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“最後まで伝え続ける”記者の決意【セルゲイさん・ハリコフ】

「今は対応が難しいです。街で火災が発生していて、取材に出なければなりません。明日の午前中にまた電話をください。私がもしここにいれば取材に応じます」

こう電話に出たのは「ハリコフタイムズ」のセルゲイ・ボボク記者。ウクライナ第2の都市ハリコフで30年以上記者を続けてきました。「自分たちが避難したら誰もこの街で起きていることを知ることができなくなってしまう」と、命をかけて報道を続ける覚悟を話してくれました。それから1か月近く。セルゲイさんは、燃えさかり崩れゆく街の現実を伝え続けています。

“ミサイルが落ちた場所に、軍事施設なんてありません“

およそ140万人が暮らすウクライナ第2の都市ハリコフ。
ロシアとの国境からわずか40キロに位置し、激しい戦闘の様子が連日伝えられています。

私たちが地元のニュースを発信する「ハリコフタイムズ」の編集部に初めて電話をかけたのは、ロシア軍の侵攻翌日の3月1日のことでした。
電話に出たセルゲイさんは冒頭のように話すと、名前を名乗ることもなく慌ただしく電話を切りました。
次の日あらためて編集部に電話をかけると、セルゲイさんはオンラインでのインタビュー取材に応じ、ロシア軍の侵攻直後の街の様子を語ってくれました。

<国際報道2022・3月2日放送>
セルゲイさん

「おとといロシアの戦車が街に入りましたが、ウクライナ軍の攻撃で追い返しました。街ではずっと銃撃が続き、連日航空機での爆撃を受けています。インフラが破壊され、学校や住宅も被害を受けています。ロシアは民間人には被害はないと主張していますが、違います。昨日だけで21人の死者、112人の負傷者が出ています。店もほとんど閉まっていて、パンも買えない状態です」

破壊された街の様子をカメラに収めるセルゲイさん。
ただ本当はハリコフは美しい街なのだと知ってほしいと語ります。
後日、ハリコフ市庁舎もある中心部の街並みを紹介する映像を送ってくれました。

セルゲイさん

「ここはハリコフで最も歴史的な場所です。ロシア軍のミサイルが落とされる前は、第2次世界大戦でも壊されなかった美しい建物がありました。軍事施設なんてありません。街の中心部で、オフィス、商店、カフェなどが立ち並んでいました。今はがれきの山ですが、私はその1つ1つを良く知っています。お気に入りのカフェで友人とよく会っていました。今は何もかもなくなってしまいました。ショックです。30年取材をしている街、生まれ育った街が燃えているのを見るのは本当につらいです」

“政権が降伏しても、私たちは戦い続ける”

ロシアによる攻撃が絶え間なく続く中、ハリコフでは街から避難する市民も少なくありません。
それでもセルゲイさんはジャーナリストとして地元に残り取材を続けたいと語ります。

<国際報道2022・3月2日放送>
セルゲイさん

「ガソリンがないので歩いて市内を取材して回っています。朝から夜まで仕事をしています。今の状況を伝えなければならないからです。もちろん死ぬかもしれません。家族も死ぬかもしれません。ただ、それは私の選択です。私たちが避難したら、誰がハリコフを守るんですか?誰がハリコフで起きていることについて状況を伝えるのですか。まだ仕事ができます。仕事ができる限りここに残ります」

命の危険と常に隣り合わせの状況。
「怖くないですか」とたずねると、極限状態の中でも、自分たちの日常を守ろうとする思いをユーモアを交えてこう語りました。

セルゲイさん

「もちろん怖いです。食べ物がなくなったらどうするか分かりません。実は飼っている猫と犬のエサがなくなったらと真剣に考えるんですよ。自分でも笑ってしまうのですが、本当なんです。私たちには食べるものがあるかもしれませんが、猫は違います。猫が目の前で死んでほしくないです。SNSでも『猫がいるから逃げられない、だから戦う』と書かれていて、本当にそう感じます。私たちは降伏しません。ウクライナの政権がたとえ降伏したとしても、私たちは戦い続けます」

<セルゲイさんがアップした写真>

3月23日、ハリコフタイムズのウェブサイトにはセルゲイさんが撮影した写真がアップされました。
記事の中では、1か月にわたって続くロシア軍の攻撃による街の被害を冷静に報告していました。
終わりの見えない軍事侵攻にさらされながら、今もセルゲイさんはハリコフから世界にニュースを発信し続けています。

みんなのコメント(1件)

感想
讃岐うどん
40代 女性
2022年3月30日
セルゲイさんや現地のみなさんがハリコフやウクライナの現状を伝えて続けてくれるから、遠く離れた国の私たちも、日々どうにかしたいと強く感じることができます。ハリコフが美しい姿を取り戻す日まで、何年も何十年も応援し続けていきたいです。