2024年01月18日 (木)
震災直後の手作り結婚式 感謝の恩返し
29年前の1月17日に発生した阪神・淡路大震災。
当時、生きるだけでも大変ななか、その2か月後にボランティアに支えられて、結婚式をあげた男性がいます。
男性はその後、美容師になりました。
支えられた感謝を胸に、人々に笑顔を届けています。
(名古屋放送局 カメラマン 柳川侑一郎)
結婚式予定日の2か月前に被災
兵庫県三木市で家族で美容室を営む平石さん夫婦。
夫の悟史さんは美容師、妻の知子さんはエステや着付けを担当しています。
「髪を切りに来た人たちが笑顔になってほしい」
20年以上にわたって、力を合わせてきました。
2人が結婚式を挙げる直前に、阪神・淡路大震災が発生しました。
諦めた結婚式
悟史さんは当時、美容師見習いで、一人暮らしをしていた大阪府豊中市で震災にあいました。家具が倒れたり食器が壊れたりしましたが、けがはありませんでした。
しかし、神戸市の隣、兵庫県三木市で化粧品店を営んでいた、祖母の文子さんを亡くしました。
小さなころからおばあちゃん子だった悟史さん。
震災の2週間ほど前、知子さんと結婚のあいさつに行ったときも、文子さんは2人の結婚式を誰よりも楽しみにしてくれていました。
大切な人が亡くなり悲しみにくれるなかで、悟史さんは結婚式を諦めました。
平石悟史さん
「誰よりもおばあちゃんに祝ってほしかったということもありますし、身内が亡くなって結婚式というのは絶対無理でした。震災でみんなが大変なときに自分たちだけハッピーだというのは難しいと結婚式は諦めていました」
偶然知った「被災カップルに手作り結婚式」募集
震災から1か月余り過ぎたころ。たまたま聞いていたラジオから、被災したカップルに手作りの結婚式をプレゼントするというお知らせが流れてきました。
大阪の和泉市が、被災したカップルを元気づけようと企画したのです。
いったんは諦めていた結婚式。
「亡くなった文子さんが導いてくれたのではないか」
悟史さんは知子さんと話し、参加を決めました。
ボランティアが支えた結婚式
4月に行われた結婚式。
震災からわずか2か月半にもかかわらず、たくさんの親戚が駆けつけてくれました。
運営の大半はボランティア。着付けや髪結い、写真撮影から受け付けまで、2人の式を手作りで支えました。
平石悟史さん
「この結婚式に出会えたのは奇跡的なものだと思います。皆さんにこれだけ祝福してもらって感謝です。感謝しかありません」
式を楽しみにしていた祖母 文子さんの写真もありました。
笑顔で恩返しを
震災から5年後、悟史と知子さんは、大好きだった文子さんの化粧品店を改装して、美容室を開業しました。
今では、結婚式のときに知子さんのおなかのなかにいた長女の綾乃さんが店に立つようになりました。
平石悟史さん
「震災のときにおなかにいた子がこうやって美容師として一緒に仕事をさせてもらえるというのはありがたいし、時の流れを感じます」
悟史さんが心がけているのは、お客さんに楽しい時間を過ごしてもらうこと。
一人一人丁寧に、楽しく接客することが、29年前に手作りの結婚式で背中を押してもらったことへの「自分なりの恩返し」だといいます。
感謝の気持ちを胸に、笑顔で髪を切り続けます。