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北海道8区 戦いの歴史 最近の選挙結果は

  • 2021年10月6日

道内で小選挙区の数が12になった43回選挙から前回の48回選挙までの「北海道8区」を振り返ります。函館市を中心とした渡島・桧山の全域が選挙区です。

43回(2003年/平成15年)

北海道8区では、42回選挙で当選した鉢呂吉雄氏が2003年4月の北海道知事選挙に立候補するため議員を辞職したことで10月に補欠選挙が行われる予定でしたが、解散を受けて補欠選挙はなくなり、11月の43回選挙を迎えました。
鉢呂氏は北海道4区に選挙区を移し、民主党は、小選挙区制が導入された41回選挙以降2回続けて比例代表単独で立候補して当選していた金田誠一氏を擁立。10万7000票近くを得て、自民党、無所属、共産党の新人3人を抑えて4回目の当選を果たしました。
7万4000票以上の得票で次点に入った自民党の佐藤健治氏は、42回選挙で鉢呂氏に敗れ引退した父親の佐藤孝行元総務庁長官の地盤を引き継いで立候補しました。
また、5万5000票以上の得票で3位に入った無所属の候補者は、その後、自民党の北海道8区の候補者となる前田一男氏です。
元道職員の前田氏は、自民党の候補者選考に応募しましたが公認は得られず、無所属で立候補しました。
金田氏は、最も有権者数が多い函館市で、佐藤氏の倍近い6万1000票余りを得て2万9000票近い差を佐藤氏につけました。
函館市以外の当時の26町村では、金田氏は10の町で得票1位となり、渡島の町村では金田氏が佐藤氏に6000票余りの差をつけました。
一方、佐藤氏は14町村で得票1位となり、桧山全体では佐藤氏が金田氏に3000票近い差をつけました。
前田氏は、のちに町長を務める松前町と隣りの福島町で得票1位でした。

44回(2005年/平成17年)

民主党の金田誠一氏が13万5000票近くを得て、自民党の佐藤健治氏ら2人の新人を抑えて5回目の当選を果たしました。
佐藤氏の得票は11万4000票余りで、金田氏と佐藤氏の票差は2万1000票近くでした。
函館市は、金田氏が佐藤氏に1万7000票余りの差をつけました。
一方、ほかの19の町では、金田氏は10の町、佐藤氏は9の町で得票1位でした。

45回(2009年/平成21年)

民主党の逢坂誠二氏が17万1000票余りを得て、自民党の福島啓史郎氏や、無所属で立候補した佐藤健治氏ら3人を抑えて2回目の当選を果たしました。
福島氏の得票はおよそ5万8000票、佐藤氏の得票はおよそ4万票でした。
自民党は党本部主導で元参議院議員の福島氏を擁立しましたが、佐藤氏が無所属で立候補したことで保守分裂選挙となりました。
一方、民主党は、44回選挙まで擁立していた金田誠一氏が引退し、後継者として44回選挙は比例代表の北海道ブロックに立候補して初当選した元ニセコ町長の逢坂氏を擁立しました。
逢坂氏は18市町すべてで福島氏を引き離し、函館市では6万8000票以上の差をつけました。

46回(2012年/平成24年)

松前町長を経て自民党から立候補した前田一男氏が10万8000票近くを得て、民主党の逢坂誠二氏ら3人を抑えて初当選を果たしました。
逢坂氏の得票は7万7000票以上で、前田氏と逢坂氏の票差は3万票以上でした。
前田氏は18市町すべてで逢坂氏を上回り、函館市では1万2000票余りの差をつけました。
45回選挙から自民党と民主党は攻守一転、対照的な結果となりました。
逢坂氏は、重複立候補した比例代表でも復活当選できず議席を失いました。

47回(2014年/平成26年)

民主党の逢坂誠二氏が、自民党の前田一男氏ら2人を抑え3回目の当選を果たし、衆議院議員に返り咲きました。
得票は、逢坂氏が9万8000票近く、前田氏が9万1000票余りで、その差は6000票余りでした。
前田氏は、重複立候補した比例代表で2回目の当選となりました。
逢坂氏は、函館市で前田氏に1万1000票近い差をつけましたが、このほかで前田氏を上回ったのは七飯町、八雲町、長万部町、今金町の4つの町だけでした。
前田氏は、北斗市と12の町で得票1位でした。前田氏は2市以外では、渡島の9町全体で2000票余り、桧山の7町全体でおよそ2000票の差を逢坂氏につけました。
逢坂氏は、函館市の“貯金”で前田氏に競り勝ったかたちとなりました。

48回(2017年/平成29年)

民主党の流れをくむ民進党は選挙前、東京都の小池知事が代表を務める希望の党に事実上合流する方針を決め、民進党道連はいったんは道内小選挙区の11人の候補者全員を希望の党に公認申請する方針を決めました。
しかし、逢坂誠二氏は解散翌日、「希望の党は肌が合わない」として無所属で立候補する意向を表明しました。
その後、希望の党が進めた民進党出身者の公認調整に反発するかたちで立憲民主党があらたに結成され、逢坂氏は立憲民主党に入党したうえで、無所属で選挙戦に臨みました。
民進党出身の11人は、立憲民主党の7人、希望の党の3人、無所属の逢坂氏にわかれるかたちになり、このうち、立憲民主党の7人と無所属の逢坂氏は共産党と“野党共闘”して、与党側、自民党・公明党の候補者と争いました。

“野党共闘”で共産党が候補者擁立を取り下げる中、逢坂氏は12万6000票近くを得て、自民党の前田一男氏を抑えて4回目の当選を果たしました。
逢坂氏は立憲民主党から「追加公認」されました。
一方、前田氏は47回選挙を上回る10万1000票余りを得ましたが、逢坂氏とは2万4000票以上の差がつき、重複立候補した比例代表でも復活当選できず議席を失いました。

逢坂氏は、函館市で2万1000票近く、北斗市で2000票近くの差を前田氏につけました。
2市以外の16町では、逢坂氏は木古内町、七飯町、八雲町、長万部町、江差町、今金町の6町で、前田氏はそのほかの10町でそれぞれ相手を上回りました。
前田氏は桧山7町では逢坂氏を上回ったものの、渡島9町とあわせた選挙区内の16町全体では逢坂氏が2000票近い差をつけました。

2021年10月6日

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