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日本が戦争に負けたとき 愛知から満州に渡った家族を襲った悲劇

私と戦争 いま伝えたいことば(2023年8月18日放送 まるっと!)
  • 2023年08月31日

終戦から78年。名古屋市にある戦争と平和の資料館「ピースあいち」では、毎年夏に戦争体験を語り継ぐ催しが開かれています。今の愛知県新城市で生まれた橋本克巳さんは、6歳の時に家族で旧満州に渡りました。待ち受けていたのは、「忘れようとしても忘れられない」想像を絶する過酷な日々でした。

6歳で渡った旧満州 軌道に乗り始めたはずが…

ことし87歳の橋本克巳さんです。6歳のときに家族7人で旧満州に渡りました。

私の家は、三河の山間部の貧乏家族で、猫の額のようなところを耕して細々と生活しておりました。そんな折、政府の方針で満州移民が宣伝されたんです。満州に行ったらね、東京ドーム4個か5個分の土地をただでくれるっていう。満州に行って一旗あげて、幸せな家庭を築こうという父に連れられていったわけであります。

冬には氷点下40度を記録する厳しい自然の中、開拓を続けた橋本さんたち入植者たち。そのかいもあって開墾地のほか牛や豚、鶏などの家畜も増えて、満州での生活は軌道に乗り始めました。しかし、1945年8月15日、終戦を機に生活は一変します。

敗戦民族がたどった地獄

終戦記念日だとみんな言ってますが、私に言わせると敗戦記念日。負けたんです。生きるも殺すもこの権利を日本人が持っていた、8月14日までは。8月15日を境に、この権利が現地の住民に移ったんです。これから悲劇が起きます。敗戦民族のたどる地獄というものが始まった。

現地の盗賊が各地の開拓団を襲い始めたのです。男性のほとんどは戦地に召集され、開拓団に残っていたのは女性や老人、子どもばかり。抵抗するすべはありませんでした。橋本さん一家も金や食料、家畜や衣料品などすべて奪われました。

ちょっとでも抵抗しようものなら、その場で殺される。目の前で銃殺される人を何人も見ました。隣のおじさんが打たれて死ぬのも、この目で見てまいりました。女性が犯される姿も10歳そこそこで見てまいりました。

橋本さん自身も、銃口を向けられたことが何度もありました。

私もあの冷たい銃口、鉄砲の弾が出てくるあの筒先を、ここ(額)に何回当てられたか。本当に「ああ、これで私は終わりか」と何回思ったか分かりません。

枕を並べて死を待つ一家

安全な地を求めて、他の開拓団に身を寄せ、渡り歩きながら、何日も逃避行を続けました。やっとの思いでたどり着いた収容所。しかし、そこで橋本さんたちを襲ったのが伝染病でした。

腸チフス、発疹チフス、コレラなどをシラミが媒介して、瞬く間に収容所は伝染病の巣窟のようになってくる。あちらで1人こちらで1人亡くなっていきます。わが家でもおじいさんとおばあさん、弟が亡くなりました。

食料に事欠くばかりか、病魔に冒されても医薬品もなく、一家が枕を並べて死期が訪れるのを待つような極限状態が続きました。

7月7日、七夕の日のお昼、1時間違いで父と母が、病んでいる私の枕元で息を引き取りました。今のように立派な葬式をすることはできません。破れござを拾ってきたのを、遺体に巻いて荒縄でしばって。スコップぐらいしかないので、土を掘ることができません。おそらく掘っても20cmから30cm。そこへそっと置いて、形だけ土をかけてまいりました。誰かの胸にすがって思いっきり泣きたかったけど、泣くことさえ許されなかった。

その後、弟と旧満州で生まれた妹も亡くなり、橋本さんはたった1人になりました。

弟妹はことさら哀れでした。もう動くことすらできない。寝たきり。目から鼻から口から耳からウジ虫が湧き出てくる。 兄としてできることはそれを取ってあげることだけしかありません。
今でもその光景が2年か3年に一度ぐらいは夢で現れてきます。これが戦争というものです。

自らも何度となく死線をさまよいながら、どうにか生きながらえた橋本さん。家族の死から1か月後、日本人の総引き揚げが始まりました。孤児となった橋本さんは祖国日本に帰りました。終戦から78年が経ちましたが、満州での壮絶な日々は、忘れようとしても忘れることができないといいます。

戦争の苦しさ、むごさ、惨めさ、つらさ、悲しさ、怖かったこと。忘れよう忘れようと一生懸命に私も努力をしてまいりましたが、いまだに忘れることはできません。

橋本さんがいま伝えたいことば

戦争は勝っても負けても空しさしか残らない
争いのある限り個人の本当の幸せはない 
奪い合い倒し合い殺し合いの歴史をもう閉じよう
全人類が互いに救い合う共存共栄する世界を造りましょう
人間の使命です

「世界中で戦争ほどむごたらしい、何の益にもならないものはない」と語った橋本さん。戦争に翻弄され、異国の地で壮絶な経験をしてきた橋本さんの「戦争をなくすことが人間の使命」ということばが、重く響きます。

  • 豊嶋真太郎

    名古屋局 記者

    豊嶋真太郎

    2019年入局。横浜局、小田原支局を経て、2022年8月から名古屋局で名古屋市政担当。現在は事件・事故の取材を担当している。

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