2022/03/08(Tue) 18:00原田泰治さんありがとうございました

原田泰治さんの人懐っこい笑顔、明るい声、優しいお人柄忘れません

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訃報はあまりに突然でした。
この前まで、あんなにお元気だったのに。
ずっとずっとこれからも原田さんの笑顔や新しい作品を見続けられると信じていたのに。
今なお、あの明るいお声が響いていて、「田中さ~ん」と呼びかけられる気がします。

原田さんはまさに「お心遣いの方」でした。
極め人のインタビューロケの時も、原田さんのお話を撮り終えたあと、
作品の撮影を続けていたわれわれロケ隊のところに、笑顔の原田さんがいらして、
明るく大きな声で、
「みなさーん、休憩も大事だよ、一緒にコーヒー飲もうよ」と声をかけてくれました。

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諏訪湖がきれいに見渡せる美術館のカフェで、美味しいケーキを頂きながら
泰治さんのお父様のお話、椋鳩十先生のお話、幼少期を過ごした伊賀良村(現飯田市)でのこと、海外で展示会をされたときのお話などについて少年のようなキラキラとした目で語ってくださいました。

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インタビュー放送の翌朝も、私の携帯が鳴り、
「原田です。いやあ、いい放送をありがとう。スタッフの皆さんにもお礼を言っておいてね」と優しく声をかけてくれました。
原田さんのアシスタントを40年以上務めてきた濱育子さんも
原田さんの「お心遣い」のエピソードを教えてくれました。

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「新聞社の企画で、47都道府県の原風景を2年半で127点を描き上げました。
最後の作品は「新聞少年」を題材にしたものでした。その理由を原田先生に聞くと
(毎朝、新聞配達の少年たちが全国の家庭に届けてくれるから僕の絵を多くの人に
見てもらえるんだ。こんなにありがたいことはないよ)と感謝の想いを託したからだったんです」

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「今年の年賀状には(80を過ぎても、若いスタッフのみんなに迷惑をかけずに元気に頑張るよ)とメッセージが書かれていました。1月下旬に、転んで足をねんざしてしまい、入院したときも、年賀状の言葉の通り、懸命にリハビリを頑張っていました。
リハビリの途中に、悪性リンパ腫が見つかり、急激に意識が遠のいていく中でも、
お見舞いに来た家族やスタッフに、(ありがとう)と小さく口を動かしてくれました。」

原田さんが入院されていた諏訪中央病院には、親友である鎌田實先生がいて、
鎌田先生も、朝昼晩と原田さんの様子を見に病室を訪れていたそうです。

鎌田先生がおっしゃる「ぴんぴんころり」の人生を全うされ、
与えられた使命を完全に果たされた旅立ちだったのだとも思いました。

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仲間を大切にし、そして仲間からも大切にされ続けた原田泰治さん。
温かな作品と、優しいお人柄はこれからもたくさんの人の心の中に生き続けます。

原田さんと出会えたご縁は、今後も私の大きな財産です。
本当にありがとうございました。

投稿者: 田中寛人  | 

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