かんさい深掘り

2024年01月17日 (水)

亡き親友との約束を胸に 白球を追い続けて

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6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から、1月17日で29年です。

同じ少年野球チームにいた親友を震災で亡くした男性がいます。

男性は亡き親友との約束を胸に、プロ野球の舞台に立つ夢を果たしました。

心の中で生きる親友とともに、引退後の今も白球を追い続けています。

(神戸放送局 カメラマン 阿部季功)

   

こちらから動画をご覧になれます

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神戸市にある社会人野球チームで監督をしている松本幸大さん(43)。

松本さんは、プロ野球ロッテの投手でした。

 

経験したことのない揺れ 自宅は全壊

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阪神・淡路大震災が起きたのは、松本さんが中学2年生のときでした。神戸市東灘区の自宅は全壊しましたが、両親と兄弟は無事でした。

経験したことのない揺れで、何が起きているのかわからない状態だったといいます。

家の周辺は、火と煙に包まれました。悲鳴が聞こえ、自然と人命救助をしていたといいます。

 

いつも一緒だった親友の死

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数日後、近所に住んでいた親友の大浅田一郎さんの家に行くと、住んでいたマンションの1階が潰れていました。

親友の一郎さん、両親、妹の一家4人が亡くなっていました。

一郎さんとは、同級生で誕生日も同じ日。学校も遊びも野球も、いつも一緒で家族同然のつきあいでした。

松本幸大さん
「小さい時からずっと一緒にいた友達。失ったものはすごく大きかった。ショックで本当に大きな穴があいてしまった」

 

野球に打ち込んだのには、親友との約束があった

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松本さんは、震災のあとも野球に打ち込みました。

しかし、野球をしていると一郎さんを思い出してつらいと、悩んだときもあったといいます。

その時思い出したのは、学校帰りに話した「プロ野球選手になる」という一郎さんとの約束でした。

いつも心に一郎さんを思いながら、2人の約束をかなえるために野球を続けました。

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そして高校は、甲子園で優勝したこともある強豪、育英高校に進学しました。

厳しい練習も必死に耐え続けたといいます。

心が折れそうになった時は、親友の存在が支えになりました。

松本幸大さん
「しんどい練習だろうが、悲しいことやつらいことがあっても、一郎はもう味わわれへん。苦しくても自分は野球ができる。だから、あいつの分まで頑張ろうと思ったんです」

 

親友との約束 プロの舞台へ

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高校、社会人と野球を続けた松本さんは2006年、ついにロッテからドラフト8位指名を受けました。

松本幸大さん
「一郎との夢をかなえられたというのが一番、僕の中で大きかった。天井に向かってやったで一郎ってやりました」

松本さんは、多彩な変化球を武器に中継ぎ投手として活躍しました。

しかし、足などのケガに苦しむようになりました。

現役最後の年にオリックスに移籍。震災復興の合言葉「がんばろうKOBE」の文字をつけたユニフォームで、神戸の復興を願い戦いました。

 

これからも ともに

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引退後、松本さんはふるさと神戸に戻り、社会人野球チームの監督として野球を続けています。

今、松本さんは新たな夢を描いています。

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松本幸大さん
「あいつがいなくなってからも、ずっと一緒に野球をやってるので、一郎の分まで2倍3倍と野球に携われたらと思っています。甲子園経験がないので、次は一郎と一緒に、高校の監督になって甲子園を目指そうかなと思っています」