3連隊が三島に移設され、合わせて陸軍病院も開設されるなど、軍の拠点がつくられました。こうしたことから当時の三島では、町の発展に対して大きな期待が寄せられていました。

絵はがき『野戦重砲兵第二連隊馬匹手入』

そうした中、立ち上がったのが米山さんの祖父をはじめとする地元の呉服商たち。奈良の鹿を三嶋大社に奉納し、盛り上がりに一役買いたいと名乗り出たのです。呉服商の組合が中心となって、鹿を譲り受けるための交渉や資金の調達を行ったといいます。

米山良博さん

取引先の東京日本橋の呉服問屋の方とか、名古屋や浜松の呉服問屋の方に直接訪問して、三島の町が今後発展するからぜひ寄付をお願いしたいと

そして、大正8年3月22日。神の使いである奈良の鹿8頭が三嶋大社にやってきました。

当時の呉服商と鹿たち

米山良博さん

三島の商業の自信の表れというか、景気がどんどんよくなってきた時代ですから、呉服商たちも力をつけてきた。だからもっと大きくやろうと、そういう気概があったと思います。すごいことを計画してくれたんだという気がします

鹿の健康を願う神鹿記念祭は、ことしで103回目を数えます。
地元の人たちに大切にされてきた鹿は、今ではおよそ40頭にまで増えました。

三嶋大社・権禰宜 土佐谷允(とさやまこと)さん

地域の皆さんが心和んでもらえる存在なので、末永く健康でいてほしいです

神の使いの血を引く鹿たち。その姿は、町の発展を願う先人たちの思いを今に伝えています。

【動画】2023年3月22日放送

【漫画】

  • 前田詠里

    静岡局・カメラマン

    前田詠里

    2019年入局。静岡が初任地。趣味は書道と漫画制作です。

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