大津波からの生還

(初回放送日:2022年3月3日)

※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

仙台市の平山一男さんの証言です。
当時64歳の平山さんは、仙台港にある勤め先の工場で大きな揺れに襲われました。その後、大津波警報が出されたのを知り、同僚とともに会社の指示通り避難行動を始めたといいます。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

平山さん)震災が起きた時点で我々は避難場所が会社で指定されているから「海側の体育館に避難してくれ」ってことでみんなそこに避難した。仙台市は仙台湾があるから、三陸みたいにすぐ海のそばでないから津波は来ないでしょって、最初。それを考えて我々も避難したし、避難の時はだらだらだらだらって5分や10分で行く所を20分も30分もかかかって避難してさ、みんなでわいわい話しながら。「大変だった」とか言いながら。

打越)海側の体育館で津波は?

平山さん)もう俺らも2階に避難したんだけど、和室だったからそこで30人ぐらいで、一緒にみんな避難していたから。その時津波来て、胸までもう完全に津波をかぶったんだね。それでみんな流されないようにスクラム組んだのね。柱を誰かが押さえて。その周りをみんなで30人で重なって。

打越)柱1本に30人でしがみつく?

平山さん)しがみつく。3、4人でしがみつくでしょ。まず最初に。あと後ろから腰を押さえて、だんご状態でみんな。それで流されないようにして。それで一人だけスクラム組むのが遅くて津波に飲まれちゃったけどね。でも恐ろしいよ水。あんな厚い5ミリぐらいのガラスを破ってくるんだから。水の力に押されて。

打越)水も冷たかったと思うんですけど、本当にわらにもすがる思いというか。

平山さん)もうこれからどうしようってことだけはみんなで。じゃあ家に帰るか、どうするかって。そういうことしか言わないから誰も。「みんな良かったな」って声かけるぐらいで、あとは何とも言えない。ただ黙々と「どうすっぺ」ということで、体育館にいてもどうしようもないから今度は高台の方に避難してっていうことで避難させられて、もうそれで雪は降ってくるし全部ずぶ濡れだから、我々の体から蒸気がどんどん抜けていくのね。それが目に見えているから。防寒具着ているんだけど。それではだめだってことで水引いてから工場の方の2階3階の方に移動させられて、その時会社の上司の方に「なんで最初から工場の3階とか4階に移動させなかったのよ」って。みんなで色々上司に突っ込んだんだけど、だけど上司は「会社の命令でそっちだから」って。「避難は体育館って決まっているんだから」って。

打越)改めて今振り返っていただきましたが、何を未来の人たちに伝えていきたいですか?

平山さん)やっぱり逃げる。とにかく地震、津波来るって言ったら避難。逃げる。一番だね、それが。