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宮崎の恥と言われた球児 高校野球史の伝説 ドキュメント20min.

  • 2023年07月28日

61年前の暑い夏。戦後アメリカ統治下の時代、沖縄高校は沖縄勢として初めて実力で甲子園への切符を手にしました。
一方、敗れた宮崎大淀高校のエース・三浦健逸の人生は大きく変わりました。
かつて甲子園出場をかけて、宮崎と沖縄の代表どうしが戦った「南九州大会」でのできごと。

甲子園出場かけた南九州大会

宮崎市中心部にある宮崎県営野球場で行われた全国高校野球選手権「南九州大会」。
まだ高校の数が少なかった当時、甲子園に出場するのは今のような1県1代表ではありませんでした。宮崎と沖縄の代表どうしが争った「南九州大会」は、1960年から15年間開催され、勝った高校が甲子園に進んでいました。

1962年、宮崎代表の大淀高校と沖縄代表の沖縄高校が甲子園出場をかけて戦った試合。大淀高校は2年ぶり3回目の甲子園出場がかかっていました。前年、前々年はともに宮崎代表が沖縄代表を制し、甲子園に出場。今回も宮崎代表の勝利は間違いない。誰もがそう思っていました。

異様な雰囲気に包まれた県営野球場

宮崎と沖縄で交互に開催されていた南九州大会ですが、この年は宮崎での開催でした。5000人以上の観客が詰めかけたスタンドは超満員。フェンスによじ登る見物客まで出ていました。

本来なら大淀高校のホームともいえる球場ですが、試合前から異様な雰囲気に包まれていました。当時の新聞にその様子が記録されています。

宮崎日日新聞より
試合開始前、大淀のシートノックの時、突然ライトスタンドから夏祭りのミコシがなだれこんできた。異郷で奮闘する沖縄高校を応援するのだ

沖縄高校のスタンドには合同のブラスバンドの姿までありました。県予選で大淀高校に敗れた高校の有志が集まって沖縄に声援を送っていたのです。当時の沖縄はまだアメリカ統治下。沖縄から宮崎に来るにはパスポートが必要な時代でした。

三浦健逸さん

スタンドを見渡したら沖縄を応援する人のほうが多いんですよ。あれ?なんでみんな沖縄を応援しているんだろうと…動揺ですよね。ホームは宮崎のはずなのに

まさかの敗戦…

この試合、大淀高校は2-4で敗れました。南九州大会で宮崎代表が沖縄代表に負けたのはこれが初めてのことでした。下馬評を覆した沖縄高校は、記念大会などの特別枠での出場を除けば、沖縄県勢として実力で初めて甲子園出場を決めた歴史的な一日となりました。

そして、まさかの敗戦に、信じがたい声があがったことが当時の新聞に記されていました。

宮崎日日新聞より
“本県チームが沖縄に負けたのも初めてのこと。それだけに県営球場に詰めかけたファンの間では『本県の恥だ』という声も聞かれた”

『宮崎の恥…』三浦は試合後、自宅に戻ることができず、応援してくれた近所の人たちに合わす顔がないと離れて暮らす兄の家で2週間引きこもったそうです。屈辱的ともいえる敗戦は1人の球児の胸に、一つのとげとして刺さり続けることになります。

ドキュメント20min.

今年、三浦は80歳を目前にして、かつてのライバルたちと再会する旅に出ました。
共に投げ合った沖縄高校のピッチャー・安仁屋宗八はあの試合での勝利をきっかけに、社会人野球を経て広島カープに入団。1年目からプロ初勝利をあげ『沖縄の星』と称されるまでとなりました。

沖縄ナインにとってあの試合の意味とは何だったのか?時を越え再会する球児たちは何を語るのか?

「ドキュメント20min.」ラスト・イニング 宮崎 vs.沖縄
7月31日(月) 午前0:00 〜 午前0:20<総合・全国放送>※30(日)深夜 放送です

(左)安仁屋宗八さん・沖縄 (右)三浦健逸さん・宮崎
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