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海獣のいる海 礼文島 命と向き合う男の流儀

  • 2024年5月22日

北海道北部に位置する礼文島で半世紀以上、トドの命と向き合い続けてきた漁師がいる。
俵静夫さん、88歳。極寒の海で1人で漁船を操り、巨大なトドを、しとめ続けてきた。米寿を迎えた漁師に、長期間にわたって密着して見えてきたのは、命と向き合う男の流儀。
「トドを苦しめたくはない」と1回のトド猟で使う弾は3発までと決めている。その思いの背景にあったのは、命と向き合い続けてきた自身の生きざまだった。
(取材:NHK稚内支局記者・奈須由樹/札幌局ディレクター 班学人・長谷川悠)

最果ての離島で生き続けてきた漁師

俵静夫さんは、礼文島より、さらに北に位置する「トド島」の出身。今では無人島だ。
9人きょうだいの長男で、18歳で漁師として独立。30歳の時に、トド猟を始めたという。現在88歳でトド猟を始めてから58年。1発で的確にトドをしとめる俵さんは、今もなお、島のハンターから一目置かれている。

そんな俵さんと初めて会ったのは、去年12月だった。礼文島の自宅の前で待つこと、数分。船に積もった雪を下ろす作業を終えた俵さんが帰ってきた。「寒いから家に入れ」と、ご自宅に招いてくれた。そして、コーヒーを1杯差し出して、話してくれた。

「ことしでトド撃ちは引退する。88歳になったら、死ぬのを待っているようなものだ。もう限界という感じだな。人に言われる前に辞めなければいけないと感じている」

今でも、その言葉は鮮明に覚えている。そして、最後の猟を取材させて欲しいと依頼すると、快く受け入れてくれた。それから、トドの猟期や今後のスケジュールなどを打ち合わせた。
その過程で、彼は、ある“覚悟”を口にした。

「トドを苦しめたくはない」
「俺の終わりが撮りたいんだな」

この時は、真意がわからなかったが、密着取材を通して、その“覚悟”を知ることになった。

“トド猟”は時代とともに

礼文島では、寒さが厳しい冬になると、体重が1トンにもなる巨大なトドが魚の群れを追いかけて数多く南下してくる。島では、ホッケやタラなどの漁が、冬に最盛期を迎えていて、トドは、漁師が仕掛けた網とともに魚を食い荒らす。このため、トドは、地元の漁師から「海のギャング」とか「害獣」と呼ばれ駆除が行われている。目的は絶滅の危険性がない範囲で漁業被害を最小化することだ。

俵さんに、30歳でトドを撃ち始めた当時のことを尋ねると、こんなことを話してくれた。

「昔、礼文島では、青森県から船が来ないと米も買えないような状態だった。当時は、島で鶏を飼っている人もいなければ、牛や豚もいない。食べ物、肉と言えばトドが主だった。でかいトドをとれば、肉だから喜んで食べたものだ」

俵さんは、9人きょうだいの長男。トド猟を始めたときは絶対にとらなければいけないと、懸命に、トドを追いかけて、撃っていたと振り返る。

「猟に出る時は、もうなんとしても、トドをとらなきゃダメだっていう、意気込みだった。俺、長男だったから、トドをとってきたら、『兄がとってきた』、『おお、取ってきたぞ』って。そして『よかったな』って言って、みんなで、トドを切って分けて食べた。家中で、のっこり(たっぷり)食べられるぞって」

俵さんと同学年の小林初雄さん(88)も、当時はトド肉が貴重だったと話してくれた。

「小さい頃から、トド肉を食べている。昔は礼文島には、肉は、ほとんどなかったから、トド肉でも食べられれば、高級品みたいな感じで、おいしいと思って食べた。俵君、またとってくれたの?いつも、すまないって言って。うれしかったな」

礼文島の海でトド猟に密着

3月、再び礼文島を訪れた。冬は雪が降り、風を遮るものがなく、かなり厳しい環境だ。
俵さんは、私たちを気遣い、波が落ち着いた日に、自身の漁船に我々を乗船させてくれた。
しかし、その日の気温はマイナス8度ほど。俵さんの愛船「第二十八龍丸」は、1トンにも満たない、小型船舶だ。我々は俵さんと一緒に沖に向かった。

俵さんが漁船のスピードを上げた。この日の波の高さは1メートルなかったが、船が波に当たると”ドン””ドン”と尻をうち、本当に1メートルなのかと疑うほどだった。沖に出ると、さらに風が体に食い込んでくる。体感温度も低く、寒さをこえて痛さを感じた。

見えてきたのは俵さんがかつて住んでいたというトド島。今は無人島だ。エンジンを止めて見渡したが、トドが見当たらなかったためか、さらに沖に進んでいった。次に見えてきたのが、沖の岩礁地帯。島の人からは「平島」や「種島」などと呼ばれている。かつて、ここにはトドの大群が乗り上げていたということだったが、この日は、トドを見ることはできなかった。ことし3月の取材では、半世紀以上にわたって、トド猟を続けているベテラン、俵さんの漁船に2回同乗させてもらったが、俵さんが撃った弾は1発だけだった。

追撃を繰り返した末に

4月、ふたたび俵さんを訪ねた。全国各地では徐々に暖かくなり、桜の開花が進んでいたが、礼文島は、まだ雪が残っていて肌寒かった。

「あすは、猟に出られるぞ。朝6時半ぐらいに来てくれ」

俵さんからの連絡を受け、翌朝、我々が向かったのは岩礁地帯の「種島」。船のエンジンを止めて、トドを探す。トドは、船のエンジン音や火薬のにおいに、敏感に反応して逃げる。
泳ぐトドを狙えるのは、海面から、顔を出して呼吸をする、わずか数秒だけだ。島の人たちによると、泳ぐトドを狙う「水撃ち」は、極めて卓越した技術が必要だという。一度、トドが水中に潜り、見失ってしまったかと思われたが、俵さんが、指をさした先には8頭ほどのトドの群れがいた。

俵さんは、漁船のエンジンをかけて、トドを追いかけた。右手にライフルを持ち立ったまま、船を操る。そして、トドを見かけた場所に近づきエンジンを停止したがトドは見当たらない。
すると、また数百メートル先にトドが顔を出した。俵さんは、エンジンをかけて追いかける。
こうした追撃を30分ほど繰り広げ、エンジンを停止して待つと、近くでトドが顔を出した。
俵さんが息を止めてライフルを構えた。呼吸すると銃身がぶれるからだ。しかし、引き金は、なかなか引かない。この動作を繰り返すうちに、突如「ドン」という音が海に響き渡った。

「かすったか?」

トドが水中に姿を消したため、少し探したが、見つけることはできなかった。
この日、撃った弾は、わずか1発だけだった。

トドが眠るごとくしとめたい その理由は

俵さんのトド猟には、流儀がある。

「完全に眠るごとくしとめたいという、その気持ち一心で、銃を撃つ」

俵さんが狙うのは、トドの耳あたりにある脊髄。銃の照準が合うまでは、引き金を引かない。
1日に使用する弾は3発まで。トドがいても、1発も撃たずに帰る日もあるという。

「手負いのトドは作りたくない。“海のギャング”であってもね。トドが苦しんでいるのは、自分が苦しんでいるようなもの。それだけの痛みというのは人間で言えば、がんのような感じじゃないかな」

俵さんの流儀には、礼文島での過去の出来事が関係していた。
礼文島では、かつてエキノコックスの感染拡大を防ぐため、キツネ、犬、猫が駆除された。
俵さんも、当時は、島のハンターと駆除を行ったことがあると話してくれた。

「エキノコックスが流行った時に『一般家庭の犬も殺してもらいたい』と役場から頼まれた。電柱に犬を縛って、頭を撃たないで、腹を撃ったら、犬がロープを切って逃げていった。そうしたら『犬の苦しみを見てみろ』って言われて、何をしているんだと、怒られた。だから、痛み、苦しみをわかるために、トドであっても命を奪う時は、もう眠るごとくとりたいっていう感情は、常に心の中にある」

頂いた命は無駄にしない

トドは、しとめて終わりではない。4月に入り、俵がトドを駆除したという連絡が入った。
港で待っているとトドを引っ張って戻ってきた。翌朝、みずから解体するという。

俵さんは、ゆっくりと丁寧に、トドを切り分けていった。頭や胃袋などは研究機関に送る。生態の研究に役立ててもらうためだ。赤身と白身の肉は、島の友人に配り自身も料理に使う。
俵さんは、そうやって最後まで命を大切に扱っていた。

仲間のハンターにも伝わる思い

礼文島の20人ほどのトドハンターが所属する地元の猟友会の佐々木清二会長(66)に、俵さんについて聞いた。

「銃で撃つから、俵さんのように、苦しめないっていうのは、みんなそうだと思う。やっぱり命って重いものだからさ。重いものだから命をとったら食べるし、命を奪うからには、それなりに思って、トドをとっている」

俵さんは一緒にトド猟に出て若い仲間たちを直接指導することはしていない。若い世代への期待は大きいが、あえて、直接口で伝えることは避けていると言う。

「苦しんだトドは作らないと、自分では考えているが、若いハンターには教えてない。ハンターというのは、自分に身にしみて分からなければ。指導とかはできない」

海とともに 最後は自身の命と向き合って

俵さんは、密着取材の中で「去年、医師から肺がんと告知された」と私たちに明かした。
ほかの漁師から、俵さんの病の話を聞いたあと、なかなか聞けずにいたが、みずから、語りはじめた。医師からは「手術させてくれ」と言われたが「手術したら仕事には戻れなくなる」と言われたという。

「札幌に行って診てもらったら、やっぱり肺を取った方がいいんじゃないかというような話だった。いろんな検査をした。だけども、先生、(肺を)取ってしまって、働くことできんのかって。いや、88歳になって今は体力的なこともあるしね。それはちょっと無理かなって。休まなきゃダメなんだって。それであれば、俺切らないで礼文に帰ると」

「俺の父親は83歳で死んだが、俺も88歳で、人生は、だいたい良いところまできたかなって感じはする。こういう人間だから、悔いることは、もう一切したくねえ」

俵さんの妹・港谷光子さんが、心境を語ってくれた。

「手術して回復しても、今の健康までに戻せる体力はつかないらしいの。病気のこともあるから、なおさら、きょうだいみんな心配。もう決められた時間しかないから」

俵さんは、礼文島の海とともに生きて、トド撃ちを半世紀以上にわたって続けてきた。
そして最後まで仕事をやり抜くため手術はしないと決めた。去年12月に初めて会った時は「今シーズンで、トドの駆除はやめる」と断言していたが、気持ちは揺れていた。

「俺の限界がわからないんだよ。自分で自分がわからないのさ。やめるっていうのは、そこが難しいところなんだよ。ああ、これでやめますってはっきり言い切れない」

トドの命と向き合ってきた俵さんは、今、自身の命とも向き合っている。

「このままの状態で、死は死で認めるし。病気は病気で認める。これが職場で、ずっと子どものころから、仕事が生きがいで、職場内で死ぬっていうのは本望なわけだよ。もう仕事ができなくなったら、死んでいいという感じだから。死に際っていうのは自分で、誰も自分でわかんないけど、死ぬまで、やっぱりこの島で過ごしていきたい」

「島で生まれて、潮風かぶって、育った人間だから。年がいっても海のものが恋しくてどうにもならない。もう俺は死んでいく体だから海のことは考えなくてはいいんだけれども、俺はそういう訳にはできないんだ。礼文島が、この島が好きなんだ」

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 ※6/7(金)午後7:56までの配信

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