信濃町!とうもろこし会議【Vol.2】
- 2023年08月23日
7月31日に信濃町で行われたもぐもぐミーティング。
今回のトークテーマは「とうもろこし」。
前回の記事に入りきらなかった、こんな「とうもろこし」のお話もありました!
もともと “推し” ではなかった?とうもろこし人気の背景
川口さんが信濃町のとうもろこしの歴史を調べたところによると、海外からもたらされた甘いとうもろこしは、当初、国際村に滞在する宣教師たちに向けた生産が中心で、大々的に生産が行われたわけではなかったそうです。
あまり“もうかる作物”ではなかったんです。1960年ぐらいまでさかのぼると、農協さんや信濃町の農政計画の資料の中で、“とうもころし”という言葉はほぼ出てきません。価格が高かったお米と、トマトやピーマンなど他の野菜に力を入れていたようです。
“もうからない作物”だったとうもろこし。なぜ、一躍有名になったのでしょうか?
背景には、車社会の発達があったといいます。
国際村で“おいしい”と評判になり、他の野尻湖を訪れた人に焼きもろこしで売っていたようです。 昭和30年ぐらいから車が“一家に一台”の時代が訪れると野尻湖にレジャーで訪れる人が増えました。信濃町がとうもろこしに適しているのは間違いなくて
“こんな甘いとうもろこしは食べたことがない!”と、だんだんと人気が広がっていきました。国道18号線が整備されると、さらに広がります。長野市の方にとって「海水浴」といえばどこですか?
上越ですね。
そうです!長野市から上越に向かうためには国道18号線を通るんですが、この道は上越に向かう際、必ず通る道という事で、大変混んでいてたそうです。そこに目を付けた人が、国道沿いで焼きもろこしを販売して、車で海水浴に向かう長野市の人に人気でした。昭和50年代の観光案内図では、とうもろこしのイラストがこの国道に描かれていました。
今の観光地図では、野尻のもろこしマークが消えて、柏原の方にもろこし街道が描かれています。昭和51年に県道36号線が拡幅されて、周辺の農家の方々が“野尻の様に焼きもろこしをだしたら売れるのでは?”と販売をはじめて盛んになったのではないかと思われます。
その後、物流の発展による贈答品としての需要の高まり、甘い品種の誕生などが重なり、現在の“信濃町のとうもろこし”の人気につながっていくそうです。
実食!信濃町のとうもろこし
長野市役所で働く梶野さん。県外出身の梶野さんは、県内の産品や生産者を知って、それをつなげるような取り組みができないかと模索中。今日のもぐもぐミーティングにも参加したそうです。 信濃町のとうもろこしはまだ、食べたことがないそうで…
用意しておきました!けさ子さんが作った「ピーターコーン」と、道の駅で買った「ホワイトショコラ」です。
とうもろこしを口にすると、とうもろこし独特のぱりっとした音が広がります。
梶野さんの感想は…?
あまい!おいしい!粒がプリッとしているというか。
鮮度なんですかね?朝採れのとうもろこしの方が食感がいいとか、
あるんですか?
日が昇る前にとるとおいしいって言いますよね。
糖度が高いんですよ。寒い時に糖度がぐっとあがるから、その時に取るのが一番甘い状態だって言います