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第15回 身近に残る戦争の記憶
1945年8月5日から6日未明にかけて、アメリカ軍のB29爆撃機が佐賀を襲った。
61名の命を奪った佐賀空襲である。
9日には長崎に原爆が投下され多数の死傷者が出る。
応急治療をするため鹿島市の国民学校に被爆者が多数運び込まれたという記録も残る。
また、かつて伊万里市にあった川南造船所では、特攻兵器の潜水艇が作られていた。
人々の証言や痕跡から戦争の悲惨さを知り“歴史”を身近なものとして捉える。
第14回 人物伝:菓子作りにかける
マシュマロやキャラメルなどの洋菓子は、
佐賀県が生んだ2人の人物によって日本に広まった。
伊万里市出身の【森永太一郎】と、佐賀市出身の【江崎利一】である。
陶磁器の問屋で働いていた森永太一郎は、焼き物を売るためアメリカに渡る。
ところが思ったようには売れず、このまま日本に帰るわけにはいかないと、
洋菓子の製法を修行して帰国した。彼の店ではキャラメルがヒット商品となった。
佐賀市出身の江崎利一は、有明海の漁師たちがカキの煮汁を捨てているのを目撃。
これを生かして、栄養豊富なキャラメルを作ることを思い立つ。
第13回 人物伝:建築界の巨人
平成24年、【東京駅】で赤レンガの駅舎を昔の姿に復元する工事が完成した。
およそ100年前、この駅舎を設計した人物こそ、
唐津市出身の建築家【辰野金吾】である。
辰野は唐津藩の下級役人の家に生まれるが、
明治維新がおこり学問で身を立てる決意をする。
上京して西洋建築を学び、後にイギリスへ留学。大学教授を経て、
【日本銀行本店】など重要な建築の設計を任されるようになった。
その後、設計事務所を設立し、西洋のような“建築家”という職業を日本に定着させた。
第12回 人物伝:世界を見聞せよ!
欧米を視察するため派遣された岩倉使節団。
その中に重要な働きをした2人の佐賀県出身者がいた。
副使をつとめた【山口尚芳】と、詳細な記録を残した【久米邦武】である。
留学生を含め100名以上の大使節団は、明治4年に横浜を出発。
アメリカやヨーロッパ各国をめぐり、1年10ヶ月をかけて世界を一周した。
その様子は久米が記した「米欧回覧実記」に記録され、
その後の日本の近代化に大きく貢献した。
第11回 佐賀の七賢人(3)
幕末、佐賀藩は英語の重要性を認識し、長崎に英学塾・致遠館を設立。
ここで【大隈重信】や【副島種臣】らが学んだ。
佐賀の七賢人に数えられる大隈と副島。大隈は政治家として活躍した。
鉄道の敷設や通貨の制定、日本初の政党内閣を組織したほか、
現在の早稲田大学の創立者となる。
書家としても知られる副島は、外交の舞台で活躍する。
第10回 佐賀の七賢人(2)
七賢人の一人【島義勇】は北海道の開拓を任され、札幌の街を設計した。
他にも近代日本の司法制度を作った【江藤新平】や、
教育制度を作った【大木喬任】らが活躍した。
ところが明治政府は、かつて武士たちが持っていた
様々な特権を奪ったため不平不満が高まっていく。
島と江藤はそうした声にあらがえず【佐賀戦争】をおこしてしまう。
大木は最後まで彼らの助命に尽力するが、江藤たちは政府によって処刑されてしまう。
第9回 佐賀の七賢人(1)
佐賀藩の学校【弘道館】からは優れた人材が次々と育ち、幕末・明治に活躍した。
彼らは【佐賀の七賢人】と呼ばれ、今でも人々の尊敬を集めている。
特に優秀な人物として知られたのが【佐野常民】。
藩主・鍋島直正から、蒸気機関などヨーロッパの最新技術の研究を任された。
その後、戦争負傷者を救護する「博愛社」を設立し、これが【日本赤十字社】の前身となった。
第8回 幕末の佐賀藩
幕末の佐賀藩は財政難に苦しんでいた。
その藩政を改革し、西洋の先端技術を導入したのが第十代藩主の【鍋島直正】だった。
【反射炉】を建設し、鉄製大砲の製造に成功。また【三重津海軍所】を設立。
日本初の実用的蒸気船の開発にも成功するなど、これらの技術はその後、明治日本が近代化していく際の礎となった。
第7回 激動の唐津藩
江戸時代の唐津藩。初代藩主の寺沢広高は防風林【虹の松原】を作り、新田開発をおこなった。
さらに唐津城を築城し、天草地方にも領地を広げるなど栄えた。
ところが二代藩主の時代、“島原・天草一揆”がおこったり、
あと継ぎがいないまま藩主が亡くなり、以降大名家がたびたび交代した。
のちに老中として【天保の改革】をおこなう水野忠邦も唐津藩の殿様だった。
第6回 秀吉と名護屋城
天下を統一した豊臣秀吉は、唐津市に巨大な【名護屋城】を築いた。
当時、大坂城に次ぐ全国でも2番目に大きな城で、ここに徳川家康や伊達政宗、上杉景勝など、全国の大名が集められた。
ところがその目的は、なんと朝鮮半島に攻め入るためだった。
戦争によって朝鮮から連れてこられた陶工・李参平によって磁器【有田焼】の生産が始まる。
第5回 戦国時代の佐賀
全国で戦国武将が争った戦国時代。
佐賀では【龍造寺隆信】が活躍し、一時は北部九州を支配する。
ところが南の島津氏との戦いで隆信が戦死してしまう。
その時、佐賀の危機を救ったのが、隆信の義理の弟である鍋島直茂だった。
その実力は豊臣秀吉や徳川家康にも認められ、
彼の子・勝茂が【佐賀城】を完成させる。
第4回 武士の時代の始まり
平安時代、平清盛の父・忠盛が【神埼荘】で中国と貿易し大きな力をつけた。
次の鎌倉時代、モンゴル人が中国を征服して元という国を建て、二度にわたって九州に攻めてきた。
武士たちは博多湾などで戦うが、佐賀県北部の水軍【松浦党】が活躍。元の船団は暴風雨にあって伊万里湾に沈んだ。
第3回 風土記の世界
今から1300年前、地方の国々の歴史をまとめた「風土記」。
全国に5つしか現存していないが、その一つが【肥前国風土記】。
佐賀県各地の“地名の由来”や土地の様子、特産品などが記されている。
この頃、大和の朝廷を中心に各地に役所が置かれ、
佐賀には【肥前国国庁】や国分寺ができた。
奈良では全国の国分寺を束ねるために東大寺と大仏が作られた。
第2回 米作りと卑弥呼の伝説
唐津市にある【菜畑遺跡】は、日本で初めて米作りが始まった頃の水田跡。
米の伝来によって、人々は初めて安定して食料を確保する手段を得た。
しかし、一方で米作りは土地争いや水争いを生む。
2600年前〜1700年前に栄えた【吉野ヶ里遺跡】
ここには深い堀や物見やぐらがあり、ムラ同士が争った痕跡が見える。
中国の古い歴史書にも、この頃の日本は小さな国々が争いを繰り返し、
卑弥呼を女王に立てることでようやく安定したと書かれている。