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内海登志子さん(うちうみ・としこ/当時45歳) 茨城県常総市

当時、常総市内の路上で車の助手席に乗っていた内海さんは、地震が発生したため車から降りようとしたところ、道路脇のブロック塀と車の間に挟まれ、亡くなりました。

夫の光一(こういち)さん(60)からのメッセージ

震災当日、妻と農作業をして、自宅に戻って休憩したあと、妻と娘が車で出かけました。 娘の就職先が決まったため、就職先の会社を見たり、妻の実家に挨拶に行く予定でした。
車は、就職が決まったことにあわせて、新たに購入したもので、納車されたばかりでした。
2人が家を出たあと、20分くらいして、娘から「お母さんが倒れて病院に運ばれた」という連絡があり、急いで病院に駆けつけました。
現場では、救助隊員が救助工作車を使いながら、何とか助けだし、心配蘇生を繰り返し懸命に救命措置を行ったと聞きました。
しかし、懸命な努力もむなしく、変わり果てた妻の姿を見て、体の震えが止まりませんでした。
一瞬の出来事で、震災の恐ろしさに、ただただ涙ぐむばかりです。
私は、震災の翌年に還暦を迎えるため、退職後には妻と二人三脚で農業に専念していこうと思っていた矢先の出来事でした。
家族を失ったことで、人生の生きがいがわからなくなり、戸惑う毎日でした。
妻は私の元に嫁いでから25年で亡くなるという短い人生でした。
ありがとうという「感謝」と、「残念」という2文字しかありません。
妻が亡くなってから、1年が経ち、長女が男の子を出産しました。
妻は子どもたち4人を立派に育て上げ、孫の顔を見ることを1番の楽しみにしていたので、残念でたまりません。
母親は亡くなってしまいましたが、震災を経験した今、4人の子どもたちとの親子の絆はより一層強く結ばれ、みんなで支えあいながら前を向いて頑張っていこうと思っています。
東日本大震災では、多くの方々の命が一瞬の間に奪われてしまい、大変残念です。
1日も早く、家族や被災者の皆様に平穏な日々が戻り、安全で安心な暮らしが実現できるよう防災に配慮した復興が進みますこと、また、東日本大震災でお亡くなりになられたすべての皆さまのご冥福とご遺族の皆様のご健康を祈っています。

内海登志子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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