汐凪ちゃんの父親の木村紀夫(きむら・のりお)さんより(2014年6月記)
『汐凪へ』
汐凪。あの震災から、もう3年が過ぎてしまったけど、お父さんはまだ、汐凪が津波の犠牲になったということが実感できないでいる。
現実であることは、理解できているのだけれど、それはまるで突然お父さんの前からいなくなってしまっただけで、汐凪はどこかで元気にしているような…。
「汐凪ちゃんは、南の島で元気に走り回っている」と、未だに信じている友達もいるよ。
お父さんは、汐凪に謝らなければならないことがある。
大きな地震があったら津波が来るから家に戻っちゃいけないと、しっかり教えてなかったことをとても後悔しているんだ。
汐凪ならきっと、ちゃんと教えてればその通りにしっかり行動できたはずだ。
ほんとうに、申し訳なかった。
そしてまた、安全な児童館にいた汐凪が、どうして爺ちゃんの車に乗って家に戻らなければならなくなったのか、それが不思議でならないよ。
だって爺ちゃんは、お姉ちゃんを学校に残していったのに、なぜ汐凪だけ連れて行ってしまったのだろう。
今となっては、考えても仕方のないことだけれど、でもそれは汐凪がお父さんたちに残してくれた教訓だと思うし、伝えていかなければならないことだと思うんだ。
そうだね、汐凪はお父さんに生きてやらなければならないことを残してくれた。
地震が来たら海の近くにお家のある子供を、親が迎えに来たからといっても帰してはならないし、親も決して家に連れ戻ってはならないということ。
また、親は、子供が自らの判断で危険を回避しなければならないことを教えなければならない。
いつ何時でも、必ず親が子供を守ってやれる状況にあるわけではないのだから…。
大熊町の行方不明者は1人になったよ。汐凪だけだ。
その「1」という数字も、汐凪が残してくれたもので、その意味についてはずっと考えていかなければならないことだと思っている。
汐凪をしっかり捜してやれない原因をつくった原発事故は、お父さんたちが求めてきたお金を使って消費して得る楽な生活、それの代償のような気がするんだ。
だからその「1」という数字は、人の生き方を問い直す為の大きな数字だと思う。
汐凪のおかげでたくさんの心ある人たちに出会ったよ。
未だに警察や消防、ボランティアの方々が、放射能を浴びる危険を冒してまで汐凪を捜しに大熊に入ってくれている。
お父さんの生活を支えようと集まって来る人達もいる。
それは、汐凪がお父さんに与えてくれた宝物だね。本当に、ありがとう!
お父さんは今、お姉ちゃんと一緒に長野の白馬村で新しい生活を始めている。
ただね、ここに汐凪がいないのが淋しいよ。お母さんも恋しいし、お爺ちゃんにも会いたい。
また、6人で生きていけたらいいね…。
汐凪は相変わらずお母さんたちを笑わせながら、飛び回っているのかな…。
俺もいつかそこに加わらせてほしいな。
それまでは、ここでの生き方、汐凪を捜すこと、伝えること、そうすることでずっと汐凪と繋がっていけると信じて生きていくよ。
大丈夫、お父さんたちもずっと一緒に居るから…。