ページの本文へ

読むNHK北九州

  1. NHK北九州
  2. 読むNHK北九州
  3. 残された島

残された島

北九州・津村島
  • 2023年07月28日

埋め立て地に島?

ある日、 衛星画像を眺めていて・・・。
人工の埋め立て地の中に
ぽつんと浮かぶ島の存在が気になった。 
どうしてこんな形で残されたのか!? 現地に向かった。 

物流拠点「新門司北地区」

島の名前は「津村島」。
北九州市門司区の新門司北地区。物流拠点の埋め立て地に取り囲まれるように浮かんでいた。

津村島

かつては離れ小島

実はこの津村島、調べてみると平成の中ごろまでは、
門司区の沖合500mに浮かぶ離れ小島だった。

昭和30年ころの津村島

ではなぜ、現在の形になったのか。 
当時を知る市の担当者に聴いた。

どうして残された

北九州市港湾空港局の皆さん
木原義幸 課長

こちらが昭和47(1972)年度に策定された港湾計画です
津村島の周りがすべて埋め立てられるという計画になっていました

埋め立て地に取り込まれる当初計画(昭和47年度)

しかし巨大な港湾事業のなかで計画が一変。 
島の形はそのまま残すことに。 

行政が大幅に当初計画を変更した理由。 
その答えは島の中にあった。

子どもたちの宝島だった

島の入り口のゲートは施錠されている

いまは島に渡る橋は施錠されて
自由に立ち入ることができない津村島。
鍵を管理する対岸の地区の人に話を聴いた。 

子どものころから島に来ているという
中田市男さんと中田隆敏さん 。

中田隆敏 さん

 

子供が10人ぐらい船で渡ってきて
夏休みとか朝から夕方までいました
釣りをしたり貝を取ったり

中田市男 さん

アサリ貝がおいしかったよね
味がいい

地域の神さまを守りたい

許可を得て島の奥に進むと、
計画変更に至った理由の建物が現れた。
「津村明神社」だ。 
古くから人々が恵みの海への感謝を捧げ、
漁の安全を祈願してきた地域の守り神だ。 

津村明神社

今も年に1度、対岸に暮らす地区の人が島に集って
例祭を行っているという。

地区住民集う秋の例祭
中田市男 さん

 

海路上、重要な所にある津村島
海の安全を守る神様として
皆さん崇拝してきました
この神社を取り払って無いもの
ということにはできません

自分たちを守ってきた神様をなくしてはならない。 
何度も繰り返された行政と地域住民の話し合い。
やがて願いが届き、島は姿を残すことになったのだ。 

残された理由がもうひとつ

津村島にはもうひとつ残される理由があった。
それが島が有するかつての人々の営みの跡だ。

池を指さす隆敏さん
中田隆敏 さん

あそこから飛び込んでました

周囲およそ350メートルの池。
その誕生には、島の歴史が関係していた。

津村島の中の池

石灰採掘の歴史 
かつて人も住んでいた

明治後期、新門司地区一帯で盛んだった石灰採掘。 
津村島でもおよそ200人が
島で暮らしながら石灰石を掘っていたのだ。 
島に眠る大量の石灰石は
地域の経済発展の礎となったそうだ。

昭和初期の周辺地域の石灰採掘の様子
【資料提供:元 松ヶ江郷土史会 細石坦男さん】

その採掘跡の大穴に、少しずつ海水が流れ込み 
大きな池になったのだ。 

池の縁から海水が流れ込む

かつての中田少年たちも泳いだこの池。 
とっても不思議な場所だったという。

中田隆敏さん

石灰石を採りよったというのは聞いていました
しーんとして自分が泳ぐ波の音しか聞こえない
子供ながらにちょっと神秘的なところですよね

人の営みの跡にできた
       「新たな自然」

水の中はどうなっているのか、潜水取材を試みた。

潜ってすぐに現れたのは
石灰岩を切り出した跡とみられる平らな斜面。

壁を奥に掘り進んだような穴も見つかった。
100年以上も前の労働の跡だ。 

その水中にいたのは、
ミズクラゲの群れにチヌやメバルの幼魚など。
すべて海に暮らす生き物だ。

キチヌ

水深は深いところで10mほどの人工的な池の中。 
目をこらすと小さな命が見えてきた。

池の底をゆっくり進んでいたのは
体長10センチほどの『ヤマトウミウシ』。

ヤマトウミウシ

そのすぐ近くにはフリルのようなもの。
ウミウシの卵だ。小さな命がつながれていた。

ウミウシの卵

頭の“トサカ”が特徴の 『トサカギンポ』。
地元のダイバーによると
付近の海ではほとんど見ない魚だという。

トサカギンポ

こちらのトサカギンポは水中で何かを待っているよう。
そのとき壁面のゴカイの仲間が白い物質を放出。
それを次々と食べていた。

食事中のトサカギンポ

力強く続く命の連鎖

池の水は満潮の時に縁から流入する
外海の海水のみという。
その流れに乗って外から流れ込んだ、小さな生き物たち。

葉っぱに乗って浮遊するハゼの稚魚

100年を経た人の営みの跡地で、
    力強く命の連鎖を繰り返していた。

中田隆敏 さん

やっぱうれしいですね
本当こういう自然が残るっていうのは一番です
一つの宝ですよね  
それを守っていくというのが私たちの責務でもあるかもわかりませんね

市の担当者にも水中映像を見てもらった。

津村島の池の映像を見る市職員
木原義幸 課長

たくさん生き物がいて驚いた
改めて地域の人が大切に守ってきた島を残せて良かったと思う
新たに生まれた豊かな自然とともに
ずっと残していけるよう
保全に努めたい

新しい姿になって今に受け継がれる津村島。
ふるさとへの思いをたたえた水の記憶だ。

 

  • 森川 健史

    北九州局 報道カメラマン【潜水取材班】

    森川 健史

    赴任地:函館→名古屋→東京→秋田
        →北九州(小学校以来35年ぶり)

ページトップに戻る