ページの本文へ

エピソードを
投稿する

dearさんてつ〜40年ありがとう〜

みなさんの三陸鉄道との思い出を教えてください

“三陸をひとつにつなぐ”
地元の夢を背負い、40年前に開業した三陸鉄道。
東日本大震災や台風19号など、幾多の困難に負けず走り続けてきました。
通勤・通学、観光、復興、あまちゃん・・・
あなたは“さんてつ”にどんな思い出がありますか?

のんさん

朗読のん

俳優・アーティスト。1993年生まれ、兵庫県出身。
俳優、音楽、映画製作、アートなど幅広いジャンルで活動。

放送で紹介した内容はこちら

寄せられたエピソード

三鉄に初めて乗ったのは、開業の年の夏、娘が3才の時、あの洋風の駅舎が見たくて、島越まで行きました。 今は亡き主人と3人で海岸で遊び、内陸育ちの私はとても楽しかったです。 なので、主人が亡くなってからも何度も島越を訪れて、震災のあとの駅舎から、工事中の防波堤を眺めたり、あたりを散策したり、お弁当を食べたりして、のんびりする場所になりました。 【○○】さんでしょうか、駅舎でお茶をいただいたり、昔、この辺りはにぎやかだったと話してくれました。 行けたら、もう一度行ってみたいです。 駅の仕事を休めない【○○】さんへ北上展勝地のきれいなさくらの話をしてさし上げたいものです。 手土産持参でまた島越に娘と行くのが今の私の夢です。

岩手県・70代・女性

僕と三陸鉄道との出会いは2013年、朝の連続小説あまちゃんです。アキ北三陸に降り立った時、失恋の時、旅立ちの時、大事な場面に登場する北鉄の姿はとても魅力的でぜひ乗ってみたいと思っていました。 初めて三陸鉄道に乗ったのはそれから5年後の2018年3月。2011年5月にボランティア行った気仙沼の記憶が訪問をためらわせていました。 しかし、三陸鉄道沿線は決して元通りではないけど、着実に復興に向けて進んでいて、僕たちを温かく迎えてくれました。 震災を乗り越え、台風被害を乗り越えて走り続ける三陸鉄道は遠く離れたところに住んでいる僕たちにも勇気を与えてくれています。 車体の赤と青のラインは人と町を流れる血液みたいです。 いつまでも、町と人を繋ぐ動脈として、走り続けてください。

東京都・50代・男性

高校の3年間ほとんど毎日お世話になりました。(学校が休みの日でも、部活や課外授業、友達と遊ぶなどで本当に毎日のようになっていました。笑) 私と同じ高校に進学した同性(男)の中学の同級生はおらず、今思えば、高校で初めてできた友達は隣の駅から乗る子でした。 出発時刻ギリギリまで友達と過ごし、盛駅裏の駐輪場から三鉄までダッシュした日々がとても懐かしいです。 私にとって高校の3年間はとても楽しく、輝かしい日々でした。私の青春は三鉄と共にありました。 今は地元から離れていますが、たくさんの思い出がある三鉄を遠くから応援しています!これからも、たくさんの高校生の青春と共に走ってくれ!がんばれ三鉄!

北海道・30代・男性

今から31年前に高校卒業後、県内地元企業に入社して、大船渡で仕事をしておりました。当初の3ヶ月位は、車を所有していなかったため、大船渡から実家の宮古へ三陸鉄道で帰省していました。また、仕事で毎日三陸鉄道に行き、駅事務所内のアットホームな感じと社員の方々皆さんが感じよく接してくださったことが今も印象に残っております。

岩手県・40代・男性

三陸鉄道とみなさんとの思い出を教えてください

エピソードを投稿する