避難所生活中に体育館で倒れ、震災からおよそ1か月後に病院で亡くなりました
津波で多くの人が亡くなりました。今も亡くなった人たちを思うと、心が痛みます。残念でなりません。
安らかに眠りにつくようにと、心の中で手を合わせます。
私も1年ごとに年が重ねられ、1人で生きる大変さが身にしみますが、命がある限り生きます。
お互いに助け合い、さびしい時も、楽しい方に変えるように明るく・・・・・・
毎日父ちゃんにお茶っこあげ、手を合わせ、父ちゃんと同じお茶っこ飲んで1日が始まります。
時々、海の見える友達のところに行きます。
海をじっと見てきました。おだやかで、きれいでした。
海が荒れたのが、海が大事故に遭ったのだと思いました。
事故のない平和な世界でありますように、祈っています。
あれから3年が過ぎようとしています。
私は世界の皆さんからいろいろな支援を頂き、心から感謝しています。お互いに心の支えがあり、心の交流があり、心と体が元気になりました。
私は県立高田病院の先生が、生活不活発病にならないように、仮設から外に出て体を動かすようにと、畑を借りてくれました。
「はまらっせん農園」で野菜を作ったり、花を植えたり、楽しんでいます。
皆さんとしゃべって、笑って畑に居る時は一番楽しいです。
でも、仮設住宅の一人での生活は寂しいです。
早く最期まで落ち着いて暮らせる場所、災害公営住宅が出来る事を願っています。
そして、以前の隣人や友達とお茶っこ飲んだり、おしゃべりしたり、楽しく暮らせる事を夢見ています。