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被災地からの声 キャスター津田より 「福島県 南相馬市」

2024年4月13日放送 
  • 2024年04月15日

 

 いつもご覧いただき、ありがとうございます。今年度も番組をよろしくお願いいたします。
 今回は、福島県南相馬(みなみそうま)市の声です。南相馬市は人口が56000あまりで、鹿島(かしま)区、原町(はらまち)区、小高(おだか)区の3つで構成されています。震災では津波で636人が犠牲になり(死亡者数は福島県の自治体で最多)、1200棟以上の住宅が全壊しました。また、原発事故のため小高区と原町区の一部には国から避難指示が出され、小高区では全住民が故郷を離れました(避難指示の解除は2016年7月)。津波犠牲者の他にも、原発事故も含めた災害関連死が520人に上ります。
 

 はじめに、鹿島区に住む会社員、鈴木正男(すずき・まさお)さん(52)を訪ねました。鈴木さんは、千年以上続く伝統行事『相馬野馬追(そうまのまおい)』に20年以上参加していて、共同利用の小屋で自分の馬を飼育し、今は野馬追に向けて、毎朝、砂浜で馬の調教をしています。4人の子どものうち、末娘の大学生・麻也(まや)さん(18)が、7年前から一緒に野馬追に参加しているそうです。鈴木さんは津波で実家が流され、両親が亡くなりました。
 「両親は野馬追を必ず見に来ていましたし、震災の次の年は、参加を控えて野馬追に出ない人もいたんですけど、逆に自分は頑張って出て、親父とお袋の写真を首に掛けて一緒に出陣しました。やっぱり馬に集中すると他のことを考えないので、その時は両親のことも忘れる…訳ではないですけど、馬がいるのは救いですね。国の重要無形文化財なので、参加できるのをありがたく思って、長く続けたいです」

 

 今年、相馬野馬追は明治以来の慣習を見直し、猛暑対策のため、7月開催から5月開催に変更しました。数百騎の騎馬武者が旗を取り合う神旗(しんき)争奪戦や、勇壮な甲冑(かっちゅう)競馬など、相馬野馬追は震災後の困難に立ち向かう市民にとって、大きな心の支えになってきました。
 

 次に、同じ鹿島区に夫婦で暮らす、阿部清(あべ・きよし)さん(74)を訪ねました。地元の烏崎(からすざき)集落は、津波で9割の住宅が被災し、阿部さんも仮設住宅に入居しました。仮設で自治会長を務めたあと、震災から4年後に自宅を再建したそうです。阿部さんは震災直後、職場から自宅に向かう途中、若い男性が自分の車に向かって両手を大きく振るのを見て津波に気づき、何とか逃げて命拾いしたそうです。のちに分かったことですが、その男性は地元紙の記者で、津波の犠牲になりました。
 「何で手を振っているんだと思って、一瞬、車を止めたの。その時、海を背にしていた若い人の後ろに、青黒い山みたいなものが高くなっているのが見えて…。何であの時、行って車に乗せなかったのか、もし乗せて奇跡的にどこかに寄せられれば、助かったかもしれないなと…。昨日のことを忘れても、そのことだけは忘れたことはないな。もし助かったら、今ごろ結婚して子どももいたよな…と思ったりするしね。ここまで生きたのも、あの時の青年のおかげだと思った日もあったし、彼の分まで生きて、元気なうちは慰霊祭とかに行って、線香をあげたいなと思っています」
 阿部さんは、“あの若者は、こっちに来てはいけないと伝えてくれたのだ”と信じてきました。他人の犠牲のおかげで自分の命があるという、ある種の罪悪感は今も消えず、うなされることもあるそうです。

 

その後、小高区に行きました。福島第一原発から20㎞圏内の小高区には、5年あまりの間、全住民に避難指示が出ていました。もともと12000以上だった人口は震災を機に半減し、そのうち実際に小高区内に住んでいるのは6割にあたる約3800人です。4割は今も避難先で暮らしており、3800人という居住者の数は、震災前と比べると30%に過ぎず、ほぼ半分は65歳以上です。
 

 小高区ではまず、去年7月にオープンしたカフェを訪ねました。店主の森山貴士(もりやま・たかし)さん(37)は大阪出身で、東京のIT企業に勤めていました。2014年、IT関連のイベントで南相馬市の同業者と知り合い、市の現状を知るとともに何度か実際に訪問して、移住を決意したそうです。移住後に今の奥さんと出会って結婚し、5歳になる娘もいます。森山さんのカフェは、地元の人が30年以上愛してきた“青葉寿司”という店を改装しました(寿司店は震災を機に閉店)。小高区の活性化を目的にまちづくり団体も設立し、住民同士の交流を増やそうと、様々なイベントを開催しています。
 「避難を余儀なくされたものの地元に戻れるようになって、でも元の小高とは違う、どうしていいかわからないという状況で、“こんなはずじゃなかったのに”という悔しさだけが残ると感じる方もいて、そういう人たちに対してできることが、僕のやってきたことの中であるのかなと思って、移住を決めました。イベントのチラシを刷っては一軒一軒訪問して、“来てね”ってやっていると、1回や2回ではなかなか来てくれないですけど、3回、4回と回っていると、“こいつ、また来たな。1回ぐらい行ってやるか”って来てくれて…。そういう人たちが楽しくなってきて、今度は自分が主催するからって言って、私を招待してくれるようになればゴールだと思います」
 

 また小高区では、140㎞離れた避難先の喜多方(きたかたし)市から、去年帰還した男性を訪ねました。12年前にも取材した、この道50年以上の家具職人、板倉好幸(いたくら・よしゆき)さん(71)です。以前会ったのは、喜多方市に新工場を構え、家具の製造や修理を再開した頃で、帰還の思いは強いものの、年齢のことを考えて小高区での工場再建は断念しました。当時はこう言いました。
 「ここ(喜多方)でやるということも、私自身では本当の復興だと思っています。自分の地元でやることだけが復興ではないし、ここでやっても、どこか自分の町につながってくると確信しています」
 あれから12年…。板倉さんは、ともに働いてきた職人の引退を機に、喜多方市の工場を閉めて、故郷に家を建てて帰還しました。板倉さんは今、神楽の継承を通して昔の姿を取り戻そうと考えています。
 「12年の空白は簡単には埋められないだろうね。家の周りもすっかり建物がなくなって、風通しがよくなったと思うけど、やっぱりつらいな。帰ってきて、本当に町の雰囲気が重いんですよ。何をするにも今までと同じにはいかないしね。神楽も震災のせいで無くなっては大変なので、できれば新しく来た移住者に何とか協力してもらって、つながりを保っていきたいと思っています。今の状況をちゃんと把握して、自分に何ができるんだろうと考えながら、進まなきゃいけないんじゃないかって思うよね」

 

 現在の小高区は、生鮮食品を扱うスーパーや小高交流センター、食堂や店、コンビニ、ホームセンター、常勤医のいる診療所、銀行等々、あらゆる生活機能が一新されました。小中学校の他に、震災後は小高産業技術高校や認定こども園も新設されました。様々な遊具を備えた屋内型の子どもの遊び場も新たな人気スポットで、区役所には移住の相談や情報発信、空き家の紹介などを担当する課もあります。また市は、小高区を園芸作物の産地にしようと、大型ハウス43棟を建設しました。確かに、昔の姿が消え失せたのは寂しいですが、今後は帰還者と移住者が交じり合って、新しい町が出来上がっていきます。
 

 最後に鹿島区に戻り、9年前に取材した遠藤亜美(えんどう・あみ)さん(26)を再び訪ねました。以前取材した時は相馬農業高校に通う高校生で、農業クラブのリーダーを務めていました。一家は隣町の仮設住宅へ自主避難していて、作付制限が続いていたため、5代続いた農業も再開できずにいました。高校生だった遠藤さんは、当時、こう言いました。
 「放射線で田んぼが作れなくなって、夏は水の中に苗があって…という風景が無くなったのが寂しくて、震災後から将来は農業をやりたいと思いました。作ったコメを買ってもらえるか不安ですけど、おいしいと思ったらみんな買っていくと思うので、まずはおいしいコメ作りをしたいと思います」
 その後、遠藤さんは農業短大を卒業し、6年前に就農しました。代替わりして父から農業を受け継ぎ、実家の農地でコメや野菜を作っています。愛用のトラクターも新車で購入し、農家の集まりにも参加しますが、当然ながら農家仲間には遠藤さんの年齢の女性はいません。そんな彼女を一緒に暮らす両親や、すでに結婚した2人の妹も頻繁に手伝い、農作業を支えています。
 「この辺りも作っていない田んぼはあるんですけど、だんだんと増えているので、昔の田園風景に戻ってきているのかなと思います。田植えとか稲刈りとなると、家族みんなで楽しく農作業ができる、遠藤家の一大行事みたいな感じで、お昼におばあちゃんの田舎料理を囲んで食べるのが楽しくて、やっぱりそれは田んぼを再開しないと見られない光景でしたね。まだちょっと怖いなと思うところをお父さんが手伝ってくれたりしているので、もう一歩、1人で何でもかんでもできるようになりたいですね」

 

 以前会った時、“農業をやりたい”と言ってもまだ高校生だから、これから夢もどんどん変わっていくだろうなと思っていました。ところが本当に農家になっていて、とても驚きました。彼女は最後、農家として成長した姿を見てほしいと、“10年後にまた取材に来てください”とスタッフに言いました。

【見逃した方はこちらで】
NHKプラス 東北プレイリストで放送後2週間、配信します。
 

2024年3月以前の記事はこちらからお読みいただけます。
 

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