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村上なか子さん(むらかみ・なかこ/当時53歳) 岩手県陸前高田市

地震の揺れのあと、自宅の様子を見に車で向かったところ、津波に巻き込まれたとみられています。

震災から7年を迎えて

夫の一郎さんより

つきあって結婚生活まで30年。これまで共に歩んできた道程をなつかしく思っています。
平日の通勤、帰りの車の中で思い出します。
日曜の午後は、さびしい思いになります。たまに辛くなることがあります。

人恋しい今日この頃ですが・・・。日々、楽しい思いで過ごしています。

夫の一郎(いちろう)さん(55)からのメッセージ

あなたに初めて手紙を書きます。
そう、今まであなたに手紙を書いた事がなかったですね。今思うと、不思議といえば不思議、私らしいと言えば私らしい。
あなたが亡くなって3年が経とうとしています。 亡くなってから半年くらいは、ひとり車で遠出するのが大変でした。
2人でいれば色々、子どものこと、仕事の話、私にとってはどうでもいいような話を聞かせながら、2時間くらいのドライブは楽しく、とても短く感じられました。
しかし、ひとりだとあなたとの思い出が色々と蘇り、そのたびにため息が出て、時につらくなることが有り、気分転換に出かけたつもりが途中で引き返すことが何度かありました。
そう、綺麗な景色を見て、あなたが亡くなったことを忘れて“今度女房と来よう”と思うが、“あ~女房いないんだ~”と我に返り、つらくなり涙がこぼれたことなどです。
あなたと出会い、付き合い、結婚し、子どもが出来、育て、大変な事もたくさんあったけど、2人いっしょに歴史を作って来ましたね。
あなたは、家族の太陽であり、中心でした。
子どもたちへのアドバイスも的確でしたね。
今、子どもたちと話をする時、女房だったらどんな話をするかなと思いながら、話をしています。
子ども好きのあなたは、めいっぱいの愛情を子どもたちに注いできましたね。
また、あなたは思いやりのある、優しい女性でしたね。そして、今思うとおもしろい女性でしたね。
若き日の思い出が蘇ります。あなたの作ってくれる弁当は、普通の安い食材だけど、毎日工夫を凝らし、職場で昼に弁当を開ける楽しみがありました。そしておいしかった。
体調が悪いときでも手を抜かず、しっかり作ってくれましたね。
今、私は毎朝、弁当を作っています。今は作る楽しみがあります。
震災で母、次男の嫁“優”も亡くなり、女ばかり3人も亡くしてしまいましたが、残った家族、結び合って、3人の分まで第二の人生、強く楽しく生きていきます。
最後に、あなたをもっと愛し、尊敬し、感謝の気持ちを言葉にして伝えてあげればよかった。遅くなったけど・・・ありがとう。

村上なか子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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