ヤノマミ民族・リーダーが来日 法然院・貫主と対談
- 2024年04月30日
外部との交流がほとんどないアマゾンの先住民、ヤノマミ民族。今回、そのリーダーが京都にやってきました。
持続可能な社会へ向けた取り組みが世界的にも問われる今、動植物や環境と調和した暮らしを営んできたヤノマミが語るメッセージに迫ります。
ヤノマミ民族が置かれた実態
4月12日。ヤノマミ民族のリーダー、ダビ・コペナワさんが来日しました。
宗教的儀式をつかさどるシャーマンでもあります。
ダビさんが日本に来た目的は、ヤノマミが置かれた実態を伝えること。
京都市内で開催される国際的な写真祭、「KYOTOGRAPHIE」の主催者が招聘(しょうへい)したことで来日が実現しました。
ヤノマミがアマゾンの森に住み始めたのは1万年ほど前。
アマゾンに300近くある先住民族のうちで最大規模の民族であるヤノマミは2万2千人ほどが暮らしています。
自然のなかにいる精霊を信仰し、独自の文化や風習を守ってきました。
私の民族は自然の偉大な魂と繋がって生きる必要があります。自然は命そのものであり、ヤノマミ民族が生きる源なのです。
しかし今、そうしたヤノマミの暮らしを脅かす事態が生まれています。
金の違法採掘などにより、次々に森林が破壊され、先住民が命をおとすケースが出ているのです。
みなさん、どうか、金の違法採掘によって驚異にさらされ続けているヤノマミ民族のことを知ってもらい、伝えてください。これが、私から皆さんの心に捧げるメッセージです。
京都大学・学生へのメッセージ
日本の若者たちにもヤノマミが置かれた状況を知ってほしい。
ダビさんは、京都大学での講演に足を運びました。
集まったのは、農学部の学生たち。
持続可能な農業を学んでいます。
「私は先住民族のリーダーです。私たちの民族は長年にわたって、森と共に暮らしてきました。」
ダビさんが話したのは、行き過ぎた農地開拓が、暮らしを脅かしている実態でした。
「アマゾンでは今、大規模な農場を作るために、広大な森の破壊が進んでいます。」
1時間半ほど続いた学生との対話。
最後に、ダビさんは、農業の未来を担う若者たちへの期待について、語りかけました。
「たとえ、今はこのやり方でうまくいっているように見えても、将来的に一体どうなるのか、世界中で耕す土地がなくなってしまうのではないか。その心配を、いま私たちはしなければいけません。ですから、皆さんは生まれてきた土地を守るための知恵をぜひ学んでください。それが皆さんに伝えたいメッセージです。」
宗教家同士の対話
あるお寺を訪れたダビさん。日本人に根付く、自然との向き合い方を学ぼうとしていました。
大文字山の麓にたたずむ法然院。およそ800年前、念仏の教えを広めた僧侶、法然ゆかりの寺です。
人間も自然の一部だと捉えているこのお寺。
ここには、長い時間をかけて育まれた森に生きる、無数の生物が暮らしています。
貫主の梶田真章さんです。
自然に囲まれた法然院で、自然との向き合い方を考え続けてきた梶田さんと、長年森と共に暮らしてきたダビさんが話し合いました。
自然との向き合い方
オママについて話したいと思います。オママ・バタヤイという名で知られていますが、私たちヤノマミはオママと呼んでいます。世界の始まりにおいて、大地とともに最初に生まれた者がオママと名づけられたのです。
オママという名には「力強い」という意味があります。オママは、皆さんが神の名を使うように、ヤノマミも彼の名を使います。
日本人も大昔は全てのものを、例えば山とか岩とか滝とか、そういうものを畏れ敬って、そしていつも自然の恵みをいただいてることに感謝して生きてきたと思います。ヤノマミっていうのは「人間」っていう意味だと聞いているんですけれども、ヤノマミ語に、いわゆる英語とかポルトガル語でいう「自然」という言葉はありますか。
私たちは自然という言葉を使わず、ウリヒという言葉を使います。ウリヒは森を表わします。マチタは大地です。マーマは石です。マウムは水です。それら全てを統合すると、この大地は一つになるのです。私たちとともにある石や水そして森の一体化なのです。だからこそ、私たちは自然ではなく、こうした言葉を使うのです。
境内では、カエルとかが鳴いたり、向こうにハチが来てますけれども、私は生まれる前はカエルだったかもしれないし、ハチだったかもしれないなどの物語を信じているわけなので、輪廻思想に生きる仏教。そういう意味で生き物同士はみんな仲間ですって考える宗教です。
私たちは、森と共にあるという感覚です。私たちは、畑を耕し、住まいをつくります。それを、私たちの手がつくりだします。それは、自然の中の営みの一つではありますが、生きると言うことは自然と大地と共にあるということです。私たちの母なる大地が教えてくれた事です。私たちはヤノマミであり、母なる大地を壊さないように、食料、木々、清らかな水を絶やさないように配慮しています。私たちは、この素晴らしい宇宙を次の世代に手渡すために、そして生き続けるために、果たすべき役割を実現したいと思います。
持続可能な社会を目指すために
ちょっと聞きにくい質問をしますけれども、ヤノマミの中には争いはありませんか。ずっと平和に、ヤノマミの中では暮らしてこられたんでしょうか。
私たちが手に持つ武器は弓と矢で、一人に一本しか持てません。一方で、近代的な国が持つ武器は爆弾です。一発で何千人もの子供たちが命を落とします。確かに、かつてヤノマミ民族は争ったりしていましたが、私たちの戦争はそのようなものではありません。
私たちの先祖達の争いごとには、相手を殺すということもありましたが、女子供は殺さないという決まりがあります。何か村の中で争いごとが起きれば私たちのような長老が間に入って、みんなで座って話し合うように仕向けます。コミュニケーションを取らなければ、殺し続けます。身内の人生を壊さないように、戦士たちに話を聞かせる力を持っている長老たちとじっくり話し合う必要があります。
仏教の世界では、どのような目に遭わなくちゃいけないか分からないから、輪廻の世界に生きることには疲れた、苦しいと思った人がそこから解脱という方法を考えたのが釈迦の考えた仏教でした。どうやったらそこから抜け出すのか、解脱するのかということでした。私たちのその輪廻している原因は、要は私たちの愛、執着にあると考えて、その愛、執着をなくせば、輪廻から抜け出せるんだというのがもともとの仏教でした。ですので、執着をなくすという修行をしなくてはいけないというのが、仏教の修行でした。
苦の原因は私たちの愛、執着にあるから、そこから抜け出す、一緒に抜け出そうよというのが仏教だと思います。なので、仏教でいうと愛は地球を救わないということになります。愛するから戦争が起こる。愛国心が戦争の原因となります。
ヤノマミの土地にはオママから与えられた食料があり、実をつける作物があり、私たちが食べるものすべてがあるのです。誰もがこのような道を歩めば、互いに争い合うことはないと思います。土地と鉱物をめぐる侵略者と先住民の争いもなくなるでしょう。鉱物のことで争って時間を無駄にしたくないです。私はヤノマミと健康のために戦っています。
自分が生きていくよりどころ、よって立つところをどこに求め合って、それを尊重し合って生きることができれば、いさかいはなくなりますけれども、私が信じてるものこそが正しいという方が世界にはまだまだたくさんいらっしゃるので、それを人に押しつけようとすると、いさかいがなくなることはないというのがこの世界のありようかなと思います。
ヤノマミの方がずっと、ご説明いただいたようなずっと大事にされてきた物語。それは私たちが忘れている、もともとの日本も持っていた、万物に対する畏れ敬いと感謝の心をもう一回みんなが取り戻すという意味では大事なことを教えていただいているんだというように思っています。
初めての対談で確かめ合ったこと
1時間ほど続いた2人の対談。
自分たち自身、自然に生かされている存在として、それぞれの立場でつとめを果たしていこうと、確かめ合いました。
人々は文明と共に生まれたのではなく、大地と共に生まれたのです。私たちはみな同じ人間です。私たちは言葉も習慣も異なり離れ離れになりましたが、実際は同じ文化を共有しているのです。私たちが使っている言語は違いますが、同じルーツを持っています。
私は森の一部、そして全体であるという言葉が非常に印象に残りました。仏教にも私は一つの生き物であり、宇宙全体であるっていう、世界全体だっていう言葉があります。仏教語では一即一切と言いますけど、私は全ての存在を凝縮してここにいるんだという意識で、そのまわりがあってこそ私がここにあるっていうことです。生き物同士のバランスを取り合ったつながり合い、支え合いで、世界をできれば平和な形で存続させていくために私も微力ながら力を尽くしていきたいと思います。きょうはありがとうございました。
日本人とヤノマミの対話は初めてです。このような機会が欲しかったのです。私はあなたのことをリスペクトして耳を傾けています。あなたも私のことをリスペクトして下さっていると感じます。私たちはお互いをリスペクトしています。私たちのこの対話は私の記憶にずっと残るでしょう。とても素敵な出会いでした。今日あなたとの対話は兄弟同士そして同じ人間同士の対話だと受けています。お互いに知恵を交換し合って、教え合い学び合いながらともに歩んでいきたいと思います。今日という日があって明日があります。明日は未来です。
持続可能な社会とは何なのか。
ヤノマミ民族のリーダーの言葉が、問いかけています。