札幌市北区のJR新琴似駅。改札口の隅に小さなクマの石像があります。
駅名にちなんで“新ちゃん”と命名され、地元ではちょっとした人気者です。
今回のシラベルカ、この石像の由来の謎に迫ってみました。
(札幌放送局 川口朋晃記者)
いつ、どこから来たの?
取材のきっかけは、駅をよく利用するという投稿者から寄せられたお便りでした。

投稿をくれたのは地元でお寺の住職をしている内平淳一さん(40)。生まれも育ちも新琴似の内平さんは、長年、この疑問をかかえてきたということです。
内平淳一さん
『子どもの頃から駅にあるので、あるのが当たり前ではありますが、改めてなぜここにクマの像があるのか知りたいなと』

内平さんはご自身でもこの石像の来歴について調べた経験があるそうですが、よく分からなかったため、シラベルカ取材班にお便りをくれたということです。
私たち取材班はまず、実物の新ちゃんに会いに行ってみました。

改札のフロアの片隅に、うわさの石像がありました。
聞くところによると、旧駅舎の時代からあり、今の新しい駅舎に建て替わる際に撤去される予定でしたが、地元の人から「新ちゃんはどうなるの?」という声が上がったため残されることになったそうです。
私たちが取材を始めたのは12月。新ちゃんはご覧のようにサンタクロースの衣装をまとっていました。季節ごとに衣装を変えているということです。
余談ですが、NHK札幌放送局の堀若菜キャスターも新ちゃんの大ファンで、これまでにさまざまな衣装姿をカメラに収めてきたそうなので、ここで一部をご紹介しますね。

記録がない・・・
さてさて、そんな愛されキャラの新ちゃんですが、その来歴についてまずはJR北海道に問い合わせてみたところ、「旧国鉄の時代から置いてあるはずだが資料が残っておらず、分からない」という回答でした。

『新琴似百年史』より
そもそも新琴似駅は、旧国鉄時代の昭和9年(1934年)に開業しました。
開業からまもない昭和11年の写真を見てみると、石像は置かれていないように見えます。当時からあったというわけではないようです。
資料を保存している鉄道運輸機構のほか、北海道庁や札幌市、地元の図書館などでも新ちゃんの手がかりを探してみましたが、やはり「記録がない」とのこと。

また、かつての駅員や運転士からも話を聞いてみましたが、「置いてあるのは知っていたけど、いつから、なぜ置かれたのかは知らない」ということで、こちらも収穫ゼロ。
新ちゃん、あなたはいったい、どこから来たの。
石材から迫ってみたら光明あり!
取材は行き詰まったかに見えましたが、そんなとき、市内の石材加工会社の方から情報が舞い込みました。「新ちゃんは札幌軟石という石で出来ているのでは」というのです。
札幌軟石とは太古の昔に起きた噴火のあと、火山灰や軽石が冷えて固まって出来ました。明治以降に札幌市内でさかんに採掘されるようになり、開拓期の建物にも建材として多く使われてきました。
石材を突破口に謎に迫れないか。私たちはこの石材にたいへん詳しい「札幌軟石ネットワーク」の杉浦正人さんに石像を見てもらうことにしました。

札幌軟石ネットワーク 杉浦正人さん
『石像を見るといろいろな岩石を含んでいて、札幌軟石特有のものです。表面が黒くなっているのは、長年の汚れだと思われます。石材を彫ることに腕に覚えがある人が作ったのかも知れませんね。当時の軟石の供給状況と重ね合わせると、作られたのは昭和30年代とか40年代の早い頃なのかなと推察できます』
杉浦さんが指摘した昭和30年代から40年代には、札幌軟石の採石場では機械化が進み、生産量はピークを迎えていました。しかし、石像を作るだけの大きな軟石を手に入れるのは当時としても難しかったのではないかといいます。

札幌軟石ネットワーク 杉浦正人さん
『大きな材料を調達できる人で、それなりの細工もできる力量があるということになると、制作できる人はかなり限られると思います。やはり、石材関係の仕事をしていた人の可能性が高いような気がします。そんなにすごく精巧な作りという感じではないですが、長年の風雪にさらされて風化しただけなのかも知れず、そこもまた謎を呼びますよね~』
クマの石像がもう1体!!
ここでさらに、気になる情報がもたらされました。道内には新ちゃんと同じように札幌軟石を使って制作されたクマの石像がもう1体あることが分かったのです。しかも、旧国鉄駅近くに置かれていることまで共通していました。
それがこちら ↓

もう1体の石像は、後志のJR余市駅前の広場にありました。
新ちゃんと比べると、より精緻な彫り方なのですが、立ち姿は似ている気もします。もしかしたら、関係のある人が制作したのかもしれません。
余市町に取材してみると、この石像は昭和30年代の初め頃、当時の町長が地元企業のニッカウヰスキーに依頼して寄贈してもらったものだそうです。
ニッカウヰスキーの広報担当者は「寄贈した記録は残っていますが、当時は創業者の竹鶴政孝氏(マッサン)の鶴の一声でいろいろな方針が決められていました。そのつど記録を残すことはしておらず、詳しいことは分からないです」とのこと。新ちゃんとの関連性については分からずじまいでした。
鉄道ファンの写真に新ちゃんの雄姿が
私たちは再び新琴似に戻り、新ちゃんにまつわる情報収集を一からやり直しました。すると、ようやく、地元で鉄道や駅舎を撮り続けている男性に行き着くことができました。
男性は「matuno kura」という名前で活動するフリーのカメラマン。取材の趣旨などを説明したところ、これまで撮りためた写真や映像を快く提供してくれました。

こちらは、20年余り前の平成9年(1997年)に撮影されたものです。
旧駅舎のホームに新ちゃんの姿が確認できます。

もっと前、昭和55年(1980年)に撮影された写真にも、ホームの柱の陰にそれらしい姿がありました。

さらにさかのぼると、昭和51年(1976年)の写真にもしっかりと写っています。
駅名の標識の下に置かれていたことが分かります。
撮影したmatuno kuraさん
『カメラを始めた学生時代から新琴似駅によく写真を撮りに行っていました。当時からホームにクマの石像があるのは知っていましたが、そこにあるのが当たり前だったのでとくに気にも留めていませんでした。鉄道ファンの仲間にも聞いてみましたが、新ちゃんが置かれた経緯を知る人はいませんでした』
謎は、謎のまま・・・
結局、今回の取材では、新ちゃんが作られた経緯については明らかにすることは出来ませんでした。ですが、貴重な写真によって、遅くとも昭和50年代初頭から駅に立ち続けていることが分かりました。雨の日も雪の日もホームに立って、大勢の人生を見守ってきたんですね。
そしてこれからも・・・。
私たちは今後もこの石像が置かれた謎に迫っていきたいと考えています。新ちゃんにまつわる情報をお持ちの方がいましたら、ぜひシラベルカの投稿フォームでご連絡を頂きたいと思います。取材に進展があれば、このサイトや番組などであらためて報告します。

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