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松山にルーツをさがして 日系アメリカ人の親子

  • 2024年04月01日

ことし3月、ある日系アメリカ人の親子が日本を初めて訪れ松山市にある先祖の墓参りをしました。長年どこにあるか分からなくなっていた墓を日本人の協力を得てさがした親子には、特別な思いがありました。

(NHK松山放送局 勅使河原佳野)

特集の内容はNHKプラスで配信中の3月29日(金)放送「ひめポン!」(NHKTV午後6時10分~)でご覧いただけます。

画像をクリックすると見逃し配信が見られます!見逃し配信は4/5(金) 午後6:59 まで

先祖の墓参りをするために日本へ

今回、先祖の墓参りをするために初めて日本を訪れたのは、日系3世のアメリカ人、ステイシー・スコビルさんと息子のデイルさんです。

ステイシーさんの祖父、江戸重祝さんは1906年にアメリカに渡った日系1世で、家族とともに移住して現地で農学を学びました。

ステイシーさんは祖父の重祝さんや祖母などから、みずからのルーツが松山にあると聞いて育ちました。いつかは先祖の墓参りをしたいと考えていましたが、祖父母が亡くなり墓の場所を聞ける人がいなくなったといいます。

ステイシーさん
「私たちは自分の家族の歴史について、何年にもわたってすばらしい話をたくさん聞いてきました。私たちはその証拠を探したいと思っていました」

実は5年前、ステイシーさんの父親も松山市を訪れて先祖の墓をさがしましたが、見つかりませんでした。

親類の連絡先は知らず、知人もいないなかでどうすれば墓を見つけられるのか。ステイシーさんは、日系人がみずからのルーツを探るために使っているSNSに先祖についての情報を投稿しました。

その投稿に応じた橋本直樹さんです。福島県出身で去年までは愛媛県に住んでいました。
10年ほど前から東日本大震災の復興を支援してくれた日系人に恩返しがしたいと、ボランティアで先祖さがしを手伝っています。

橋本直樹さん
「愛媛と福島に関するものは目を通して、動ける範囲で動こうと思いました。松山だということまでは確実に分かっていたので、何かできるかなと感じたのです」

橋本さんは電話帳に載っている松山市の「江戸」さんに毎日のように電話をかけ続けたといいます。

橋本直樹さん
「全部電話をかける。何回もかけると。“分かりません”と言われても、 “年配のご親戚の方でこの名前知ってる人いませんか?”と。そうしたら1人だけ、なんだか気になる、知っているような名前だと思われるということで、私の留守番電話を聞いて電話がかかってきたんです」

橋本さんに電話を折り返したのが、松山市の江戸通敏さんです。ステイシーさんの遠縁で、曽祖父の名前に心当たりがありました。

江戸通敏さん
「妻のいとこがちょうど先祖さがしをしている時に、ステイシーさんの曽祖父の名前を把握していたんです。そのことがなかったら、たぶんその1本の電話にも反応しなかったと思います」

その後、江戸さんはステイシーさんの先祖の墓さがしを始めました。近所の寺などに問い合わせたほか、ステイシーさんが持っていた一族が墓標の前で撮影した写真をもとに確認した結果、墓の場所を特定することができました。

江戸通敏さん
「奇跡的というかね。そういう情報を僕が持っていなかったらつながらないですし。ふるさとを見てみたいという思いがかなわずに日本に来られない人もいるだろうし、すべてがつながって墓を探すことができたというのは本当に不思議な縁やなって思いますね」

ことしの3月4日。ステイシーさんたちは先祖がまつられている松山市の繁多寺を、江戸さんと橋本さんと一緒に訪れました。寺での供養も初めて経験し、日本で暮らした先祖たちを敬いました。

そして、念願の墓参りも実現しました。

ステイシー・スコビルさん
「祖父は父に、そして父は私に、祖先を敬うよう人生を送りなさいと教えてくれました。それを実現できたことが本当にすばらしいことだと思います。私を助けてくれた人全員が私たちのために情報をつなぎ合わせて明らかにしてくれたんです」

デイル・スコビルさん
「家に帰ったら、家族に私たちが学んだ全てのことと、ここで見たすばらしい出来事について伝えたいです。次はほかの家族とも一緒に来ることができたらいいなと思います」

アメリカから遠く離れた松山で家族のつながりを実感したステイシーさんとデイルさん。
このつながりは次の世代に受け継がれていきます。

特集の内容はNHKプラス配信終了後、下の動画でご覧いただけます。


 

  • 勅使河原佳野

    勅使河原佳野

    2019年入局の記者。
    大学時代はアラビア語を専攻し、中東のエジプトとパレスチナ、ヨルダンに留学していました。

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