2023年10月24日 (火)
4年ぶりエイサー祭り特別な1日
沖縄にルーツを持つ人が多く暮らしている大阪・大正区。
ここで50年近く、あるお祭りが守り継がれてきたことをご存じでしょうか?
それは、先祖を供養する沖縄伝統の盆踊りであるエイサーを披露する祭り。
沖縄から遠く離れた大阪で、このお祭りが、なぜ大切に続けられてきたのでしょうか。
私は沖縄出身。
コロナ禍での休止をへて4年ぶりに開催された特別な1日を追いました。
(大阪放送局 ディレクター 金武孝幸/沖縄出身)
1万5000人の歓喜!待望のエイサー祭り
9月24日。
4年ぶりにエイサー祭りが復活しました。
およそ1万5000人の観客が訪れ、会場となった大正区の千島公園では、16組がエイサーを披露。
エイサーは、地域ごとに型が異なります。
歌三線に合わせ、大きなかけ声とともに、大太鼓や締め太鼓、「パーランクー」という小さな太鼓をたたいたり、手踊りをしたりして会場を盛り上げました。
久しぶりのエイサーにみなさんのうれしそうな表情が印象的でした。
実行委員長を務めるのは宮里政之さん。
コロナ禍で3回に渡ってエイサー祭りを中止せざるを得なかったことに悔しさをにじませていました。
沖縄から大阪に出てきたひとりとして、先人たちの思いをつないでいきたい意志の強さは人一倍でした。
(エイサー祭り実行委員長 宮里政之さん)
「先輩らがずっと第1回からやり続けて、かなりの歴史でしょ。その中でやり続ける思い。1回目にやり始めたときはかなり苦労したと思う」
本土復帰当時の“沖縄の若者の思い”
第1回エイサー祭り
エイサー祭りが始まったのは、沖縄の本土復帰から間もない1975年のことでした。
当時、沖縄から本土への集団就職が盛んに行われていました。
しかし、期待を胸にやってきた若者たちを待ち受けていたのは厳しい現実でした。
文化や風習の違いから、住む場所や仕事が見つからないなど、苦労も多かったといいます。
エイサー祭りは、沖縄の若者たちがつながって支え合い、誇りを取り戻そうという思いから始まったのです。
街に戻ってきたふるさとの音色
沖縄から遠く離れたこの地に戻ってきた「ふるさと」の音色。
エイサーを踊りながら地域を練り歩く「道ジュネー」が行われる場所へ足を運びました。
(親が沖縄出身の男性)
「久しぶりで、何年かぶりかで、もう感動ですね。やっぱり自分のふるさとというのは、向こうで生まれてなくても、これは一緒ですよ、みんな。熱いものが流れてますよ」
家族で商店を営んでいる女性は、3年前に亡くなった父のことを思い出しながら、エイサーを見つめていました。
(親が沖縄出身の女性)
「98歳でした。店の前に椅子を持ってきて、いつも一番の特等席で、一生懸命見ていました。私はいつもそばでその様子を見ていました。ほんまにうるうるくるわ」
世代を超え広がるエイサー文化
エイサー祭りの会場で子どもたちの姿を見つけました。
「大正沖縄子どもエイサー団」です。
子どもたちとその家族が参加しています。
子どもたちの一生懸命な姿に観客席にも朗らかな表情が広がりました。
(母が沖縄出身の少年)
「楽しかった!」
(沖縄出身の母)
「3歳からエイサーやりたいって。自分の意思で。うれしいですね」
なかには、沖縄にルーツを持たない子や親も多く参加。
祭りが始まった当初にはあまり見られなかった光景です。
こうした姿に、長い時間をかけて、エイサーが少しずつ大正区の文化として根づいてきたことを実感しました。
(沖縄にルーツを持たない親子)
「すごく人情味があって温かいですね。自分も仲間に入れてくださる」
「楽しみにしてますし、ないとさみしいです」
遠く離れても…思いをつなぐエイサー
午後6時。
沖縄からやってきたエイサー団が登場。
戦後、集落ごと接収され嘉手納基地になった千原地区に伝わるエイサーを守り続けています。
会場には、千原エイサーについての展示ブースが設けられていました。
土地とのつながりを絶たれた人たちが、エイサーをどのような思いで守り継いできたのか。
そこに思いをはせてほしいと、祭りを主催した「がじまるの会」が企画しました。
(がじまるの会 澤岻努 会長)
「どうしても基地の中にあって、住んでいる場所がないにもかかわらずエイサーを残したいって気持ちがあるから、うちら大阪で、沖縄じゃないとこでやってるエイサーっていうのを続けるっていうのと通じるものがあるのかなと思って」
ほかにも、沖縄関連の書籍を販売するコーナーや、祖母の経験した沖縄戦を描いた漫画を展示するコーナーも。
訪れた人が、沖縄について考えるきっかけをくれる仕掛けが随所にありました。
大阪と沖縄をつなぐエイサー
祭りも終わりに近づき、「がじまるの会」もエイサーを披露。
沖縄と大阪をつなぐ、特別なエイサーが4年ぶりによみがえりました。
(エイサー祭り実行委員長 宮里政之さん)
「やり遂げたって感じ。手弁当でやっているなかでも結局自分なんかの思い、個人個人の思いがたぶん熱いと思う。感動、本当に感動。みんなのパワーを感じて感動した」
エイサーはもともと先祖を供養するためにするもので、大阪では来年、50回の節目を迎えます。
ときを越える、距離を越え、人と人とをつないでいく。
そこに込められた思いを感じてほしいと思います。