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齋藤翔太くん(さいとう・しょうた/当時5歳)
福島県南相馬市

祖母と2人で自宅にいたところ津波に巻き込まれ、亡くなりました。

震災から8年PHOTO

震災から8年を迎えて

父親の誠さんより

 大好きな亀のぬいぐるみを大切にしていますか。大好きな白いズボンをはいて自転車に乗っていますか。何を頑張っているのかな。天国でどんなふうに成長しているのかな。
髪の毛が伸びると、女の子のようにも見えた翔太・・・。翔太に会えなくなって8年。もっともっと、生きていたかったよね。大きく成長したかったよね。

 あの日の地震は、大きかったから怖かったよね。8メートルを超す大津波を目の当たりにした時、怖かったよね。でも、パパもママも近くにいなくて、守ってあげられなくてごめんね。寂しかったよね。あの時、仕事を途中で止めて、翔太を家まで迎えに行けばよかったとずっと後悔しています。

 あの日の朝、いつもなら素直に着替えをする翔太がぐずって着替えをしないから、ママに怒られたみたいだね。もしかして、パパやママに会えなくなるのを感じていたのかな。

 震災後、翔太に会ったのは、棺の中でした。震災から約1か月後でした。普段ベッドの上で寝るようなきれいな顔をして目をつぶっていました。でも、パパとママは、翔太の顔を見ながら、泣きました。人目もはばからずに、泣きました。涙が止まりませんでした。ごめんといいながら・・・。火葬に向かう時、再び翔太の顔を見ると、翔太の目から涙が流れたような跡があるのを見つけました。震災から1か月間、ずっと一人でいたから、寂しかったね。それとも、パパとママに会えて嬉しくて泣いてくれたのかな。そうだといいんだけど。
翔太は、卓球を始めて間もなかったけど、続けているのかな。弟の優太は、卓球を頑張っています。お兄ちゃんのひろも元気だよ。時には兄弟喧嘩もしたけど、「ひろひろ」と言って、お兄ちゃんの後をよくついて行っていたよね。みんなをたくさん応援してあげてね。

「翔太。」と最後に呼んだのはいつだったかな。翔太を思い出さない日は一日もなかったよ。会いたいよ。一度でいいので、元気な翔太に会いたいです。ぎゅっと抱きしめ、一言「ごめんね。」と翔太に謝りたいです。

最後に、翔太。天国でたくさん楽しい思い出を作ってください。

 平成31年3月

パパとママより

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