屯田地区の三角屋根団地はなぜできた?
- 2022年11月9日
視聴者のみなさんから寄せられた疑問にお答えする「シラベルカ」。 今回は、建物に関する話題です!
札幌市北区屯田に住む70代の男性からの質問。
「屯田地区に三角屋根の家が何軒も建てられた場所が多く見られます。札幌開拓時代の団地と聞いたことがありますが、この三角屋根の家の歴史を知りたいです」
シラベルカと一緒に屯田地区へ行きましたが、確かに三角屋根の家がたくさん並んでいますね・・・。
ということで、なぜ多くの三角屋根の家が建てられることになったのか、その歴史とともに調べました。
古くから屯田に住む人に聞いてみた!
札幌市の中心部から北におよそ8キロに位置する、屯田地区です。
空から屯田地区をみると、確かに三角屋根の家がずらっと並んでいます。
なぜ三角屋根の家がこれほど密集しているのか。
屯田団地町内会会長の川嶋國男さんを訪ねました。
分譲が始まったころに入居した屯田団地町内会会長の川嶋さんは、当時の一般的な住宅に比べて傾斜のある三角屋根の家にはそれまでにない魅力があったといいます。
川嶋國男さん
「冬場、屋根に常時雪が積もるってことがないんです。傾斜が大きいですから、全部落ちちゃうと。そういうことでは考えられた住宅だと」
団地はいつたてられた?
屯田地区に三角屋根の家が建ったのは、今から半世紀以上前の高度経済成長期。
道内の炭鉱閉山の影響による流入や、周辺市町村との合併などによって札幌市の人口が急増していました。1960年にはおよそ52万人だった人口は、わずか10年後の1970年に100万人を突破します。
高まる住宅需要に対応するため、屯田地区の38万平方メートルもの広大な土地に800戸を超える三角屋根の住宅が建てられたそうです。
ちなみに、サッカー場が約7140平方メートルなので…。
なんと、53個分もの広さになります!
江別市や石狩市にも大規模な住宅団地が造成され、1万戸以上が建てられたといわれています。
三角屋根のデザインは家族のためだった!?
さらに調べていくと、この特徴的な急傾斜の屋根になった理由は、雪対策だけでないことがわかってきました。
三角屋根の家を設計したのは、道立寒地建築研究所(現・北海道立総合研究機構 建築研究本部)が行いました。そのときに想定されていた家族構成は、両親と子どもの5人家族でした。
その構成はかなり細かく…
▼父:43歳
▼母:37歳
▼長女:16歳(高校生)
▼長男:13歳(中学生)
▼次男:9歳(小学生)
と想定されていました。
45度に近い角度をつけた三角屋根にすることで、2階部分に相当する空間を生み出していました。その空間は入居者によって自由にアレンジが可能で、“年頃になった子どもたちに個室を与えたい!”と思ったときには子どもの部屋として使うことができたそうです。
(ちなみに、このとき末っ子は両親と一緒の部屋で生活し、長女が巣立ったらそこに入る…という想定だそう)
実際に、この2階部分の部屋を川嶋さんも子供部屋として活用されていたそうです。
川嶋國男さん
「親が考えるより子どもたちがそういうことを希望するもんですから。2部屋作りまして、それぞれ1人が1つずつ部屋を持てるというような」
当時はまだ子どもが個室を持っていることが珍しい時代でしたから、うれしかったでしょうね。
なぜ屯田が選ばれたの?
ところで、屯田地区に住宅が建つ前はどんな歴史があったのでしょうか。
地区の歴史に詳しい、屯田郷土資料館の小澤隆さんのもとを訪ねました。
小澤隆さん
「この写真は屯田兵の訓練の将校と下士官の人が明治27年に撮っています」
小澤さんによると、この地区には明治22年に土地の開拓と北海道の守備にあたるために熊本や山口などから屯田兵とその家族、およそ1000人が入植したそうです。
屯田兵たちは兵隊としての訓練と平行して、原始林が広がっていた土地を田畑として耕していきました。
その田畑を開発し、のちに一大団地が造成されました。
三角屋根はなぜ普及した?
道内各地に広がった三角屋根の家ですが、普及した背景には壁などに使われた材料も関係していることがわかりました。それは「コンクリートブロック」です。
当時は暖房の燃料として石炭が利用されていました。そのため、燃えにくい材質を使う必要があったのです。
コンクリートブロックは防火性に優れているうえ、道内で手に入りやすい火山灰などを原料に作ることができました。
さらにブロックを使うことで当時不足していた木材の節約につながり、その居住性の良さとあいまって広く普及していったといいます。
北海道立総合研究機構 建築研究本部 高倉政寛さん
「この三角屋根ブロック造っていうのは、やはり多くの皆さんに間取りとか好評だったんですよね。合理的で思った以上にローコストにいろいろできた。それで人気が出たということなんでしょう」
これからも変わらず屯田で
屯田団地の空き地
三角屋根の住宅ですが、建築から半世紀以上が経過していることから空き家になったり、新しく建て替えられるなどして、その数を減らしています。
屯田団地が形づくられた当時から町の姿を見守り続けてきた川嶋さんは、町の姿が変わったとしても、住民たちの“心”は変わらないと話します。
川嶋國男さん
「団地のみなさんは同じ時期に入居したので絆は強いです。そういった精神的な面は変わらず、今後も続いていけば」
みなさんがこれからもずっと、つながり続けていけたらいいですね!
新たなカタチ
ブロックの質感や木材の風合いを生かして…
建築から半世紀以上が経過した三角屋根の家ですが、その価値が見直されています。
一部の住宅はリフォームやリノベーションされ、家族が住み続けたり、新しく入居する人が現れているそうです。三角屋根の形はもちろんのこと、コンクリートブロックで造られた壁のむくな質感と、屋根に使われた木材の持つ暖かな雰囲気の調和が人気となっているのだとか!
“北海道の文化遺産”とも言える三角屋根の家。
これからも残っていってもらいたいですね!
取材まとめ
今回、「屯田団地の三角屋根」を取材したことで、いままで知らなかった北海道の文化や歴史に触れることができたように感じます。屋根のデザインは雪のためだけでなく子どものために部屋を増やすためであったり、ふるさとを離れて遠く離れた地で開拓に従事した屯田兵のことなど、個人的にも勉強になりました。これからもこういった話題を取材していきたいと思います!
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札幌局カメラマン 濵本航大