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“命がけ”の親子の電話 【エレナさん マリウポリから避難】

最大の激戦地・マリウポリでは、いまも10万人以上が取り残されていると見られています。外部との通信がほぼ断絶される中、エレナ・クラマレンコさんは、離れて暮らす娘と命がけで連絡をとりあった状況を語ってくれました。

“砲撃が目覚まし時計の代わりに…” 絶え間ない攻撃

エレナさんは、マリウポリの学校で子どもたちに歴史を教えていました。
ロシア軍の侵攻が始まった2月24日の朝、学校は大騒ぎになったと言います。大好きだった学校での仕事は、その日が最後となりました。穏やかな日々は一変、死と隣り合わせの生活を強いられることになりました。

エレナさん

「日中は、止まることなく、爆弾が飛んできました。私たちの家に当たらないように5分おきに祈りました。人生でこれほどまでに祈ったことはなかったでしょう。
夜になると、街から明かりは消え、完全な闇となりました。そんな中、爆撃が私たちに時間を教えてくれるようになりました。いつも大抵、夜中の2時に終わり、そして朝の6時に再び砲撃が始まるのです。侵攻前に日常だった『目覚まし時計が鳴ると、学校に行かなければならない』。そんな感じで、毎朝、目が覚めるのです」

通信が途絶えた街で…命がけの親子の会話

通信が寸断される前、エレナさんは、同じく激戦地のハルキウにいる娘と連絡を取り合い、お互いの安否を確認する毎日を送っていました。

〈エレナさん(左)とエレナさんの娘(右)〉
エレナさん

「ハルキウは、ずっと通信状況が悪かったです。私と娘は頻繁に電話で話していましたが、娘はこう言っていました『ママ、私たちは寝ていないの。私たちは、ずっとマンションの廊下で寝ているの。外に出るのはとても恐ろしい』と」

しかし、やがてマリウポリではインターネットが途絶。通信がつながるのは、街の一部の場所だけとなっていました。
ロシア軍の攻撃が続く中、エレナさんは命がけでその場所まで向かったと言います。

エレナさん

「インターネットにつながるためには、冒険をしなければなりません。何かの木の影に隠れるなど、絶対にロシア軍に見つからないようにしなければなりません。娘に『私は生きている』と伝えなくてはならないのですが、そうすると娘からは『ママ、考えてみて。私に生きていると電話をくれるけど、しばらくして私はSNSで、ママのいる地域に爆弾が落ちたと知るの。だから私はママが家まで辿り着けたかどうかわからないの』と返ってきます。私たちが電話をし終わった瞬間に、砲弾が飛んできたこともありました。非常に恐ろしかったです」

〈エレナさんの自宅マンション。ロシア軍の攻撃によって焼け焦げている〉

マリウポリでは次第に電気の供給も止まり、携帯電話の充電もままならない状態となっていました。エレナさんは、街のある場所に人々が持ち寄った発電機があることを知ります。

エレナさん

「自宅マンションのエレベーターホールの入り口付近に立っているときに砲撃が行われ…、その時点では、もうロケット砲などは“歌の響き”のようなものになっていました。もうそんなものにビクビクしたりはしていませんでした。
私は発電機の方に走っていきましたが、ただ充電できたのは1回だけでした。そして、その後、ロシア軍による包囲網が狭まり、私はもう自宅マンションの外に出て行くことはできませんでした」

娘との再会 しかし…

そして、3月15日。近所の住人の車に乗せてもらい、エレナさんは荷物を持たず、着の身着のままマリウポリを脱出。数日後、ウクライナ西部の街で、ようやく娘と再会することができたのです。
娘の無事も確認でき、自身も友人の家に身を寄せることができたエレナさん。
一方で、このままずっと友人の家に住み続けるのは難しいと感じています。
現在、行政からの財政的な支援も受けられておらず、家も財産も失う中、先行きに大きな不安を抱えていると訴えます。

エレナさん

「私には枕カバーすらない状態なのです。もう洋服のまま寝るのに慣れてしまいました。新たに家を借りなくてはなりませんが、何を元手に家を借りろというのでしょうか。
可能であれば、私は自分の街に戻って住みたい。でもそれはもうできません。私のような人は何十万人といるのです。世界のみなさんに聞いてほしい。どうか、マリウポリの人たちを助けてください」

みんなのコメント(1件)

感想
アカハゲ
70歳以上 男性
2022年4月19日
ロシアいやプーチンの残酷さは言葉に表せない。人間ではない!