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Do! | #33 下京 翔一朗 Shimokyo Shoichiro

  • 2024年2月23日

第33回に登場するのは、札幌局で主に防災を担当する下京記者。2023年9月には「胆振東部地震から5年」企画で札幌市の取り組みを伝えた。情報を伝えることで誰かを助けるんだと語る、下京記者。北海道の防災担当記者の想いは。

[Photo By 原田 直樹  ]
[聞き手 齋藤 千夏(NHK札幌放送局 デジタル・戦略G)]

下京 翔一朗 – Shimokyo Shoichiro –
大学は法学部。2013年入局。鹿児島県鹿屋市出身。初任地は千葉局で、その後盛岡局、宮古支局(岩手)、福岡局を経て2023年から札幌局。趣味はスポーツジム通い、映画、テレビゲーム、ドライブ、麻雀など。特技は資料の読み込み。

<目次>
1. 北海道の防災担当
2. 自分の仕事は伝えることなんだ
3. 法曹ではなく、放送へ


1. 北海道の防災担当

——普段の業務を聞かせてください。

道内の防災担当として、防災や事件関係を中心とした取材をしています。また、遊軍記者として多種多様な取材にあたっています。

——北海道の防災担当なんですね。

2023年8月に札幌局に着任し、防災担当になりました。
これまでは「胆振東部地震から5年 観光都市札幌 観光客の避難先確保は」「後発地震注意情報 運用から1年」や、「知床観光船沈没事故 再発防止策の現状は」、「能登半島地震から1か月 道内自治体の避難所寒さ対策は」などを取材してきました。まだ、札幌局に来てから半年ほどですので、これからもっと取材して情報を伝えていきたいです。

——「胆振東部地震から5年」の取材はどういうきっかけで?

着任してからすぐの9月が、胆振東部地震から5年という時期でした。時間がなかったのですが、防災担当として何か情報を届けたいという気持ちがありました。札幌だけでなく、災害に備えるということは当然どこの自治体でもやっているんですよね。その中でどういう意味があってこのニュースを出すのかを考えています。それは、防災に限らずどんなニュースでもそうですね。

——特に宿泊(避難先)の確保について取り上げてましたよね

胆振東部地震で社会の注目を集めたのが、やっぱりあの大規模停電(ブラックアウト)でしたよね。当然、人が多い場所は、より大きな影響を受けると思っていて。北海道の中でも、最も人口が集中している札幌は定住人口だけではなく、観光客が多く来る場所ですよね。そこでもし停電が起きたら大変です。だから札幌市でどういう対策が取られているのかを取材して放送しました。災害発生の際は、まずは命を守るのが1番大切なのはもちろんですが、その後、いかに安心して過ごせるか、というのも大事なことですから。

——そうなんですね。防災担当になるということは防災についての知識が豊富?

そんなことはないです。災害報道とは何か、災害が起きた時にどういう取材をすべきなのかという研修等はもちろん受けてきましたが、特別な知識がもともとあるわけではないです。取材を重ねながら、勉強の日々です。

——防災担当を任命された時は、どうでしたか?

それはありがたかったです。前任局の福岡局を希望した理由も九州は豪雨災害が多いので、災害取材がしたくて行ったんです。ただ結局、別の担当になったので、災害報道や防災関連の取材はなかなかできなかったんです。その前にいた盛岡局のときは、宮古市という沿岸の支局に3年いたので、そこでは東日本大震災の取材にあたりました。

——盛岡局ではどんな取材活動を?

県警担当のほか、宮古支局で勤務していました。震災と台風で大きな被害を受けた三陸鉄道なども取材しました。あとは、「津波防災の日」・「世界津波の日」(11月5日)に、改めて津波の取材をしたんです。宮古市の中でも大きな被害を受けた地域の一つに田老地区があります。そこには“万里の長城”と言われているほどの高い防潮堤があったんです。津波が来ても大丈夫だとみんな安心感を持っていたと思います。ただ結局は、東日本大震災では津波がそれを乗り越えてしまい、大きな被害が出てしまいました。その防潮堤が完成したときの元町長に取材することができたんです。取材した当時はもう80代後半のご高齢でしたが、津波や防災の話になった時に「越波(えっぱ)」という言葉を使われたんです。とても専門的な言葉だと思うんですが、それが話の中で出てくるということは、この方は本当に防災と長く向き合ってきたんだなと感じて、それが強く印象に残っています。

——その宮古支局での経験がいまに活かせていることはありますか?

少しは専門的な知識を蓄積できたかなと思います。また、災害後はこれが課題になるとか、これは気をつけなきゃいけないというのが、東日本大震災の被災地の復興の過程から分かることが増えたので、そういう部分を今後の北海道での防災担当として活かしたいと思います。

——北海道の防災担当としてこれからの目標はありますか?

やはり被害が一番大きいと思われるのは津波だと思うので、まずは津波への備えについて取材し広く伝えたいです。少しでも多くの人が、北海道の日本海溝・千島海溝沿いをはじめとする巨大地震、そしてその津波に備えてほしいと思います。

——やはり津波対策ですか。

地震、大雨、水害、北海道は大雪などもあるので、事象ごとでの備えが必要になりますよね。その中でも地震や津波は、やはり一度起きてしまうと、ほかの災害と比べて、被害が甚大になることが予想されます。さらに、避難はどうするかとか、避難所運営どうするのか、行政のバックアップ体制どうするのかなど、様々な課題があります。防災の取材範囲は幅広いので少しずつ取材を深めていきたいと思います。

2.自分の仕事は伝えることなんだ

——防災以外ではどんな仕事をしていきたいですか?

困っている人を取材していきたいです。例えば10人いて9人が困っていることであれば行政や国が動くこともあると思いますが、10人中1人だけが困っていることは、あまり積極的な助けが無いと思うんですよね。以前、同性どうしの結婚が法律で認められていないのは憲法違反だと主張する人たちが起こした、いわゆる「結婚の自由」訴訟の取材をしました。この取材をはじめ、常々感じているところではあるんですが、我々は情報を伝えるのがとにかく仕事で、行政や警察みたいに強制力を伴う権限を持っているわけでもないんですが、ただ、こういうことが起きているよ、こういうことが壁になっているんだよとか、それを伝えられるだけでも多少の助けになっていると信じて取材していきたいと思っています。

——素敵な目標ですね。

少数だから伝わらない、放っておいてもよい、というのは悲しい考え方ですよね。目標とは少し違う話になりますが、何かを批判的に放送した内容に対して、対案を出してほしいと言う方もいらっしゃるんですけど、具体的な対案を出すのは我々の仕事じゃないと思っています。具体的な案を考えるのは、行政をはじめとした当局側の責任だと思います。私たちの原点はあくまでも、今起きていることを伝えて、 それをめぐる解決の模索などを“伝える仕事”だと思っています。

——自分の仕事は伝える仕事、というのが印象的でした。

やはり、伝えるのが1つのゴールだと思います。大それたことを考えるよりは、まずはとにかく伝えて、いろんな人に知ってもらうことに全身全霊を尽くしたいと思っています。
災害現場に取材に行くと、なんでマスコミはボランティア活動などをしないのかと言われることもあるんですが、でも自分たちの仕事はまず“伝えること”なので。まずはそこを全力で頑張りたいと思います。

3. 法曹ではなく、放送へ

——大学時代の話を聞かせてください

大学は法学部で、高年次のゼミでは憲法と刑事政策を学んでいました。このうち、憲法の勉強は何をするかというと、憲法をただ覚えるとかではないんですよね。解釈学なんですよ。憲法の条文について、それはどういう意味合いを示してるんだっていうのを解釈する学問なんですよね。それに関連するんですが、私は、勉強するまでは、法律って自動販売機みたいなものと思っていたんですよ。

——自動販売機?

ジュースのボタンを押したらジュースが出てくるし、水のボタン押したら水が出てくるというようなシステムだと思っていたんですけど、実際は違いました。つまり、実際に何か出来事が起きた時に、どういった解釈を理屈立ててやれば、理想とするゴールに持っていけるかっていうのを考えるのが法律学なんですよね。いろんな考えや思想、心情が大前提としてあって、それぞれが理想とするゴールに結び付けていくためにはどう解釈をつくっていけばいいかが法律学なので、そこの面白さがありました。

——なるほど。なぜ記者の仕事に?

もちろん最初は法曹になりたくて。法律に関係する弁護士、検察官、 裁判官になりたかったんですが、やはり法律の勉強は結構難しくて。あとは周りが優秀な人たちばかりで、自分は能力ないなと思って早めに諦めました(笑)。次は官僚を目指そうとしました。官僚は国の中心で働いていて、かっこいいなと思って。『官僚たちの夏』という小説があって、エリート集団だけど、熱い思いを持っている人もいていいなと思ったんです。でも公務員試験の勉強に対してモチベーションも無くなってきてしまって。そこから方向転換しました。

——その後の就職活動はマスコミ系が多かったですか?

他の業界も受けましたが、7割ぐらいはマスコミでした。横山秀夫という元上毛新聞(群馬の新聞社)の記者の方が今作家をやっていてその方の『クライマーズ・ハイ』という小説が御巣鷹山の飛行機墜落事故を題材にしているのですが、新聞社の内部の話を書いていて、面白いなと思ったのも記者を目指したきっかけの一つです。

——NHKに入ろうと思った理由は?

正直に言うと、決め手は最初に内定が出たからです。でも志望していた理由は、受信料で支えていただいている公共放送だから、スポンサーを基本的な資本とする民放や新聞社と比べて、利害に囚われずに、伝えるべきニュースを出せるんじゃないかと思ったことです。あと、新聞よりはテレビ(映像)の方がメディアとして情報が伝わりやすく、また将来性もあるのではないかと思ったので。

——NHKに入ってのギャップはありますか?

職員はクールでインテリ系の方が多いと想像していましたが、全然そんなこと無かったです(笑)。
業務的にはあまりギャップは感じなかったです。ただドラマとか映画だと、記者が官僚や警察などに取材した証拠を突きつけて、「それはこういうことでよろしいんですよね?」とか、かっこよく問うシーンあるじゃないですか。そういうことがたくさんできるかと思ったんですけど、実際にはそんなことはほぼなく、非公式の取材だと、会って話ができるだけでもありがたいくらいで、ほとんどで門前払いを食らったのは、いい経験となりました。

——最後に記者のやりがいを教えてください。

自分が取材した内容が世の中を駆け巡るのは、率直に言って嬉しいし、気持ちがいいです。達成感があります。いろんな場所に行って、いろんな人に会って、話を聞けるのもやりがいの一つです。また最近は、記者が自ら中継リポートを出すことも多くなりました。テレビ報道ならではの伝え方だと思うので、私も伝え方に関してはまだまだ未熟ですが、工夫してもっとやっていきたいですね。

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