人吉の町に再び明かりを…
- 2023年02月17日
被災時78歳、それでも再建にかけた思いが
2020年7月の豪雨で甚大な被害を受けた人吉市。
中心部で長年営業してきたラーメン店「大勝軒」も被災しました。
元の場所で再開するまでの2年半を、追いました。
(熊本局記者・岸川優也)
店を営むのは、原田政勝さんです。
被災するまでの28年間、観光地・人吉市の中心部にあったこの店を1人で切り盛りしてきました。
旅館やホテル、居酒屋にスナックが建ち並んでいたこの場所。
主なお客さんは観光客と、飲み会後の地元の常連客でした。
年中無休で深夜の2時まで営業し、「締めの一杯」でラーメンを食べに訪れる人が多かったといいます。
しかし、被災した時点で原田さんはすでに78歳。再建には費用も時間もかかります。
町なかは大きく傷つき、元のような形で営業できるのは、誰の目にもかなり先のことのように思われました。
それでも、原田さんはこの場所で再開したいという強い思いを抱いていました。
「人吉への愛着と、お客さんの笑顔が見たかけんですね」
「人吉は被災してしまって、空き地だらけ。お店をやめる人の話も聞きます。だけど、自分が店を再開すれば、他の皆さんにも頑張ろうという気持ちになってもらえると思うとですよ。
今はこの町に明かりは少なくなってしまったけど、自分が再開することで明かりをともして、町を元気にしていきたい」
前を向く原田さん。
ここから、2年半にわたる取材がスタートしました。
仮設商店街からのスタート
原田さんは当初、被災した店を改修しての再開を考えていました。
しかし、2階まで使った建物のダメージは大きく、安全上、解体をせざるを得ませんでした。
原田さんが頭を悩ませていたとき、耳にしたのが仮設商店街の話でした。
市が被災した事業者向けに12月ごろに人吉駅前に設置する計画で、中心部からは少し離れるものの、再建の足がかりにしてもらおうという狙いでした。
「まずは町に少しでも早く明かりをともしたい」、そう考えた原田さんは、仮設商店街に申し込むことにしました。
それからの原田さんの動きは驚くほど素早いものでした。
なるべく早い日取りで開店できるように計画を立てると、店の鍵を受け取ったその日のうちに調理道具を搬入し始めました。
原田さんは仮設での再開にあたって、新たなチャレンジも。
自慢の自家製麺で、6メートルもの長さの麺を作ったのです。
名付けて“長長長メン 球磨川ラーメン”。
球磨川の長さをイメージした、新メニューです。
「話題性のあるメニューば作って、商店街に人を呼び込まんとね」
そして鍵を受け取ってからわずか一週間後の2020年12月25日。
原田さんは仮設商店街での再開を果たしました。
再開の日の昼、店は多くのお客さんで賑わいました。
元の店の常連客に復興工事の関係者。みな笑顔でラーメンを食べていました。
変わらない味に、「これからしばらくはこっちに通います」と話す人の姿もありました。
それを見る原田さんの顔もほころびます。
「久しぶりにお客さんの笑顔が見れて良かった、笑顔が一番です」
この日はNHK熊本放送局のニュース、クマロク!の最終日。豪雨のあった2020年を人吉の明るいニュースで締めくくろうと、原田さんに中継に出演してもらいました。
その後、“長長長メン球磨川ラーメン”は一躍、各メディアでも紹介される人吉の復興の象徴的なメニューになりました。
その後、仮設商店街には1号店の原田さんの店に続いて少しずつ入居者も増え、人吉の町の賑やかさに貢献してきました。
仮設での課題も…
仮設商店街での営業は、昼は順調でしたが、夜はお客さんが少ない傾向にありました。
「ただでさえまだ人吉は人が少ないし、夜はこっちまで人が来んけんね…」
宿や居酒屋がある中心部からは少し距離があり、元の店のようにお酒を飲んだあとの人が訪れることはあまりありませんでした。
元の場所の近くで営業していたスナックのママや常連からは、
「いつこっちに戻ってくると?」と聞かれることもあったといいます。
やはりいずれは元の場所に戻りたい。
町の中心部で明かりをともしたい。
原田さんは仮設での営業を大事にしつつ、その思いで準備を進めてきました。
町を照らす黄色い光と「締めの一杯」
そして、豪雨からおよそ2年半となる2022年の12月初旬。
ついに元の場所でのお店が完成しました。
店内は以前より少し狭くなったものの、よく似たレイアウトに。
最大12人が店内に入れます。
メニューも種類豊富。
もちろん、仮設商店街に入る時に考案した“長長長メン 球磨川ラーメン”も健在です。
夜の営業は夕方5時から深夜の2時ごろまで。被災前と同じ、飲み屋が多い町なかならではの時間です。
夜の営業の準備から閉店まで、店に密着しました。
準備中から、通りがかった人が店をのぞきます。
「おやっさん、こっち戻ってきたとな。あとで食べに来るけん」
その声を聞いた原田さんも、嬉しそうです。
「やっぱり戻ってきた感じがするね」
そして…。
「じゃあ、始めようか!」
夜の営業が始まりました。
開店すると、まず訪れたのは3人組の観光客。
この日人吉で行われたイベントに参加したあと、宿の近くで営業しているのを見かけて訪れたんだそう。
注文したのは球磨川ラーメン。麺の長さに、思わず笑顔になりながらすすります。
「去年も人吉に来たんですけど、町なかに少しずつ店も増えてきた感じがします。この町が復興していくと良いですよね」
その後も絶え間なくお客さんが訪れます。
こちらの3人組は元の店の時からの常連。きょうは飲み会のあとに訪れていました。
「店内、昔の店と全然変わらんね!」
うれしそうに話しながらラーメンを待ちます。
いつも頼んでいたという塩バターラーメンを食べると、
「味も前と全然変わらない、やっぱうまいね!」
「いつも飲んだ後にシメの一杯で食べに来てたけん、戻ってきてくれて嬉しかねえ。やっぱり、飲んだ後に来られるこの場所にないと」
一番店が繁盛したのは深夜0時を過ぎてから。
飲み会終わりに訪れた人たちで、席は満席に。
寒い中、店の外には待っている人の列もできていました。
人吉の街なかに、待ち望まれていた「締めの一杯」が戻ってきた光景でした。
営業後、原田さんは……。
「30年やってきたこの町の中心部に明かりをともすことができて本当によかった。実際に開店してみて、たくさんのお客さんが食べに来られて、『うまかった』とか、『また来るよ』って声をかけてもらって嬉しかったね」
「自分のともした光に続いて次の人が明かりをつけ、人吉の町全体が明るくなってくれればそれが一番。体が続く限り、100歳になろうとお客さんに喜んでもらえるラーメンを作っていきたいね」
取材後記 前へ進む人吉の町
私がラーメン店「大勝軒」の店主、原田さんと出会ったのは豪雨の3週間後。取材で、人吉のみなさんにアンケートを取っていた時でした。
そこで声をかけたのが原田さんでした。原田さんは快くアンケートに答えてくれました。 経営しているラーメン店の営業が終わり、店で寝ていたところを被災したこと。2階まで水に浸かり、天井を突き破ってなんとか屋上に逃れて難を逃れたこと。つらい話もしてくれました。 被災当時で78歳。それでも「同じこの場所で再び店をしたい。人吉の町を明るくしたい」。そんな思いに触れ、その光景をこの目にするまで取材し続けよう、そう決めていました。
仮設商店街に入る際は本当に微力ながら手伝いもさせてもらいました。
仮設での再開後も、人吉を訪れる度にラーメンを食べに行きました。いつも暖かく迎えてくださったのが本当に印象的です。
そして、およそ2年半の歳月をかけて、再び人吉の中心街に明かりをともした原田さん。これからも人吉を訪れたお客さんを笑顔にしたいという一心で、ラーメンを作り続けていくのだと思います。
観光が大きな産業の人吉。豪雨からおよそ2年半、被災した町はまだまだ更地が目立ちますが、それでも少しずつ店が戻り始めています。原田さんのように、1人1人の事業者が復興に向けて努力されている結果です。
多くの魅力ある人・温泉・店にあふれていて、大好きな町です。
私自身も、記者になって1か月で迎えた災害が熊本の豪雨でした。
前へ進もうとする人吉の町の姿を、これからも取材し、応援していきたいと思います。