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  4. 私の“再出発点” 胆振東部地震

北海道の皆さん、こんにちは。
アナウンサーの糸井羊司です。

5年前、当時、札幌放送局で勤務していた私は、道民の1人として、あの胆振東部地震を経験。その後、全道で大停電が起きる中、発生初日からラジオの放送を担当しました。テレビが見られない中、ラジオからの情報に耳を傾けた、そのことを記憶してくださっている方も、決して少なくないのではと思います。

あの時、何を考えながらマイクに向かったのか。
当時の経験を、その後どのように生かしてきたか。

あれから5年。
当時の記録と記憶をたどって、書き残しておきたいと考えました。ご自身の記憶と重ね合わせながら、お付き合いいただけますと感謝です。


 ※記事中の画像は、一部を除いて糸井本人が撮影したものです。

【夜明け前の地震、そして“ブラックアウト”発生・・・】

2018年9月6日午前3時過ぎ。文字通り、突き上げるような揺れで目が覚めました。家具がきしむ音が響く室内。ベッドの上で弾む体を支えながら、テレビのリモコンに手を伸ばします。目に飛び込んできたのは、北海道全域が対象となった緊急地震速報の画面でした。

※実際には最大震度7。発生直後はまだこの情報が入っていませんでした。

「津波による被害の心配なし」との情報にひとまずほっとしながら、出局するため、すぐに着替えました。そしてドアを開け、マンションのエレベーターホールへ・・・。ところが、エレベーターが止まっていました。

地震発生直後 3:15

地震発生直後 3:16

階段を駆け下りて、建物の外へ。
近所のコンビニエンスストアは、営業を続けていました。店員に話を聞くと、揺れには驚いたが、店内では物がいくつか落ちた程度だったとのこと。

地震発生直後 3:16

札幌ではそれほど被害は出ていないんだろうか・・・。
そう思いながら局へ急ごうとするものの、なかなか空車のタクシーが見つかりません。走って向かうしかない。そう決めて、駆け出したその時です。通りの奥から手前に向けて、ありとあらゆる明かりが、パパパパパパッ!と消えたのです。
暗闇の波が押し寄せるような光景でした。この瞬間、北海道全域で同様の事態が起きているとは、まだ想像すらしていませんでしたが・・・。

地震発生当日3:25ごろ NHK札幌の取材映像より

ふと背後から「糸井さん!」と呼ぶ声が。後輩のディレクターでした。
ほぼ同時に、空車の赤いサインを灯したタクシーが接近。一緒に乗車して局へ急ぎました。ふだんは深夜でも明かりの絶えない札幌中心部の大通。それが見渡す限りの真っ暗闇です。信号の消えた交差点を慎重に進みつつ、札幌放送局に到着。廊下の壁には、天井から床にかけて、見たことのない亀裂が走っていました。

地震発生当日

すでに地震発生から30分ほど経過。職員・スタッフが自主的に、続々と出局してきました。非常電源が稼働し、放送は続けられる状況でしたが、スタジオ以外の照明で、点灯していたのは一部のみ。数多く並ぶテレビやパソコンの画面も、ほとんどが消えている。その状況下で、取材・放送が進められていました。

出演業務は後輩のアナウンサーに任せ、私はまず、放送で必要になるであろう「呼びかけ文」の準備など、サポートに回りました。

このとき、すでに北海道のほぼ全域で停電が発生。
テレビの電波を送っていても、自宅のテレビで見られる人はほとんどいないだろう。そうした状況で重要度が増したのが、ラジオでした。NHK札幌放送局では午前中から、北海道内に向けて独自に、各自治体への取材で得た生活に関わる情報を伝える「ライフライン放送」を開始。10時半すぎから午後3時にかけて、私が放送を担うことになりました。

地震発生から、すでに7時間あまりが経過。
身の安全は確保できていたとしても、不安や疲れが出てくるであろう時間でした。

「最新情報を正確に伝える。それはもちろん大事。
でもそれに加えて“安心・共感”といった要素も大事かもしれない・・・」
そんな思いを抱きつつ、マイクに向かいました。

地震発生当日 10:30過ぎの放送
時刻は10時半を過ぎたところです。ここからはNHK札幌のスタジオからお伝えします。担当はアナウンサーの糸井羊司です。(工藤恵里奈です。)この時間は地震関連のニュース、そしておもに電気や水道、ライフラインに関する情報、それと避難所に関する情報など、より暮らしに近い、さまざまな情報をお伝えしていきます。
まず・・・、ずっと道内では停電が続いています。(はい。)その電気に関する情報からなんですが、北海道電力は、地震によって電力の供給ができなくなっていまして、道内全域にあたる295万戸が引き続き停電をしています。
<中略>
停電という、ふだん慣れない環境の中ですので、知らず知らずのうちにストレスが溜まったり、疲れが溜まってきているんじゃないかと思います。(ええ。)明け方の地震からすでに・・・7時間半ほど経とうとしているところです。少しでも、お1人お1人にとって、楽な気持ちになれる状態、体を休めることのできる状態で、こうしたさまざまな情報を手に入れていただければなと思います。

小さなことですが、冒頭で敢えて名乗ったのも、そうした思いからです。
特にこの時間、一緒に担当したのは、かつて土曜朝の番組で共演していたキャスターでした。
「地元の局の、あのアナウンサー・キャスターが伝えているんだ」とわかる、“顔の見えるラジオ放送”にすることで、少しでも“安心・共感”につながってほしい。そんな願いがありました。

【その言葉、届けるのに相応しいか? ~「胆振東部地震」報道から学んだこと~】

私たちNHKアナウンサーはすでにこの頃、「命を守る呼びかけ」と称して、防災・減災を目指したさまざまな呼びかけ文を準備していました。

しかし“全道ブラックアウト“という状況下では、呼びかけ文をそのまま使うことが適さない場面に直面しました。たとえば、熱中症への対策。地震発生当日、気温は平年より4度ほど、オホーツク海側では7度も上回ると予想されていました。普段でしたら、こまめな水分補給や、エアコンの適切な使用などを呼びかけます。でも、エアコンや扇風機を使おうにも、電気が使えないのです。冷蔵庫も機能しません。こまめに水分補給をとろうにも、各地で断水が起きています。
停電のためポンプが動かず、水道が出ないマンションもあるでしょう。

想像できうる限りの状況を踏まえ、言葉を紡ぎ出しながら、放送を届けることが求められました。

地震発生当日 11:58ごろの放送
この時期にしては、暑さが戻ってきそうです。(はい。)こまめな水分補給というのもなかなか難しい状況かもしれませんけれども、(ええ、)また停電をしていて、エアコンが使えない、扇風機も回せないという状態の方が、ほとんどではないかというふうに思います。

あの、窓を少しでも開けるなどして、なるべく涼しい状態を保つようにしてください。こういう換気をするときなんですけれども、(はい、)ご家庭によっては、窓がですね、少し高いところ、天井に近い部分に窓のあるおうちも、あると思います。そういうところを開けると同時に、なるべく低いところにも窓があればそちらを開ける。そういう高低差をつけますと、(ええ、)より風が通りやすくなる、ということなんですね。

ですのでそうしたことで、この環境の中でも少しでも涼しさを保つことができるかと思いますので、あの、体調を、無理しないように、どうぞなるべく、心の状態も体の状態も穏やかにいられるように、お過ごしいただければと思います。

また、各地で断水が起きたことを受けて、道内各地に給水所が設けられました。
その“お知らせ原稿“がスタジオに届いたのですが、末尾にほぼ必ず付け加えられていたのが「(水を入れるための)容器を持参してください」という文言でした。

「地震で物が壊れたり散乱したりする中で、皆が容器を持っていけるんだろうか。でも、容器が必要だということも伝えなくてはいけない・・・」。
そこで、このように言い換えました。
「適当な入れ物がない、という方もいらっしゃると思いますが、給水所には容器をお持ちくださいと、○○町では呼びかけています。」
被災した人たちが少しでも受け止めやすい表現は何か、考えながら言葉を紡ぎ出す。その繰り返しでした。

地震発生当日 17:08

地震発生当日 20:58
帰宅できない職員・スタッフのため、スタジオの床に布団が敷き詰められた。

地震発生翌日 9:07
テレビ塔の電光表示時計は消えている。信号機もまだついておらず、警察官が誘導にあたっている。

さらに翌日以降、停電の段階的な復旧とともに頻繁に伝えることになったのが「節電の呼びかけ」です。

「テレビの主電源は切ってください。」「冷蔵庫の温度を高めに設定してください。」いったい何度、この呼びかけを繰り返したことでしょうか・・・。
言わなくても、もうみんな実践しているんじゃないだろうか。もうわかってるよ!と思われないだろうか。そんな疑問が生じてきます。
それを少しでも緩和できればと、「炊飯器の保温は4時間が目安。それより長く保温が必要なら、電子レンジで温め直したほうが節電になる」など、わずかですが、自分で調べた情報を交えたりもしました。

ほかにも、いわゆる“余震”による土砂災害への注意喚起をする際、ただ「土砂災害に注意してください」で終わらせるのではなく、「山間部を車で移動中の方、見通しの悪いカーブの先で道路脇が崩れていたり、谷に近い側の路面が崩れ落ちたりしているおそれがあります」などと(想像に過ぎないのですが)極力、具体的に、気をつけてほしいことを伝えました。

「いま、そこにある危険は何か」
「その危険を防ぐには、具体的に何を伝えればよいのか」
「どんな言葉を紡ぎ出せば、聴く人の心に届くのか」

防災・減災報道のキャスターを務める上で、いまも自分が大事にしたいと思い続けていること、それを“伝えながら学んだ”のが、胆振東部地震でのラジオ放送でした。

【疲れているのに眠れない“非日常”の世界 ~“被災者“として学んだこと~】

胆振東部地震ではもう1つ、本当にわずかではありますが、我が事として実感したことがあります。“被災者の心情”です。
“全道ブラックアウト”という未曽有の事態によって“道民全員が被災者になった”ともいえる地震。
私自身が、その“被災者”の1人でもありました。

地震発生当日21:13

地震発生当日の夜、私が帰宅する時間も、札幌市中心部のほとんどは暗闇のまま。家の中も真っ暗でした。

地震発生当日22:09

頼りになったのは、キャンプ用の照明器具。手回し充電式で、スマートフォンの充電もできる仕組みでした。
そして、携帯ラジオ。情報が途切れず伝え続けられているということそのものが、暗闇の中で安心感をもたらしてくれました。
さっきまで自分は“伝え手”の側だったわけですが、“受け手”になって、その重要性を改めて感じました。

地震発生当日22:10  久々に電池を入れたため、表示された時刻がずれている。

そして最も強く感じたのが「疲れているのに眠れない」という現実です。明け方3時過ぎに地震で飛び起きて出局した、その日の夜です。頭も体も疲れ切っています。でも、眠れないのです。

感謝なことに、住まいは無事でした。でも電気がつかない、水道が出ない、そうした“非日常”の状況が、いかにストレスを感じさせるか。たった一晩ではありましたが、我が事として実感しました。

「無理に眠ろうとしてもダメだな・・・。ラジオを聴きながら、目だけは閉じていればいい。」そう思いつつ横になりながら、一夜を明かしました。

その後・・・。翌年に東京へ異動し、さらに2年近くが過ぎた、
2021年2月13日の夜遅く、東北地方で最大震度6強の地震が発生。各地で停電も起きました。
翌14日の朝5時、担当したニュースの冒頭で発した言葉。
その土台となったのは、胆振東部地震で自分自身が“被災者”として経験したこと、そのものでした。

震度6強の地震 スタジオからのメッセージに反響
(NHK広報局HPの記事より)

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どのように伝えれば、情報や呼びかけを確実・適切に届けられるのか。より違和感なく受け止めてもらえるのか。
胆振東部地震での経験は、防災・減災報道への姿勢を考え、実践していく上で、私の“再出発点”となりました。
千島海溝や日本海溝での巨大地震、首都直下地震、そして南海トラフ巨大地震など想定されている大規模な災害に限らず、私たちは常日頃から、地震をはじめ、さまざまな自然災害に遭遇します。
そうしたなかで、お伝えする情報や呼びかけが、少しでも被害を減らし、命と暮らしを守ることにつながるよう、5年前、北海道で経験したことを礎として、今後も防災・減災報道に力を尽くしていきたいと思います。

                                                      

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