おもわく。
おもわく。

科学文明の進歩や経済的な繁栄を謳歌する一方で、「いじめ」「うつ病」「ひきこもり」等々のさまざまな心の問題が次々と噴出していた戦後日本。そんな中、人々の悩みに寄りそい、個人の物語に耳を澄まし続けた「こころの医師」がいました。河合隼雄(1928-2007)。日本を代表する臨床心理学者です。河合は、私たちが見過ごしてきた「心の問題」「人間の本質」を、単なる学術的な方法を超えて、瑞々しい言葉で縦横に論じてきました。彼の代表作「ユング心理学入門」「昔話と日本人の心」「神話と日本人の心」「ユング心理学と仏教」を読み解き、「心の本質とは何か?」「日本人の心のありようとは?」「人が再生していくには何が必要か?」といった問題をあらためて見つめなおします。
当初、河合は高校教師のかたわら大学院で心理学の勉強を続けていました。自分が本当に学びたい臨床心理学を学ぶためには海外に行かなければならないと考えて留学した河合は、やがてユング心理学と運命的な出会いをします。「心はなぜ病むのか」「心の根源とは何か」といった根本的な問題に対して、「普遍的無意識」「元型」「個性化」といったこれまでにない概念で新しい手がかりを与えるユング心理学に魅了された河合は、帰国後、その研究成果を駆使して、「心の問題」を抱える日本人たちに心理療法を施していきました。
その後、蓄積していった症例や夢分析などを通して日本ならではの独自の理論を構築していきます。河合がそうやって執筆した著作の数々は、結果的に独創的な「日本人論」「生き方論」ともなっており、専門家の領域を超えて、一般の多くの人たちが「自らの心の問題と向き合うための名著」として読み継がれているのです。
それだけではありません。河合隼雄は、培ってきた臨床経験を生かして「昔話」「童話」「神話」「仏教」などに研究領域を拡大。それらの分野でも画期的な業績を遺しました。それらは、西欧近代の自我意識とは全く異なる、日本人ならではの深層心理や文化の基層を鮮やかに解明してくれます。河合の著作は、価値観がゆらぐ現代にあって、私たちが、日本の文化の「あり方」や「独自性」を見つめなおすための大きなヒントを与えてくれるのです。
番組では河合俊雄さん(京都大学・こころの未来研究センター長)を指南役として招き、河合隼雄が追究し続けた独自の心理学やその応用研究を分り易く解説。彼の代表作に現代の視点から光を当てなおし、そこに込められた【生き方論】や【日本人論】【心を再生する知恵】など、現代の私達にも通じるメッセージを読み解いていきます。

5月25日(月)~28日(木) 午前11:30~11:54
Eテレ・サブチャンネルで一挙アンコール放送中!


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第1回 こころの問題に寄りそう

【放送時間】
2018年7月2日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2018年7月4日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2018年7月4日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【講師】
河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター長。臨床心理学者。著書に「概念の心理療法―物語から弁証法へ」「ユング―魂の現実性」など。)
【朗読】
要潤(俳優)
【語り】
墨屋那津子

人々の悩みに寄りそい、個人の物語に耳を澄まし続けた「こころの医師」河合隼雄は、私たちが見過ごしがちな「心の問題」「人間の本質」を、単なる学術的な方法を超えて、瑞々しい言葉で縦横に論じてきた。「心の問題」を解決に導くには、相手を客観的に「観察」するのではなく、その問題に主体的に関わり、その人の心に起きている現象をともに生き「経験」する必要があるという河合。それは、自然科学のように「いかに」を説明するのではなく、「なぜ」という問いを共に辿り、その人を揺り動かしている情動がおさめ心のバランスを取り戻していく過程を共に歩んでいく長い道のりだという。第一回は、「ユング心理学入門」の前半を読み解き、「心の問題とどう寄りそえばいいのか?」や「誰もがぶつかるコンプレックスとの向きあい方」などを学んでいく。

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第2回 人間の根源とイメージ

【放送時間】
2018年7月9日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2018年7月11日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2018年7月11日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【講師】
河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター長。臨床心理学者。著書に「概念の心理療法―物語から弁証法へ」「ユング―魂の現実性」など。)
【朗読】
要潤(俳優)
【語り】
墨屋那津子

心はなぜ病むのか? そしてどうやったら再生できるのか? 河合隼雄は、ユングが提唱した心の最も深い層にあるとされる「普遍的無意識」に注目。それは人類に共通する基層ともいうべきものだ。そこには「元型」と呼ばれる基本的な型のようなものがあり、それによって「影」「アニマ」「アニムス」「ペルソナ」「太母」といったイメージが、今の自分の心の状態を映し出すように生まれてくる。そこに表現された不均衡こそが「心の病」をもたらすのだ。主に夢の中に現れるこれらイメージをどのようにうまく統合し自己実現していくか? 第二回は、「ユング心理学入門」後半から、自分たちの内なる「イメージ」への向き合い方を読み解き、「心を再生していくために必要なこと」や「心をより豊かにしていく方法」を学んでいく。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:植木雅俊
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第3回 昔話と神話の深層

【放送時間】
2018年7月16日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2018年7月18日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2018年7月18日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【講師】
河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター長。臨床心理学者。著書に「概念の心理療法―物語から弁証法へ」「ユング―魂の現実性」など。)
【朗読】
要潤(俳優)
【語り】
墨屋那津子

「浦島太郎」「うぐいすの里」など日本人に古くから親しまれてきた昔話の中に、西欧近代の自我意識とは異なる日本人独特の意識が現われていることを解明した「昔話と日本人の心」。世界の神話との比較の中で「古事記」「日本書紀」を読み解き、「中空構造」という現代の私たちも逃れない深層構造があることを明らかにした「神話と日本人の心」。昔話や神話といった古くから伝わる物語は、いわば私たち日本人の心の深層を映し出す鏡だ。また、昔話や神話は、私たちが生きていく上での知恵の宝庫でもある。第二回は、昔話や神話からみえてくる、日本人の心の深層構造や生きる知恵を学んでいく。

アニメ職人たちの凄技アニメ職人たちの凄技
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第4回 「私」とは何か

【放送時間】
2018年7月23日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2018年7月25日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2018年7月25日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
2018年7月30日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
2018年8月1日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2018年8月1日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【講師】
河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター長。臨床心理学者。著書に「概念の心理療法―物語から弁証法へ」「ユング―魂の現実性」など。)
【朗読】
要潤(俳優)
【語り】
墨屋那津子

世界トップクラスのユング心理学者を招いて行われるフェイ・レクチャーに日本人として初めて招聘された河合隼雄の講演を記録した「ユング心理学と仏教」。臨床心理学の研究を深めるにあたって、日本人である河合がいかに仏教の力を意識するようになったかを自らの個人的経験を交えて語っている。そこで期せずして見えてきたのは、日本における「私」のあり方。西欧とは異なり、日本での「私」は、自他が浸透し合った流動的な存在なのである。それは、心の治療を行う上でも新しい地平を開く新たな視点だった。第四回は「私とは何か?」という人間にとって最も根源的な問いに仏教と臨床心理学の双方から新たな光を当てるとともに、「人間は他者とどう関わっていけばよいのか」「苦しみや悩みを乗り越えて再生していく力とは何か」を学んでいく。

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○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『河合隼雄スペシャル』 2018年7月
2017年6月25日発売
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こぼれ話。

河合隼雄の「幸福論」

個人的なお話になりますが、河合隼雄さんの著作は、私の人生のパートナーともいうべき存在でした。とりわけ壁にぶつかったり、困難に直面したときに読み返し、そのたびに打開のヒントを与えてくれる存在。実際、私の手元には「河合隼雄語録」とでもいうべき重要な言葉の抜き書きがあり、今もふとした瞬間に読み返しては、さまざまな示唆をもらっています。

今、世の中は、いろいろな意味で曲がり角にきており、「心の問題」が原因の一つになるような、さまざまな事件や社会問題が噴出しています。この時期に、河合隼雄の著作をきちんと読み直す意義は深いのではないか。1年くらい前からそんなことを考えはじめていました。

ただ、講師に誰を選ぶかが最大の問題でした。番組の講師を選ぶ際に大きな基準としていることが二つあります。まずはその名著を愛し、深く読み込んでいること。でも実はそれだけでは解説は難しい。その名著を深く愛しながらも、距離をとって客観的な視点で読み解くことができる。これも大事なもう一つの基準です。愛しているだけでは、その名著への愛情告白だけに終わってしまうおそれがあります。しかし、距離をもちすぎてしまうと、ドライな解説に終始して、逆にその名著の生き生きとした魅力が伝わらなくなる。この絶妙なバランスが非常に難しい。

「河合隼雄スペシャル」の講師候補として、5人ほどの人たちとお会いしてお話を聞いてみました。哲学者、人類学者、宗教学者、批評家……。いずれも生前、河合隼雄さんと交流のある方々で、対談などもされ、ご本人のお人柄もよくご存知のかたがたです。しかし、不思議にも「河合さんの本は大好きなんだけど、ご本人と距離が近すぎて、たぶんうまく語れない」と多くの方々がおっしゃるのです。研究ジャンルは全く異なるので、個人的には、「この人だったら、客観的に語れるのでは」と思ってオファーしたので、とても意外でした。

そして、これも不思議なのですが、「俊雄さんがいいんじゃないかな」という助言をしてくれる人がとても多い。もちろん、河合隼雄さんの長男でもあり、隼雄さんのさまざまな著作を編纂もされている俊雄さんのお名前は、私の中でも当初念頭にあったのですが、「肉親だから、距離が近すぎて語るのが難しいのではないか」という思いが強く、あえてお会いするのを避けていました。

多くの人が「距離が近すぎて語れない」という河合隼雄さんを、一番距離が近い肉親の河合俊雄さんが果たして客観的に語ることができるのか。そんな思いを抱きつつ、多くの人たちの助言に従って、一度お会いすることにしました。そして、実際にお話してみて、懸念が払拭されました。河合俊雄さんは、ご自身と隼雄さんとの「距離」が近すぎるからこそ、逆にきちんと「距離」をとろうと自覚的に取り組まれていることが強く伝わってきたのです。

もちろん語りにくいところも多々あったかと思います。また思わず、肉親としての思いがあふれてくるような瞬間もありました。ただ、あくまでに冷静に、そしてできるだけ客観的に、視聴者にきちんとつながるような解説を、悩みながら真摯に模索している姿勢は、常に一貫していました。やはり河合俊雄さんにお願いしてよかったと、収録を終えた瞬間にしみじみと思いました。

私は、常々、河合隼雄さんの著作は、一つの「幸福論」としても読むことができるということを感じ続けていました。一見、心理療法家向けに書かれているような少し専門的な著作も、私たちの日常の人間関係や心との向き合い方に貴重な示唆を与えてくれます。そして、その言葉の数々は、私たち一人ひとりがどうしたら「幸福」へ近づくことができるかというテーマにつながっています。俊雄さんにもせっかく解説いただきながら、時間の関係でどうしても最終回にいれることができなかった一つのエピソードを紹介し、私自身の感想も交えて、河合隼雄さんの「幸福論」というものを考えてみたいと思います。

「ユング心理学と仏教」の最後のほうに、一つの箱庭療法の事例が紹介されています。赤面恐怖でひきこもってしまった二十歳近くの青年が創った箱庭です。砂に埋もれ顔だけ出した少年の顔が箱庭の中心にあります。赤面恐怖を表すかのように、顔を火であぶられているその少年は、恐ろしい怪獣たちに取り囲まれています。まさに彼が置かれている現状が如実に表現されています。

ただ、怪物たちの背後には花壇や女性が置かれていて、楽しい世界が広がっています。話を続ける中で、その男性は、二人の人物をその二つの世界の境界近くに置きました。河合隼雄さんは、それを治療者の自分とクライエントであるその男性だと考えました。そこで、「一緒にこの楽しい世界に入って行けるように努力しよう」と励まし、治療を続けたといいます。かなり長い時間はかかりましたが、その男性は少しずつ治癒していったといいます。

すばらしい事例だと思い、研究発表でたびたびこの箱庭の解説していた隼雄さんでしたが、あるとき全く違う考えが浮かんできました。中心にいたのはその男性だけではない。この箱庭は、主客分離以前の世界なのだから、治療者である自分も一緒にその中心にいたのだ、と。そして、同時に、この外側に置かれている楽しい世界は、むしろ、もう一方の苦しさや悲しさに満ちている中心部分によって支えられているのだと、直観したといいます。

隼雄さんは、「治す方」「治される方」といった区別にとらわれてしまい、このことに気づくことができなかった。だから治療が長引いてしまったのだと反省するのです。実は、治療者の本来の役割は、この中心に位置を占めることではないか。クライアントと分離しがたいほど深いレベルにおける、苦しみとかなしみの中に身を置いていると、自然に日常の世界が開けてくるのではないか。そのような結論に至る河合隼雄さんのとらえ方に、私は深く心を揺さぶられました。

河合隼雄さんは、「幸せ眼鏡」という別の連作エッセイの中で、晩年に体験したフルート修行の中で学んだ例を引きながら、治療の現場で体験したこの深い直観を、「幸福論」として敷衍しています。フルートは単音しか鳴らないけど、鳴らすときに常に、実際には鳴っていないその音の和音を意識していなければ決していい音色にならない。また高い音色を出すときには、それにひっぱられるように体が上に上がってしまってはだめで、むしろ体のほうはおなかの下のほうへ下がっていき、その高い音を支えるようでなければならない。そのように先生に指導されたという隼雄さん。

フルートのよい音色が「音のない音」に支えられているように、人間の幸福が深い厚みをもつためには、その裏側で「深いかなしみ」によって支えられていなければならない。でなければ、その幸福は浅薄になってしまうというのです。ここには、河合隼雄が長年にわたって続けた洞察の一つの結論があります。それは、私たちが幸福を考える上で決して忘れてはならない「理」だと、私は心に刻んでいます。最後に、河合の幸福感が凝縮したその一文を引用して、この「こぼれ話」を終わらせていただきます。

「幸福ということが、どれほど素晴らしく、あるいは輝かしく見えるとしてもそれが深い悲しみによって支えられていない限り、浮ついたものでしかない、ということを強調したい。恐らく大切なのはそんな悲しみのほうなのであろう」(「河合隼雄の幸福論」より)

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