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未踏峰への挑戦~野村良太さん寄稿~

  • 2023年12月11日

ヒマラヤの未踏峰を目指すということ

初めての海外遠征。ヒマラヤ登山の難しさや、登ってみて何を感じたのか。自らの言葉で記していただいた。

 — 野村良太さん寄稿 ―

 宗谷岬から襟裳岬まで、北海道の分水嶺670㎞を積雪期に単独で63日間かけて縦走していた、あの苦難と幸福に満ちた日々から、早くも3か月が経とうとしていた。北海道の短い夏を凝縮したような、良く晴れてからっと暑い8月のある日だった。その日はガイドの仕事で早朝から幌尻岳にいた。ツアーサポートで礼文島から駆けつけてくれた齊藤大乗さんとはこの日が初対面だ。挨拶もそこそこに、さっそく大乗さんから魅力的な勧誘が始まった。
「来年の春、一ヶ月半くらい空けられない?」
「もしかして海外遠征ですか。空けます。行きます。ところでどこですか。」
 二つ返事を返す僕に大乗さんが嬉しそうに続ける。
「ヒマラヤの未踏峰だよ。ジャルキャヒマール。標高は6473m。ネパール側から行くよ。」
後から聞いた話では、大乗さんは遠征メンバーに僕を誘うためにこの仕事を請けたらしい。僕自身も、大乗さんとは直接の面識こそなかったものの、花谷泰広氏が主宰する「ヒマラヤキャンプ」の2018年メンバーとしての活動を追いかけ、雑誌の特集で大乗さんの活躍を読み、礼文島に高所登山が好きなお坊さんがいることを知っていた。こんなチャンスはそう簡単には巡ってこない。迷わず参加を決めた。
秋になって、最終的に4人のメンバーが固まった。大乗さん(37)を隊長に、山梨県韮崎市で登山ガイドとして活動していて同じくヒマラヤキャンプ2018年隊のメンバーだった杉本龍郎さん(34)、奈良県川上村でこちらも登山ガイドとして活動する竹中雅幸(32)さん、そして僕(28)だ。竹中さんは2020年にもジャルキャヒマール遠征を計画して、5400m付近で撤退を余儀なくされた遠征隊の隊長を務めていた。

 今回の遠征メンバー4人の中で、ヒマラヤはおろか海外遠征の経験がないのは僕だけだ。ヒマラヤへ行ってみたいという漠然とした憧れはあったものの、何一つノウハウがない僕にとって、そこは遠い場所だった。登山許可、現地サーダーとのやり取り、航空券の手配、山岳保険への加入、装備計画、食料計画、地図とにらめっこしてのルート検討…。
 出発前から準備しなければならないことはたくさんある。メンバーの拠点はバラバラなので、遠征計画の打ち合わせは主にズームで行なわれた。経験豊富な先輩方に多くを教えてもらう形で、僕自身も大きな滞りなく準備することが出来た。全てを一人でこなさなければいけなかったらどこかでパンクしてしまったかもしれない。

 ネパールへ到着してからも現地の洗礼を受けた。町中が埃っぽく、清潔な日本に慣れているとお世辞にも衛生的とはいえない。お湯の蛇口をひねっても茶色く冷たい水しか出てこない。案の定、数日後には腹を壊し、先が思いやられるスタートとなった。
 キャラバンもなかなかのものだ。目的の未踏峰のベースキャンプにたどり着くだけでも、10日間ほどトレッキングルートを歩かなければならない。道中には乾燥したロバやヤクの糞が舞っていて、隊の半数近くが常に何かしらの体調不良を訴えていた。僕もその例に漏れず、風邪を引いて高熱を出してしまった。
 風邪が治ったと思ったら、今度は高所との闘いが始まった。ベースキャンプの手前の最奥の村サムドでは、すでに標高が3800m以上ある。日本の最高峰よりも高い村での滞在はじわじわと身体を蝕んでゆく。
 4500mのベースキャンプでも苦労は絶えない。緩いおなかと鈍い頭痛にじわじわと体力、精神力が削られてゆく。それでも偵察行を繰り返していくうちに、少しずつ体が慣れてきていた。

 次の試練は天候だった。体も慣れてきていよいよ、というタイミングで季節外れの悪天候がきた。夜のうちにしんしんと降り積もり、早朝には一面の銀世界となる日が続いた。この深い雪ではラッセルで思うように行動出来ず、雪崩のリスクも心配だった。
 貴重なチャンス日は半日しかなかった。晴れるとしたらこの日しかない、その読み通り午前中は快晴だったが、午後にはあっという間にガスに捕まり、最後はブルーアイスに阻まれて撤退を余儀なくされた。
 最後のあがきはクレバスに阻まれた。龍郎さんが落ちたらしいのを無線で聞くことしかできなかった。その夜、4人で話し合うも結論を出せなかったあの空気感を今でも鮮明に覚えている。

 とことん上手くいかない、そんな遠征だった。それでいて、ふとした時に全ての苦労を忘れさせてくれる素晴らしい時間が、わずかながら確かに存在する。バックキャラバンでラルキャ峠(5106m)を越えた日の朝焼けは、まさにそんなひとときだった。あの橙色に染まるヒマラヤに見とれていると、きっとまた近い将来、ここに戻ってくるのだろうなと、ぼんやりとそう思った。

 どれだけ偉大な登山家にも、「初めての遠征」が存在する。偉大な先人たちが揃いもそろって通ってきたであろう“ヒマラヤの洗礼”を一通り受けることが出来たのではないかと思うと、とたんに充足感が溢れてくる。
 なによりも僕は、「上手くいかないことだらけだったのに楽しい遠征だった」、「これで上手くいったらどれだけの感動があるのだろう」、「あの店のダルバートとあの村のロキシー(現地の蒸留酒)が美味しかったな」と思っているのである。この感覚は次の遠征への大きなモチベーションとなるに違いない。

 他人に話せるほどでもない、まだおぼろげな次の計画がにわかに動き始めている。今回の遠征での経験を生かすときが近づいているのかもしれない。

(登山家 野村良太)

▶未踏峰への挑戦~野村良太のヒマラヤ日記~特設サイト

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