"学びを止めない"仙台空襲と大学生

東北大学の前身、東北帝国大学。太平洋戦争の末期、仙台市を襲った78年前の「仙台空襲」で、大学も大きな被害を受けました。当時通っていた学生たちが、この空襲にどう向き合っていたのか。そこには「学び」を止めない学生たちの姿がありました。

(仙台放送局 岩田宗太郎)

【仙台空襲で東北帝国大学は】

東北地方を代表する大学、東北大学。ここで進められているのが、大学の長い歴史の中でも大きな危機だったという「仙台空襲」についての調査です。戦争の悲惨さを後世に残そうと進められています。

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78年前の7月10日未明。仙台市内はアメリカ軍の空爆で市街地のおよそ2割が被害を受け、1300人を超える人たちが犠牲になりました。この空襲で東北大学の前身、東北帝国大学の学生も8人が犠牲になりました。さらにいまの仙台市青葉区片平にあったキャンパスもおよそ4割が被害を受けました。

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当時、学生たちはどのような行動をとっていたのか。その一端が記録されているのが、大学に残されていた、1945年の日誌です。

学生や教員は自分たちの研究室を守ろうと、当番を決めて、消火活動などを行う当直の役割を担っていました。

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日誌は、当番の学生の名前やその日の出来事などが記載されています。さらに仙台空襲が起きた日には、被害の甚大さをうかがわせる内容もありました。

「焼夷(しょうい)爆弾落下」「退避ト同時ニ 業火」「消火ニ努ム、水ハ効ヲ奏セズ」

当時の学生たちが、どのようにして研究室を守ろうとしたのか、その様子を今に伝えています。

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(大学の歴史を調査 東北大学史料館 加藤諭 准教授)

大学に属していても学びを享受できる方々というのは非常に限られてきている時代でしたので、その中で自分たちの学びの環境を守っていくというのには、人並みならぬ、使命感があった。
大学の歴史の中で、やはり戦災、震災、災害に関わる局面はあり、その時にどのような被害があって、どのように対応していったのか 記録を残していくことが未来への検証につながっていく。

【当時の大学生は空襲にどう向き合ったのか】

大学では、当時の学生たちがどのような思いで戦争に向き合っていたのか、話を聞いて証言も集めています。今回、オンラインで話しを聞いたのが、当時大学1年生だった西村純さん、96歳です。理学部で物理を学んでいました。

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空襲の日、寮でラジオを聞きながら異変がないか警戒する当番だった西村さん。当時の様子を鮮明に覚えていました。

大学から帰ってきてラジオをそばに置いて聞いていたら、B29が、2、3機飛んできたっていう警報がありました。それが夜の11時ぐらいだったと思うんだけども、しばらく何もなくて、1時間ぐらいたってから、仙台の上空で、『ドカン』というすごい音がして、照明弾がついた。
爆撃はどこで始まったかというと、東一番町のど真ん中。そこを中心に、渦巻き状に外に向かって爆弾を落としていった。その後だんだん、私たちが住んでいるところに飛んできて、危ないから防空ごうにみんなで入っていった。そのとき感じたのは、爆弾が落ちてくる時は、列車が鉄橋を渡るような、ガラガラという音がするということ。
寮の建物にも爆弾が引っかかって、それで防空ごうから飛び出して水をかけたんだけど、水をかけたくらいじゃ全然、消えない。そのうちに、これは命に関わるから逃げろとなって、近くの広瀬川に逃げ出した。

悲惨な空襲に直面しながらもなんとか助かったという西村さん。その後、大学で目にしたのは自分の通う校舎が爆撃を受けていた光景でした。西村さんはその状況を忘れることができないといいます。

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広瀬川に逃げると、河原には死んでいる人がたくさんいた。その後、大学に行ってみたら教室が焼けていた。研究室疎開をするために荷物を整理していたけれども、その整理したものが焼けてしまった。

壊れた校舎を片づける日々。それでも無事だった別の校舎で、すぐに仲間と勉強を再開したことを覚えていました。

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ともかく勉強しなきゃと思って、夏休みの間でも図書館から本借りて、一生懸命勉強してました。勉強でもしなきゃ、救いがないんじゃないかと思っていた。

多くの人たちの命や生活を奪った仙台空襲。それでも「学びたい」という西村さんたち若者の気持ちを壊すことができなかったということ。調査にあたる東北大学のメンバーが分かってきた思いでした。

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(大学の歴史を調査 東北大学史料館 加藤諭 准教授)

当時の学生にとって、大学での学びというのが非常に大きな心の支えになっていたということを強く感じた。振り返ってみると、私たちも東日本大震災や新型コロナウイルス感染症の中でも、やはり自分たちも学びや研究は止めなかったし、心のよりどころになっていた。そういったことを考えると、78年前の空襲で自分たちの学びの環境が破壊された中でも、学びを止めなかったという気持ちはすごく共感できた。こういった記録を今後もアーカイブし、それをより多くの方々と共有していきたい。

 

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岩田宗太郎記者
2011年入局
宇都宮局、科学・文化部を経て
2022年8月から仙台放送局