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これまでの放送

第36回 2006年12月14日放送

かあちゃん、命と向き合う 海獣医師・勝俣悦子


動物のサインを見逃さない

 勝俣には、朝の日課がある。それは、30分かけて園内を一周し、19種類85頭の様子を観察する「回診」。瞳の力強さ、人への関心、陸に上がる速度など、動物のどんな些細(ささい)な行動にも、「サイン」が隠されていると、勝俣は言う。人間の患者と違って、動物は自らの症状を語ってはくれない。しかも、自然界では具合が悪いことが外敵に知られると、狙われやすくなるため、本能的にその症状を隠そうとする。海獣医師として、どこまで気づいてあげられるか。しかも、水中で生活する海獣は、ひとたび細菌に感染すると、あっという間に命を落としてしまう。いかに早い段階で病気を見つけ、手を打てるか。その毎日は時間との「競争」だ。

写真すべての行動に「サイン」が隠されている


覚悟をもって、攻める

 カスピカイアザラシの「レム」が下痢気味で、食欲がないという連絡が入った。勝俣は迷うことなく、整腸剤の投与を決めた。海獣には外科手術などが難しいため、症状が悪化すると、手の施しようがなくなる。そのため、勝俣の辞書には「様子見」という言葉は存在しない。「様子見」という言葉の裏には、「明日、生きているかどうか、確認しましょう」という、「逃げ」の意味が見え隠れすると考えるからだ。
しかし、アザラシの治療はそう簡単ではない。神経質なアザラシを固定することが、ストレスになりかねないからだ。それでも勝俣は迷いなく、現場に臨む。大胆に、かつ繊細に短時間で処置を終わらせる。その「攻め」の姿勢の裏には、「この命を救う」という強い覚悟が宿っている。

写真動物に言葉をかけながら処置を行う


家では、母ちゃん

 動物が病気になったとあれば、現場に駆けつけ、いのちを預かる重圧と常に向き合う勝俣。その気分転換となるのが「家庭」だ。勝俣は夕方、閉園とともに退社し、家で夕食の支度に取りかかる。その姿はつい先ほどまで水族館でシャチやセイウチに対していたとは思えない切り替わりぶりだ。家族は4人。同じ水族館でアシカなどの飼育係を務める夫に、子どもは一男一女。家では、仕事の話はほとんど出ない。勝俣いわく、「仕事をスパッと忘れて、ただの母ちゃんに戻る」のが、両立のコツだという。しかし、動物の治療で追い詰められたときには、家で弱音を吐くこともある。そんなとき、息子から「それを助けてやるのが獣医師の仕事だろ!」と言われ、ハッとするときもあるという。2つの居場所を持つこと。それが勝俣を支えている。

写真1本のビールが仕事の疲れを癒やす


できることは、あきらめないこと

 9月末、生後5か月のカマイルカ「キララ」が急激にやせて、深刻な栄養失調に陥った。岐阜に出張していた勝俣も急きょ、鴨川に帰還。緊急治療が始まった。人工ミルクの流動食で、栄養分を補おうともくろむが、事態は好転しない。カマイルカの繁殖は非常に珍しく、国内では13か月以上、子イルカが生きた例がない。手がかりもつかめないなか、追い詰められてゆく現場。
勝俣はギリギリの状況で、いつも、ひとつの言葉を思い出す。「できることは、あきらめないこと」。この30年間、幾度となく訪れた危機で、常に「攻め」の姿勢を貫くことで道を切り開いてきた。勝俣は「キララ」が乳離れの時期を迎えたと推察。「キララ」に丸ごとの魚を与えることを決断し、そこから突破口を見いだそうとする。

写真攻めなければ、道は開けない


プロフェッショナルとは…

海の中でのもので例えたいと思ったんですが、それは「海草」というふうに思っていて、葉は揺らぐし、なびくんですけども、根っこは揺るがなくて動かないということです。

勝俣悦子

The Professional’s Tools

処置バッグ

ペット病院と異なり、イルカやシャチは診療室に来てくれない。「往診」の際、欠かせないのが、この「処置バッグ」。緊急用の注射から、錠剤、傷薬まであらゆる治療道具が詰め込まれている。大半は人間用の薬だ。海獣専用の治療道具はほとんど存在しないため、同じほ乳類である人間の薬を転用する。投与量は体重に比例して考える。例えば500キロのトドなら、50キロの成人の10倍など。しかし、動物によって副作用が出るものがあるので、与える種類や量などは常に手探りだ。

写真重さは約5キロ これを持って現場に急行する


カルテ

30年間、現場で数々の海獣と向き合ってきた勝俣には、「宝物」がある。それは、動物1頭1頭のカルテだ。その動物がこの世に生を受けてから、死ぬまで…。どんな病気にかかって、どんな治療を施したのか。カルテには、その動物の生きざまが克明に記されている。なかには力及ばず助けられなかった動物も少なくない。その悲しみを胸に刻み、次に生かす。この強い思いこそが道を切り開く原動力となってきた。

写真生きざまを記録したカルテ 勝俣の宝物だ


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