災害列島 命を守る情報サイト

これまでの災害で明らかになった数々の課題や教訓。決して忘れることなく、次の災害に生かさなければ「命を守る」ことができません。防災・減災につながる重要な情報が詰まった読み物です。

水害 避難 支援 教訓

西日本豪雨 7月7日 真備町で起きていたこと

「お父さん、お父さん…」
助けを求める妻の声が、今も耳の奥で響いています。
自宅に水が押し寄せる中、妻を、2階へと必死に避難させようとした夫。
しかし、夫は86歳、足が悪い88歳の妻を1人では助けることはできませんでした。
高齢化が進み、各地で災害が起きる今の日本。
どうしたら“災害弱者”を救うことができるのでしょうか。

2018年7月放送の西日本豪雨ニュースに関連する内容です

目次

    88歳。足腰不自由の中、被災

    記録的な豪雨で、川が氾濫し、多くの犠牲者が出た岡山県倉敷市真備町。

    今月12日、この災害で亡くなった88歳の女性の葬儀が営まれ、親族が突然の死を悼みました。

    亡くなった、片山千代子さん、88歳。

    参列したゆかりの人たちが、千代子さんの棺を囲み、花や思いを記したメッセージを入れて、別れを惜しんでいました。

    千代子さんは、年齢とともに足腰が弱くなっていました。
    数年前から、台所に立つことも難しいほどでした。

    去年12月には、転んで股関節を3か所骨折して入院。

    ことし3月に退院しましたが、介助がなければ歩けなくなりました。

    両手を前に出してつかんでもらい、ゆっくりと進むことができるくらい。

    ちょっとした段差でも乗り越えることができず、バランスを崩すと転んでしまう状態だったそうです。

    老夫婦の静かな暮らし

    夫の片山穣さん、86歳。

    足腰が弱ってきた妻の千代子さんを支えながら2人で暮らしてきました。

    2人の出会いは、20代。
    かつて映画技師をしていた穣さんは、映画を見に来ていた千代子さんと出会い、2人はどちらともなく恋に落ちました。

    穣さんの初恋だったそうです。

    穣さんが25歳、千代子さんが27歳のとき、2人は結婚。やがて長男が生まれました。仕事に明け暮れ、帰りが遅くなっても、千代子さんはいつまでも穣さんの帰宅を寝ないで待っていたといいます。

    長男が家を出ると2人きりの生活となりました。仲むつまじく支えあってきた60年余り。老夫婦の静かで、ささやかな暮らしが続いていました。

    真備町を襲った豪雨、そして川の氾濫

    ところが、倉敷市真備町では、当時、深刻な事態が起き始めていました。

    ▽7月6日午後10時
    真備地区全域に「避難勧告」。

    ▽7月6日午後11時45分
    真備地区のうち、小田川の南側の地域に「避難指示」。
    小田川の水位が急激に上昇のため。

    ▽7月7日午前1時30分
    真備地区のうち、
    小田川の北側の(※片山さんの自宅がある)地域に「避難指示」。
    高馬川の堤防が越水し小田川の水が北方向に流れ込んでいるため(倉敷市の災害対策情報より)

    浸水面積
    町全体の面積の27%にあたるおよそ1200ヘクタール。
    東京ドームに換算するとおよそ256個分の面積。
    (国土交通省岡山河川事務所)

    浸水の深さ
    (※片山さんの自宅がある)有井地区など小田川の周辺で、
    最大で4メートル80センチ程度
    (国土地理院の推計)

    ※はNHKが付記

    7日の早朝2人は…

    片山さん夫婦が、そばに危険が迫っていることを知ったのは、7日の早朝でした。

    千代子さんと1階の寝室で寝ていた夫の穣さんが、インターホンの音で目を覚ましました。老夫婦を心配した、ご近所の人が、2人に知らせてくれたのです。

    穣さんが玄関に近づくと、ドアの隙間から水が自宅に入り始めていました。慌てて閉めていた雨戸を開け、外を見ると、すでに道路が川のようになっていたそうです。

    もう外には逃げられない。

    穣さんは、より高い場所へ逃れようと2階への避難を決意します。

    千代子さんの手をとって、寝室から応接間を抜け、階段に向かうことにしました。

    応接間には、ソファーや本棚などが置いてありました。
    ソファーと本棚の間は、1人が通れるくらいの幅しかありません。この狭いところを通って千代子さんは玄関の隣にある階段へと向かわなければなりませんでした。

    普通の人なら、すぐにたどり着けたかもしれません。でも、足腰が悪い千代子さんは、ゆっくり、ゆっくりとしか進めません。

    階段に向かっている間に、水が勢いよく1階に入ってきました。浸水はどんどん進み、水位が上がってきました。

    やがて家具が浮き始めます。その浮いたソファーに阻まれて千代子さんは、さらに進めなくなりました。それでも前へ進み、階段の近くまではたどり着きました。

    でも、自力で階段を上がることはできませんでした。

    なんとか千代子さんを助けようとした夫の穣さん。1人の力では階段を担いであがることはできませんでした。

    精いっぱい、声をかけ続けたそうです。

    「『とにかく頑張れ、水飲むな、水飲むなよと。とにかく上にあがれ』と。そしたらどわーと水がきたんです」

    「『お父さん、お父さん』一生懸命叫びよる。頑張れよ。水飲んだらあかんぞ。せやけど、水がどんどん来よる。家内も一生懸命に。他にだれもおらんから、逃げように逃げれんし。でも水のほうが速かった」

    「もう1人誰かいれば助けることができるのに」

    身を切られるような思いで1人だけで2階へ避難せざるを得なくなった穣さん。その2階さえも、胸の高さまで水が押し寄せる中、自衛隊のボートで救助されました。

    穣さんが目を覚ましてから、その間、30分ほどの出来事だったといいます。

    「あのとき何が起きていたのかを広く伝えてほしい」との思いで取材に応じてくれた穣さん。

    『お父さん、お父さん』と自分を呼ぶ千代子さんの声が、今も耳から離れないと、涙を流しながら話してくれました。

    “垂直避難”でも助からなかった現実

    これまで経験したことのないような浸水被害に襲われた倉敷市真備町では、12日の午前中までに50人の死亡が確認されています。

    死因は、いずれも「水死」または「水死とみられる」でしたが、この50人のうち、80%近くにあたる39人は「自宅」で見つかっていたことがわかりました。

    さらに「玄関」付近や「1階の居間」などで見つかるケースが相次いでいました。

    片山千代子さんもその1人です。

    平屋建てだったか、2階に逃げることができなかったかなどが理由とみられています。

    高齢者も多いこの地域では、緊急時に建物の2階以上に避難するいわゆる「垂直避難」さえも困難だったケースが相次いでいたのです。

    高齢化社会の中で

    高齢化が進む日本社会。

    “災害弱者”の命をどう守るかは、これまでの災害でも、課題となってきました。

    今回、真備町では、未明から早朝に一気に水かさが増してきました。想定外の事態が起きうる災害時に命を守るためには『早めの避難が大事』と私たちも含めて伝えてきました。

    でも、夜中に、避難するか、自宅にとどまるか、いつ、どこへ、その判断は、簡単ではないのが現実です。

    どうしたら命を守れますか

    命を守るため、今回の災害から何を学び取るべきなのでしょうか。

    地元の倉敷芸術科学大学で土砂災害に関する危機管理を研究する坂本尚史教授に聞きました。

    Q「お年寄りだけで暮らす世帯は多くあります。その時、水害が起きたらどう対処したらいいのでしょうか?」

    A「歩くのが不自由であれば、災害が起きてしまったら、避難が難しくなります。そうなると、早めの対応が必要だということになります。事態が悪化する前、今回で言えば、避難勧告が出た段階で、避難するしかなかったのではないでしょうか。さらには、いざという時のために、ハザードマップを見て避難所を確認したり、歩きやすいように自宅内の動線を確保したりすることでしょうか」

    判断が難しいとは言え、やはり早めに、より安全な場所への避難をという回答でした。

    今回の災害を受けてネット上では、「離れて暮らす、親に、どう呼びかけたらいいのか?」というのが盛んに議論されています。その点についても聞いてみました。

    Q「離れて暮らす親に、子どもたちができることは?」

    A「電話がつながるのであれば、まずは避難を促すことです。でも、離れていると現地の状況を正確に把握することが難しいので、親の家の近所の人とふだんからコンタクトをとっておくことも大事でしょう。状況を教えてもらったり、いざという時には、避難のお手伝いをお願いをしたりできるようにしておくとよいと思います。また、民間のセキュリティー会社のサービスを利用する方法もあると思います」

    私たちにできること…

    なぜ、もっと早く避難できなかったのか。

    その思いを抱きながら、記者は、水が少しずつ引き始めた真備町へ取材に向かいました。

    その真備町。堤防が決壊した川から離れると、次第に水田や畑が広がっていきます。

    熱い日ざしに照らされた、穏やかでのどかな風景。

    まさかこの場所で、それほどの量の水が押し寄せてくるとは、うまく想像することができませんでした。

    話を聞いて回ると、被災した方々が異口同音に話していた言葉が胸に突き刺さりました。

    「岡山は、災害が少ないと思って生きてきた。これほどの災害が起きるとは思わなかった…」

    取材の中で専門家からは、危機を伝える「情報」の出し方をもっと工夫すべきと指摘されました。

    たしかに、話を聞いた人の多くは、メディアからの情報ではなく、
    身近な人の呼びかけや目の前に迫った危険な状況をみて、それから避難していました。

    地震、水害、噴火…、災害が毎年のように起きる今の日本で、どうしたら、人の命を守る情報を多くの人に伝えることができるのか。
    答えを探しながら、取材を続けます。


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