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平塚幸男さん(ひらつか・ゆきお/当時80歳)茨城県北茨城市

足が不自由だった幸男さんは、自宅にいて逃げ遅れ、津波に流されて亡くなりました。

震災から3年を迎えて

弟の信次さんより

今でも、津波が来る前に早く避難していれば、まだまだ身体が不自由でも、生きていたと思います。
だから、つい姉妹で一泊旅行に行ったことや、色々なことを思い出します。

早いもので、今年で東日本大震災から3年を迎えるので、私も高齢者であり、健康なうちに、兄の3回忌と墓石を立てることにしました。
3月11日の命日までには、完成するようにしてありますので、3回忌には、姉妹一同が集まって供養することになりました。

これで、私の心の一区切りとしたいと思っています。

弟の信次さんからのメッセージ

兄は稲の種まきの時期になると、いつ種まきするのか、聞きに来ました。
田植えの時期になると、朝早く田に来て、田植えが終わるまで、手足が不自由ながら、手伝ってくれました。
稲刈りの時期になると、また稲刈りは何日ごろになるのか、聞きに来ました。
12月28日は、いつも正月の餅をつくので、朝早く来て手伝ってくれました。
老人会で旅行に行くと必ずおみやげを持ってきてくれました。
平成11年以降、毎年、きょうだいそろって一泊旅行に行って、カラオケ、写真と、みんなに楽しみを与えてくれました。
もう元気な顔を見ることが出来ません。
いろんな時期になると思い出します。
3月11日の津波がなければ、まだまだ元気でいたと思います。

こころフォトのページをご覧になった、埼玉県川口市のさくらさんより。

ご兄弟とても仲がよろしかったのですね。
一泊旅行のお写真とっても素敵で目に留まりました。
皆さんの楽しそうなお顔を拝見すると、今回の事で仲が良い分、沢山涙を流されたのではないかと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。
どうか皆さんお体にお気を付けください。
幸男さんどうか天国からご兄弟を見守って差し上げてください。

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