信州の名将 夢の初対談ついに実現!
- 2023年08月21日
高校野球 松商学園などの野球部監督を務めた中原英孝さんと、最大のライバルであった丸子実業や佐久長聖野球部監督だった中村良隆さん。
互いに1960年代から若くして高校野球の監督を務め、 通算27年に渡って、甲子園をかけた夏の県大会で11回も激闘を繰り広げた因縁のライバルでした。 これまで、いくつものメディアが2人の対談を企画してきましたが、互いを意識するあまり実現することは過去1度もありませんでした。12年前に中村さんが佐久長聖高校の監督を勇退され、
今年の夏、中原さんがウェルネス長野の監督を勇退されました。
これまで実現できなかった2人の対談。今なら話せることもあると、 今回初めてお二人の対談が実現しました。
写真左)中原英孝(なかはら ひでたか )
1945年生まれ、長野県池田町(旧・会染村)出身の78歳。
1968年 明治大学卒業後、23歳で母校・松商学園監督就任
1991年に春準優勝、夏ベスト8を記録
長野日大―ウェルネス長野監督を経て今夏監督勇退
春夏の甲子園に11回出場。通算勝利14勝は県内監督最多
写真右)中村良隆(なかむら よしたか )
1941年生まれ、長野県上田市(旧東内村)出身81歳。
1960年 丸子実業(現・丸子修学館)を卒業後、19歳で母校の監督就任
丸子実業―須坂園芸(現・須坂創成)―上田東―佐久(現・佐久長聖)で
いずれも甲子園出場に導く
1994年夏にはベスト4を記録し、夏の大会県内最高記録
春夏の甲子園に13回出場。通算9勝。
2011年 佐久長聖監督勇退
お互いの印象と長野県の高校野球の現状
お会いするのは何年ぶりですか?
20年以上かなあと思います。
久しぶりです。
これまで対談というのは実現しなかったですよね?
企画はいろいろあったという話を聞きましたが…
まだ中原先生が現役でしたから。いずれそういう話もしたいなというのは
思ってましたけどね。
こんなにゆったり話したことはあまりなかったですよね。
やっぱりお互いの立場があると…
練習試合の間の弁当食べる時に、「中原さん元気あるねえ」って言ったら
大きなラッキョウが入った瓶持ってましたよね?
「これが俺の元気の源」」って言って…
はい(笑)
野球の話はあんまりしませんでしたね。
しなかったね。世間話ですよね。お互いにやっぱりそういう点では、
松商破らなきゃ甲子園に行けないという風に私は思ってましたね。
私も先生をなんとか破らなきゃいけないというので1番燃えました。
松商学園が長野県のリーダーシップを取って、それをみんなで目標にしたってことがやっぱり長野県のレベルが上がるって構図だと思います。
そういう点では中原さんの力っていうのはものすごく大きかったですよ。
中原先生の野球はとにかく緻密ですよね。だから正攻法でいかないと勝てないっていう…
松商学園は甲子園には最多で出てるんですが、1回戦負けというのも1番多いんですよね。そのこともあって監督を引き受けた時に甲子園で勝てるチームにしなくてはという気持ちがありましたね。
やっぱり先生、県下でライバルがいないと…
ダメです。
燃えないもんね。
お互いに長野県が強くなりたいっていうのが根底にありましたからね。
中村先生、今の長野県の高校野球の現状はどう思ってますか?
いやー、情けない。
こんなこと言っちゃ、監督さん一生懸命やってるのに申し訳ないけどね。
もうちょっと全国行って勝ってやるぞっていう、勝つためにはどういう練習をしたらいいかというプロセスを身に付けた監督さんがたくさん出てくればいいなと思います。
もっと甲子園行きたいんだとか、全国に行って戦うんだっていうのをね、
やっぱり言葉に出して、そのぐらいのことをしていかないと全国で戦えないですよ。
「動」の中原・「静」の中村
お二人は試合中、監督同士を見ることはあったんですか?
中原先生を見ているとね、勝つことに対しての執念がすごいんですよ。
だから試合前には会わない様にしていました(笑)
ベンチに入っても見ない様にしていましたね。
見ると負けちゃいそう…
中村先生がベンチから鬼のように見えた時があります(笑)
私は全く正反対で相手の監督はずーっと見ます。
何を考えているかどういう動きをするか見ています。
中原さんは「動」で、私は「静」だってよく言われましたよね。
私は相手の監督がどんな表情や動きをするかっていうのを見て心理的なものを探るのが好きなんですけど、中村先生はどっしりとされていますよね。
表情もあまり変わらないし、動作も大きくない、一喜一憂しないし非常に落ち着いているんです。だから面白くないですね(笑)
何を考えているのか、次に何やられるかも分からないくらいの感覚でした。
内心は心配やらなんやらでいっぱいなんですけどね。
選手に任せてたから。あんまりその場で色々言ってる時は勝てないですね。
私は不安なところを怖いので言っちゃう(笑)
やっぱり最初のチャンスの時は1番緊張します。
どうやって攻めてくるかとか。今日の試合はどういう風にくるのかとかっていうのは多少見える場面があるじゃないですか。
そうですね。
言葉は悪いですが、
「中村先生は腹黒いでな、何やってくるか分からない。気をつけろ。」って
生徒に言っちゃうときもあるんですよ(笑)
そういう風にいってもらえると私もうれしいです。
だって普通の人は一喜一憂あるでしょ。戦いで勝って点入ったり、いろいろ、いい当たりしたり。先生はそこあんまり出さずに堂々としてるじゃん。
考えがその次にいってますから。だからそこで喜ぶんじゃなくて、
じゃあ次どうしようかなっていう風に気持ちがいっちゃうから。
動いてる暇はないですよ。
やっぱり名将なんですよ。一つ先を読んでいくからね。
大体、普通の監督なんか、打って、いい場面が出来たら、何やるかなってなるんじゃないですかね。そこが違うんですよ。やっぱり。
死闘に秘められた思い
当時はお互いどういう気持ちで戦っていたんですか?
とにかく中原さんの野球をいかに身に付けるかです。
中原さんとの練習ゲームの時、ライバルだったら普通はエース温存したり
するわけですよ。だけど私は全部さらけだすんですよ。
ピッチャー全部投げさせましたよね?
はい。
春の大会でやってもね、全部ぶつけたんですよ。そこで子供たちがなにを
つかんでくれるかね。とにかく松商の野球を勉強するにはバッターに投げてみて初めて勉強になるわけですから。エースからなにから全部出しました。
そうですよねえ?
はい。
私も中村先生とやる時はもう全力ですよ。
負けたら甲子園行けないっていうぐらいな感覚で練習試合も公式戦も全部。
そうでないと甲子園で勝てないもんね。
欠点をさらけ出してその次にじゃあどうするかっていうことが分からないとね。
本当に堂々の戦いでしたよね。
やっぱり練習試合からそのくらいやらないと意味がない。
当時の松商は完成度が非常に高かったんですよね。
だから中原さん、どうやってやってきたのかって思ってましたね。
各選手がね狙い球しぼるでしょ。で、穴がないんですよね。
相手のピッチャーがこういうタイプなら、どういう風に攻めていくか、作戦に対しての対応力っていうのを中原さんは常に考えていたと思いましたね。
分析係はかなり行ってたと思うんですよね。前の試合とかに。
持ってきた情報を、夜中に分析するのが好きなんですよ。
攻撃、守り、走塁とか全部出して、(生徒には)なにしろ、やれと。
こういうケースになったら絶対やれと、実行する力を付けろっていうのは1番やりましたね。
やることなすことがね、全国レベルなんですよ。
すごいなあって…
野球って、打撃にしても3割打てば一流ですからね。
あと7割は失敗してるわけですから。
その時に、高校生の気持ちをどう集中させられるかというと、
(狙い球を)決めつけて打たせてやるのが大事だと思うんです。
失敗してもいいけど、狙い球を絞っていけば、
いいチームほど、狙われていることに気づく。
気づかれたことで、相手はペースを乱される。
そういうかたちを1つの打席とか1球で作っていけっていうのは
1番うるさく言ってましたね。
欠点なんかあったらね、そこ徹底的に調べてきますよね
言葉は悪いですけど、だましあいっていうような感じですよ。
お二人にとっての甲子園と高校野球
お二人にとっての甲子園とはどんな場所ですか?
今まで練習してきた事をすべて出して、全国に通用するのかを検証する場
なんじゃないかと思います。
1番思うのは人間を大きくしてくれる場所だと思います。
あと自制を求められる場所でもあると思います。
「甲子園出てたじゃないか、何やってるんだ」という、1つの自分を律するものに通ずると思います。1番は考えてきたこととか日々の行動で自分をきちんと前へ進めていく力になる場所だと思っています。
お二人にとって高校野球とはなんですか?
中村さん
野球は教育そのものであるという風に思っています。野球というのは人生の縮図ですよね。自分を犠牲にしなきゃならないようなこともあれば、自分を乗り越えていかなきゃならない。そこから信頼関係とか人と人との繋がりとか、謙虚さとかを野球を通して身に付ける。とにかく人間が生きていく力を身に付ける、そういう場じゃないかと思います。
中原さん
かっこよく言えば、人間を成長させる場だと思います。野球というスポーツはお互いに
協力して、人間の良さを知る場所だと思っています。
失敗もあり、成功もあり、思うようにいかない事もあり、そういうものをどうやって前向きに片づけていくかっていう力もつくと思いますし、ある意味でいうと150キロのボールを打たなきゃいけない。これはもう言葉では表せない難しさがあります。
そうですね。
同じボールは一生に一度も来ないと思います。すべて違うボールで勝負しなきゃいけない。そのぐらいの変化ですから、日常生活でもどうやって対応するかっていうのも養われると思います。だからものすごく体も使うけど、頭も使うし。高校3年なり、大学へ行ってもやるとか、自分の思ったところでやり通して、
懸命にやった人が他の人より身につく機会が多いんじゃないかと思います。
最後に
もしまた同世代に生まれて対戦するとしたらどうしますか?
歯をむいて、むき出しでやります。
同じです。グランドに出たら勝負ですから。これはもう必死にやってね。
倒すことをやります。若さが取り戻せるならね、またやりたいですね。
だから中原さん、あんまりさみしいこと言わないで。
ぜひ、まだもう少し頑張ってもらいたいです。それが私の願いでもあります。
これからは長生きする事ですよ。
長生きしないと野球もできないから…(笑)
また、ぜひ力を貸してもらってもうちょっとレベルを上げてほしいね
そうですね。高校野球はやっぱり大好きですから、長野県のどこの高校でもいいから強くなってもらいたい。そしてそういう若い生徒がたくさんでることを望んでいます。
初めての対談、いかかでしたか?
うれしかったですね。中原さんとこんなに元気でお話できるっていうのは。
今度また機会があればお話したりしたいと思っています。
中村先生、今日はありがとうございました。