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木村汐凪ちゃん(きむら・ゆうな/当時7歳)、深雪さん(みゆき/当時37歳)、王太朗さん(わたろう/当時77歳)
福島県大熊町

地震後、近所の児童館にいた汐凪ちゃんを、祖父・王太朗さんと母・深雪さんがそれぞれ迎えに行きましたが、3人は避難の途中で津波に巻き込まれたとみられています。汐凪ちゃんは行方がわかっていませんでしたが、2016年12月、大熊町内の海岸で汐凪ちゃんが身につけていたマフラーと骨の一部が見つかり、DNA鑑定で汐凪ちゃんのものと確認されました。

「こころフォト」ニュースリポート

  • 6月16日放送

    候補地には娘が・・・
    父親の思いは

    (おはよう日本)

汐凪ちゃんの父親の木村紀夫(きむら・のりお)さんより(2014年6月記)

『汐凪へ』
汐凪。あの震災から、もう3年が過ぎてしまったけど、お父さんはまだ、汐凪が津波の犠牲になったということが実感できないでいる。
現実であることは、理解できているのだけれど、それはまるで突然お父さんの前からいなくなってしまっただけで、汐凪はどこかで元気にしているような…。
「汐凪ちゃんは、南の島で元気に走り回っている」と、未だに信じている友達もいるよ。

お父さんは、汐凪に謝らなければならないことがある。
大きな地震があったら津波が来るから家に戻っちゃいけないと、しっかり教えてなかったことをとても後悔しているんだ。
汐凪ならきっと、ちゃんと教えてればその通りにしっかり行動できたはずだ。
ほんとうに、申し訳なかった。
そしてまた、安全な児童館にいた汐凪が、どうして爺ちゃんの車に乗って家に戻らなければならなくなったのか、それが不思議でならないよ。
だって爺ちゃんは、お姉ちゃんを学校に残していったのに、なぜ汐凪だけ連れて行ってしまったのだろう。
今となっては、考えても仕方のないことだけれど、でもそれは汐凪がお父さんたちに残してくれた教訓だと思うし、伝えていかなければならないことだと思うんだ。

そうだね、汐凪はお父さんに生きてやらなければならないことを残してくれた。
地震が来たら海の近くにお家のある子供を、親が迎えに来たからといっても帰してはならないし、親も決して家に連れ戻ってはならないということ。
また、親は、子供が自らの判断で危険を回避しなければならないことを教えなければならない。
いつ何時でも、必ず親が子供を守ってやれる状況にあるわけではないのだから…。

大熊町の行方不明者は1人になったよ。汐凪だけだ。
その「1」という数字も、汐凪が残してくれたもので、その意味についてはずっと考えていかなければならないことだと思っている。
汐凪をしっかり捜してやれない原因をつくった原発事故は、お父さんたちが求めてきたお金を使って消費して得る楽な生活、それの代償のような気がするんだ。
だからその「1」という数字は、人の生き方を問い直す為の大きな数字だと思う。

汐凪のおかげでたくさんの心ある人たちに出会ったよ。
未だに警察や消防、ボランティアの方々が、放射能を浴びる危険を冒してまで汐凪を捜しに大熊に入ってくれている。
お父さんの生活を支えようと集まって来る人達もいる。
それは、汐凪がお父さんに与えてくれた宝物だね。本当に、ありがとう!

お父さんは今、お姉ちゃんと一緒に長野の白馬村で新しい生活を始めている。
ただね、ここに汐凪がいないのが淋しいよ。お母さんも恋しいし、お爺ちゃんにも会いたい。
また、6人で生きていけたらいいね…。
汐凪は相変わらずお母さんたちを笑わせながら、飛び回っているのかな…。
俺もいつかそこに加わらせてほしいな。
それまでは、ここでの生き方、汐凪を捜すこと、伝えること、そうすることでずっと汐凪と繋がっていけると信じて生きていくよ。
大丈夫、お父さんたちもずっと一緒に居るから…。

ホームページをご覧になった栃木県鹿沼市の若林結さんより

このサイトを見て汐凪ちゃんのことを知りました。今、私は高校一年生です。
ゆうなちゃんと同い年です。今は思春期真っ只中でもあり、反抗期の真っ只中でもあります。
よく両親と喧嘩をします。そして、喧嘩をし終えるといつも自分はラインで親の愚痴を友達に聞いてもらったりしていました。
そんな時に友人が、このサイトのことを教えてくれました。
たくさんの被災者の皆さんのメッセージを読んだ中で、特に自分の中で印象に残ったものがこの、ゆうなちゃんへのメッセージです。
ゆうなちゃんのお父様やお姉様の心の中には一生、いや、死んでも治ることのない大きな傷があることと思います。
実を言うと私もこの震災の約1ヶ月後に大切な友人をクレーン車の事故により失いました。
だから、お二人ほどではないと思われるかもしれませんが、お二人の今の気持ちが痛いほどわかるのです。
最後になりますが、私はゆうなちゃんや亡くなった犠牲者の皆さんの分まで一分一秒を大切に、一所懸命に、一生懸命に生きていこうと思います。
なくなった皆さんのご冥福をお祈りいたします

福島県の青津純子さんより

夕凪ちゃん、やっとお父さんとお姉ちゃんの所に帰って来れたんですね...
私は須賀川アリーナという避難所であなたを捜すお父さんの貼り紙を見てから、ずっと貴女の事が気がかりでした.
本屋さんで貴女の本を偶然見つけて、また、貴女への思いが強くなりました。大熊町の捜索で
女の子が見つかったと知ったとき、貴女だと思いました。
私の住む須賀川市では、ダムが壊れて人が流され、小さな男の子だけがまだ見つかっていません。3月11日の2時46分は、そのダムのちかくでおいのりしました。
あの子もお家の人の所に早く帰れるといいなと強く思います。
貴女の魂が、安らかでありますように、心から祈っています。

汐凪ちゃんが発見されたというニュースをご覧になった埼玉県の岩崎孝夫さんより

木村様。
今回、投稿させていただくか大変迷いました。
木村様の事も存じ上げないのに、私のような者が投稿なんて大変申し訳ないと。
NHKテレビで、娘様のことを知りました。
毎日のように、娘様を探しているのを知りました。
本日、ニュースで行方不明者がお一人見つかったと知り、もしやと思い調べましたら木村様の娘様だと知り、大変動揺しました。
木村様、私たちはいつまでも震災で亡くなったかたたちのことは忘れません。
平和な世の中になるように震災でなくなった方たちが失望するようなことはしません。
家族や、他人を思いやれる人間になるように、震災で亡くなった方たちに誓います。
お父様、娘さんはお父様たちとのクリスマス喜んでいますね。

こころフォトのページをご覧になった千葉市の伊藤芳朗(いとう・よしろう)さんより

お父さんの手紙を読ませていただきました。
汐凪さんはまだ若いのに残念なことだと思います。
私は当時、自宅におり、揺れが強かったのを覚えています。
まだ4年しか経っていないのに、テレビやラジオではあまり報道されません。
私は原子力がこのような形で社会の表面に浮き彫りになるとは思いもよりませんでした。
たくさんの方がお亡くなりになり、残念の極みです。
私は平和が続いていってくれることを願います。

こころフォトのページをご覧になった、京都市伏見区の川見健一(かわみ・けんいち)さんより

東日本大震災の1年前の小学校入学の日の汐凪ちゃんのうれしそうな写真を見て、父、木村紀夫様のメッセージをお聞きして、涙があふれました。
お父様と奥様を津波で亡くされたうえに、汐凪ちゃんが大熊町で唯一、行方不明のままであることを知り、言葉を失いました。
「汐凪を捜して」という本が出版されていることを知り、さっそく買い求め、読ませていただきました。
紀夫様が防護服を着て、放射線量が高い地域で捜索され、汐凪ちゃんの体操着やスニーカーを見つけられたことを読み、感動しました。
また、「汐凪を捜して」の本に書かれていた、「汐凪」という汐凪ちゃんの誕生から小学校入学までの写真集を購入しました。
写真の中には、紀夫様がみずから除染して持ち帰られた写真もあり、頭が下がりました。
汐凪ちゃんが1日も早く見つかることを、京都の地からお祈りいたします。
また、亡くなられた父の王太朗様、奥様の深雪様のご冥福を心からお祈り申し上げます。

おはよう日本のリポートをご覧になった、群馬県榛東村の川島淳子(かわしま・じゅんこ)さんより

木村紀夫さんへ
何の罪も無い大切なたいせつな宝物であるご家族を突然のできごとで亡くされ、わたくしには想像もできないほどの悲しみの中に生きていらっしゃることと思います。
にこやかな表情のお地蔵さまに手をあわせていらっしゃる木村さんのお姿に言葉もありません。
が、どうぞご家族の分も生きてください。
生きていかれることの方がよほどお辛いことでしょうが、どうぞ生きてください。
お体を大切になさってください。
木村さんのお姿に、少しくらいの辛い出来事などに負けてはいられないと思いました。

木村汐凪ちゃん、深雪さん、王太朗さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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