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北海道最大級の貝塚で学んで遊ぶ! 伊達市

  • 2023年8月24日

こんにちは!「ほっとニュース道央いぶりDAYひだか」胆振日高担当リポーターの内部明日香です。イベントやお祭りが多かったように感じられた、ことしの夏。久しぶりにあちこちお出かけされた方も多いのではないでしょうか?「まだ行ってないよー」「どこかへ行きたくて探しているよー」という方!そして、そうじゃない方も!世界文化遺産を舞台に縄文ロマンを感じてみるのはいかがでしょうか。今月26日(土)と27日(日)、「だて噴火湾縄文まつり」というイベントが開催されます。会場は伊達市の北黄金貝塚。おととし、世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」のひとつです。

縄文文化で町を盛り上げようと長年開催されてきた「だて噴火湾縄文まつり」。ことしは、世界文化遺産に登録されてから初の本格開催です。まつり当日は、貝塚や当時を再現した森などをガイドとともに見て回ることができます。というわけで、一足先に体験してきました♪案内してくださるのは伊達市教育委員会の学芸員、永谷幸人さんです。

北黄金貝塚には5つの貝塚があり、6000年前から5500年前を中心とした縄文時代の様子を伝えています。まずは一番古い貝塚にやってきました。

永谷さん)「こちらは、今から6000年ぐらい前につくられた貝塚を再現したものです。この貝が何か分かりますか?」

内部)「ハマグリ!」

永谷さん
)「正解です。ハマグリは暖かい海を好む貝なので、今の北海道だと海が冷たすぎてうまく育ちません。それが、この貝塚を発掘調査したところ、ハマグリがたくさん出てきました。このため、6000年前には今よりも気温が高かったということが分かったんです。」

内部
)「どのくらい暖かかったんですか?」

永谷さん
)「今と比べて2℃から3℃ほど高かったと言われています。特に、ことしの夏はすごく暑いですよね。けれど、この貝塚がつくられたときはそれが当たり前の気温だった、そんなイメージです。海の様子も今とは少し違っていました。この丘の目の前には噴火湾が広がっています。」

永谷さん)「今、海は少し離れたところに見えるのですが、この貝塚が作られた当時の温暖だった時期は、目の前の駐車場のあたりまで海が来ていたということが分かっています。」

内部
)「本当にすぐ近くですね。」

永谷さん
)「実はここは海辺のムラそのものなんです。」

次に、およそ500年後に作られた貝塚へ。ここは、北黄金貝塚で最も大きい貝塚です。

大きすぎて、なかなか写真に収まりません(-_-;)深さは70~80センチもあるそうです。

永谷さん)「先ほどの貝塚よりも海に近い丘の先端に作られています。貝塚が移動した理由はこちらです」

永谷さん)「今度はホタテやカキがたくさん出てきます。これらは今の北海道、そして噴火湾の名産ですね。こうしたものがとれるようになったということは、気温がだんだん下がっていって、今と同じような気候になったことを示しています。それに伴って海の水が引いていったので、逃げていく海を追いかけるように貝塚が丘の先端に作られるようになりました。」

内部)「それで貝塚が移動したんですね。その後は今と比べて、気温は変わっていないのでしょうか?」

永谷さん)「ほとんど変わってないと言っていいかもしれません。」

内部)「そうなんですね!この貝塚の特徴、ほかにもあるのでしょうか?」

永谷さん)「実は、この地面の下にある貝塚の中から人のお墓が見つかりました。儀式に使う道具もたくさん出ています。ここにある貝殻や鹿の骨は人間が生きるために捕まえて食べたもの。人間に命を分けてくれた生き物ですよね。縄文時代の人たちはただ食べ終わって捨てるために貝塚を作ったのではなく、ちゃんとこの場所で自然の恵みに感謝し、供養をしていたのだと思います。しかも、同じ場所に人間のお墓も作ったことから、おそらく人間も動物たちも自然の一員として共存しているという感覚があったのではないかなと思います。ただのごみ捨て場と思われがちな貝塚ですが、とても神聖な場所だと教えてくれるのは、北黄金貝塚のすごいところの1つです。」

丘の上でひときわ目立つ、竪穴住居にも。

永谷さん)「こちらは発掘調査で見つかった住居の場所の真上に、同じ大きさ・同じ数の柱で住居を再現したものです。貝塚がとても大きいのですごく大きなムラだったと思われがちなのですが、発掘調査の結果、同じ時期に建っていたのは5軒から6軒ぐらいだったと考えられています。20人から30人ぐらいのムラで、人口はそれほど多くありませんでした。」

内部)「それなのに、あれほど大きな貝塚になるんですか?」

永谷さん)「そうなんです。毎日食べたものをあそこに持っていくというのを繰り返し、おそらく200~300年かけて巨大な貝塚ができました。」

永谷さん)「気になると思うので、中をのぞいてみましょうか。」

内部)「お邪魔します。あったかい!」

永谷さん)「住居の床は土で、その真ん中あたりで火をたくことで熱が床に伝わります。冬場には床暖房のように暖かくなるんです。それから、地面に穴を掘って家を作っているので、夏場でも冬場でも中の気温は大きく変化しません。とても気持ちよく暮らせる家といえますね。」

さらに、北黄金貝塚が世界文化遺産に登録された要因についても教えてもらいました。

永谷さん)「縄文時代の人たちは狩りをして暮らしていました。狩りをしていると、だんだん身の回りから獲物となる資源が減っていくので、獲物がたくさんいる別の場所を見つけて、そこに移動して暮らすというのが世界の常識でした。しかし、これだけ立派な住居をわざわざ穴を掘って作るということは、縄文時代の人たちが1か所でずっと暮らしていたことを示しています。狩りをしながらも定住することができた。それはすごいことだと評価されて世界文化遺産になりました。
では、どうしてそのような暮らしができたのか。理由のひとつは、当時の人口がすごく少なかったこと。しかし、私が一番大事だと思っているのは、先ほど貝塚で見ていただいたように、食べたものに対する感謝を忘れない人たちだったということです。きっと身の回りの資源も大切に扱い、乱獲や資源の無駄遣いをしなかったのではないかと思っています。そういう意味ではSDGs的な暮らしと言えるかなと思います。現代のわれわれが学ぶところは多いなと感じます。」

このほかにも、いろいろな場所を案内してもらえます。今、目の前に見えるものを超えて、はるか昔への想像をかきたてられるようなロマンあふれる話がたくさんで、とっても楽しめました♪

遺跡ガイドだけではありません!おまつり当日は、火おこしや勾玉づくり、弓矢など様々な体験もできます!

私が特に熱中したのは火おこしです(^ ^)コツをつかめばあとは無心で道具を上下に動かすだけ。単純なのに、なぜかやめられなくなりました。火はついたのか…?!8月24日の放送をぜひご覧ください!

遺跡の案内も体験も、優しく楽しく教えてくださった永谷さん。おまつりについて、「まず、縄文って楽しいなって思ってもらうきっかけになればと思います。詳しく知るのはそのあとでかまいませんので、世界文化遺産の縄文遺跡で楽しんでもらうことが第一かと思います。ぜひお越しください。」とおっしゃっていました。

「だて噴火湾縄文まつり」は、8月26日(土)にシンポジウムが、8月27日(日)に本まつりとして今回ご紹介した体験などができます。楽しく学び、はるか昔へ思いを馳せてみては?(^▽^)/

私が前回取材を担当した、「ピリ辛でおいしい!登別のえんま大王のやきそば」についての記事もぜひご覧ください♪

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