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希少リンゴ「旭」 シードルに込めた思い

  • 2022年12月16日

北見市で生産されている希少なリンゴ「旭」(あさひ)を使ったお酒=シードルが完成し、道内外のホテルやバーなどに販売されています。旭はかつてオホーツク地方で盛んに生産されていましたが、産地の急激な衰退と共に一般に流通することがなくなり、今では“幻のリンゴ”とも呼ばれています。
 このシードルにはオホーツクのリンゴ栽培を守りながら、旭の味と魅力を多くの人に伝えたいという生産者の思いが込められています。
 (NHK北見放送局 大谷佳奈) 

北見産の旭で造ったシードルはホテルやバーなどの業務用に300本限定で生産され、道内外に販売されています。10月に収穫したリンゴをマイナス20℃まで冷え込む1月まで保存し、凍結と解凍を繰り返して濃縮した果汁をじっくり低温発酵して造りました。知床で見つかった酵母を使い、醸造も北見市のワイナリーが手がけて“地元産”にこだわっています。アルコール度数は6.5%で飲みやすく、リンゴ本来の甘い香りと爽やかな酸味を楽しむことができます。
このシードルの原料を提供したのは北見市でリンゴ園を営む篠根克典さん(55)です。父親の一さんが1951年(昭和26年)に始めたリンゴ園を12年前に継ぎ、旭の生産を続けています。

旭は明治時代に日本に入ってきて以来、品種改良されることなく作られてきた昔ながらのリンゴです。北海道や東北などの寒冷地向けの品種ですが、オホーツク地方の気候は特に栽培に適していて、良質なリンゴが作られていました。
旭の味わいについて、篠根さんは「甘酸っぱくて、酸味がある。初めて食べた人でも昔懐かしい感じがする不思議なリンゴです」と話しています。

産地衰退で“幻のリンゴ”に

オホーツク地方は半世紀前までリンゴの一大産地として知られていました。1974年(昭和49年)の記録では湧別町の上湧別地区で60戸、北見市で19戸のリンゴ農家が生産していたと残されています。旭は当時の主要品種で、オホーツクのリンゴの代表格として多くの人に親しまれていたと言います。

上湧別地区のリンゴ栽培の様子(1975年ごろ)

しかし、木の皮の腐敗から枝枯れに進む「腐らん病」などの病害虫の流行や甘いリンゴを好む消費者志向の変化、価格の低迷などで、オホーツクのリンゴ生産は急激に衰退しました。現在のリンゴ農家は上湧別地区でゼロ、北見市内では2戸が残るだけになっています。
産地の衰退と共に旭が一般に流通することはなくなり、今では“幻のリンゴ”とも呼ばれるようになってしまいました。

旭に詰まった産地の思い出

篠根さんが旭の生産を続けているのは、家族や近所の人たちで支え合ってきたリンゴ栽培の思い出が詰まっているからだと言います。

篠根克典さん
「私が生まれた時にはすでに父がリンゴ園をやっていたので、周りにリンゴの木がいっぱい生えている状態でした。その辺の道を歩くとリンゴの木が延々と並んでいました。リンゴ農家は10軒ぐらいはあったと思います。農薬を散布する機械がかなり高価で、共同で1台を買うなど助け合っていました」

当時は卸売市場に出荷していたため、リンゴを大きさごとに仕分ける選果作業を家族全員で夜遅くまでしていたと話します。

5歳ごろの篠根克典さん

篠根さんは中学生のころ、父親に「リンゴ園を継ごうと思っている」と話したそうです。しかし、父親からはリンゴ農家の経営の厳しさや作業の大変さから違う道を進むように勧められました。
その後、篠根さんは仙台の大学を卒業して、関東地方の半導体メーカーに就職しました。約20年間勤めましたが、2008年のリーマンショックでITバブルが崩壊し、人生を見つめ直すきっかけになったと言います。

篠根克典さん
「人間やっぱり、生きていくために有意義な人生を送りたい。地元に帰って、父のリンゴ園を継いだ方がいいと思いました。そのころもうすでにオホーツクのリンゴ農家は少なくなっていたので、私が継がないとオホーツクのリンゴ栽培は消えるだろうなと思って。全部消えてしまったら、私のせいのような気がしました」

未来につなぐ旭生産

12年前にリンゴ園を引き継いだ篠根さんは、3ヘクタールの敷地にある約700本の木でリンゴを生産しています。収穫量などを左右する枝切りの作業は真冬から行っていて、父親が続けてきたリンゴ栽培の苦労を実感していると言います。
とりわけオホーツクの農家を悩ませた「腐らん病」は幹だけでなく枝からも発症するため、丹念に見回らなければなりません。農薬が届かない木の内側に進行する病気で、見つけたらすぐにナイフで削り取る地道な作業を繰り返しています。

リンゴ園を守る篠根さんを支えているのが、インターネット販売で旭を購入した人から届くメッセージです。昔ながらの甘酸っぱい味を探し求めて、篠根さんのリンゴにたどりつく人は少なくありません。

篠根克典さん
「旭のファンは結構いろんな所にいる。プレッシャーがかかりますよね。やめられないなと思います」

11月下旬、シードル造りを企画した東京のコンテンツ開発会社「丸屋」の眞島亮人代表がリンゴ園を訪れて、試飲会を開きました。篠根さんの思いに共感して企画を進めてきた眞島代表は「生まれて初めて旭を食べた時にこれほどおいしい物があるのかと思った。それが絶えてしまうのは私にとってもデメリットというか、非常に悲しいことなので、今後も関わっていきたい」と、旭への思いを語りました。

シードル造りを企画した「丸屋」眞島亮人代表(写真左)

旭の味と魅力をより多くの人に届けたいと進められた今回のシードル造り。オホーツクのリンゴ生産を守ってきた篠根さんは、今後の願いを話してくれました。

篠根克典さん
「今回のことでリンゴ栽培に興味を持って、私の跡を引き継いで『リンゴ作りをやってみたい』と思う若い方が出てきてくれるのが最後の目標です。もうひと頑張り必要ですね」

篠根さんたちは来年には業務用に加えて一般向けのシードルも生産し、海外の品評会に出品することを目指しています。昔懐かしい旭にスポットを当て、オホーツクのリンゴ生産を未来につなげる取り組みに今後も注目していきます。

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