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あなたの町の映像アルバム 北見編

  • 2024年3月1日

映像に記録された、私たちの町の、あの日あの時。オホーツクの中心都市・北見の懐かしい時代の記憶が、NHKに残る貴重な映像で“思い出のアルバム”としてよみがえります。 北見市の中心部とオホーツク海に面した常呂地区で、NHKのアーカイブ映像の上映会を開催しました。地元の人だけが知る思い出、さまざまなエピソードも飛び出しました。(2024年2月放送) 

北見中心部編

オホーツク地方の中心都市、北見市、人口11万。生産量日本一を誇るタマネギの産地として、全国に知られています。

北見の名を、かつて全国にとどろかせたのは、ハッカでした。明治末期から生産が始まったハッカは高い品質を誇り、世界中で薬や食品に利用されていました。

上映会は、北見市の中心地にある市民会館の一室で行いました。集まったのは、元ハッカ栽培農家や、ハッカの歴史や文化に関わる活動をしている6人の皆さんです。

最初の映像は、北見市の中心部が「野付牛(のつけうし)」と呼ばれていた昭和初期です。北見は世界のハッカ生産量の7割を占め、町中がハッカ景気に沸いていました。人口も一気に増加し、児童数が1000人以上の学校もありました。

舟山さん:
この玉入れ、人数が半端ないですね~!

水嶼さん:
これは丸い階段のあるとこ。

橋爪さん:
これ見た時には世の中変わった感じっていうかね、こういう建物があるのかって、子どもながらにびっくりしました。

水嶼さん:
本当に珍しいものばっかりで。うどんなんか食べて帰ったら、「おれはあそこでうどん食べてきたぞ」って誇らしかった。(笑)

秋の終わり。ハッカを栽培する農家は、作業の大詰めを迎えます。農家総出で刈り取ったハッカから、ハッカの油を抽出します。抽出されたハッカ油は、市内の工場で結晶に加工され世界中へ出荷されました。

水嶼さん:
ハッカを蒸留前に、せいろ(釜)の中に詰めて、踏むんです。

橋爪さん:
ハッカを蒸し始めたら寝る暇もない。夜通し。火を入れたら、全部終わるまで1回も消さないんです。1日6回ぐらい詰め替えするんですよね。

舟山さん:
時間も手間もかけて人力でやってたんだなぁ。しか水嶼さんと橋爪さんが実際にやっていらっしゃった方っていうのは、本当にすごいですね。

水嶼さん:
結晶にしたハッカですね。手をケガするほどとがってる。

田村さん:
これ、今あったらすごいなぁ~。

田村さん:
この時期になると僕が小学校に行くときね、風がフッと来るとハッカの香りがしてさぁ、鼻調子悪くてもスッと通りが良くなる。

長部さん:
近くの公園にもありましたよ、ハッカ。

田村さん:
あったよね~!

繁栄していた北見のハッカ産業でしたが、1960年代になると価格が安い海外産や合成ハッカの登場で衰退していきます。ハッカは市民たちの手によって、まちづくりに生かされるようになりました。

田村さん:
ペパーミントフェスティバル、なつかしい~!

森川さん:
市役所の前、小公園ですかね?

こちらは1987年の北見駅。改札口にはハッカの植え込みが置いてあり、訪れる旅行者を迎えていました。また、鉄道記念日にハッカの蒸留の他、ハッカ入りのコーヒーや餅を楽しんでもらう催しも行われていました。

全員:
え~、ハッカ入りのコーヒー!?

田村さん:
今はあまりないってことは、そういう評価かもしれないね。(笑)

長部さん:
そうですね、生き残らなかったんですね。(笑)

かつて世界一の生産量を誇った北見のハッカを見つめなおし、そのハッカのイメージでまちづくりに取り組もうとする人々の中には…。

長部さん:
舟山さんのお店ですよ!

舟山さん:
これ家ですね、私の家の中です。(笑)

舟山さん:
あ、母ですね。(笑) ハッカやハーブって暮らしの中でどういう使い方をするか、楽しみ方をするかってわかりにくいじゃないですか。なので、自宅を開放して、こういう食べ方、香りの楽しみ方がありますよっていうのを伝えていく形で、料理教室とか、いろいろやっていたんですよ。

舟山さん:
家の中がいきなりハーブ一色で、毎日ハーブティー。学校から帰ってきたら、マダムたちが料理教室やってるみたいな感じで。オシャレな生活ですよね。(笑)

市民みずからハーブを植えて作った「香りゃんせ公園」。さまざまなイベントが行われる、北見のハッカ文化の中心になりました。香りゃんせ公園を舞台に毎年開催されている「ハーブウエディング」は、上映会の参加者・長部さんの提案で始まりました。

長部さん:
ここで結婚式をしたらすてきじゃないかなってことで提案したら通って、今も続いてます。ガーデンウエディングは、当時は珍しかったんです。ハーブの香りに包まれて、というのは、すてきなシチュエーションだと思いますね。

北見の人々は、その後もユニークなイベントを次々と生み出していきます。映し出されたのは2つのイベント。走りながらカレーの材料を集める「カレーライスマラソン」と、毎年2月上旬に行われる「北見厳寒の焼き肉まつり」です。

田村さん:
これはカレーライスマラソンだ。

森川さん:
子どもが参加するイベントだったんですね!

田村さん:
今、チケットとれないからね。参加するには抽選。どんどん、どんどん、大きなイベントになっていますよね。

田村さん:
「厳寒の焼き肉まつり」って、オホーツクっておもしろいことをしますよね。(笑)マイナス15度、20度の中で2000人が焼き肉を食べるなんて。

長年まちづくりに取り組むみなさんは、北見の人々の発想力について、どのように考えているのでしょうか。

田村さん:
自分たちの作ったものでっていう意識はあるでしょうね。やっぱりまちづくりって「よそ者」「ばか者」「若者」って言うじゃないですか。(笑)

長部さん:
やっぱり「ばか者」? 私たちはカレーライスマラソン、厳寒焼き肉って当たり前だと思ってますけど、外の方から見たら、ばか者のやるようなことですよね。(笑)
そういう意味では、ばか者、若者たちが増えて、北見がもっと発展してほしいなって思いました。

舟山さん:
フロンティアスピリットというか、新しもの好きっていうのもあるかもしれないですけど。そこからの発展というところでは、いいまちづくり、町おこしがまだまだできるんじゃないかと思います。先代のみなさんの努力を無駄にせず、しっかりとつなげていきたいです。

常呂地区編

続いての上映会は、北見市北部の常呂地区で行いました。オホーツク海に面した、ホタテの養殖が盛んな地域で、国内有数の生産量を誇ります。

常呂地区の公民館でおこなった上映会。地元の漁協の職員や、地域でお店を営んできた方、常呂高校の元生徒会長など、6人の皆さんが集まりました。

最初は、サロマ湖からオホーツク海へ向かう漁船の映像です。常呂は天然ホタテの産地として、国内外に広く知られていました。

武田さん:
あ~、100年近く前だ。帆掛け船だね。

中村さん:
誰も生まれてない。(笑)

武田さん:
八尺(ホタテ専用の網)だ。

古川さん:
いや~、これ貝殻ずいぶん入ってるなぁ。

山崎さん:
天日干しですね。今は全部、乾燥機でやってる。天日干しはやってないんです。

中村さん:
昔はね、豊浜行ったらさ、ずっとホタテが干してあるんだよ。それ1個づつ食いながら帰った。(笑)よくカラスが持っていかなかったなぁ、天日干ししてて。

山崎さん:
カラスより中村さんの方がつまみ食いしてるよ。(笑)

海外までも輸出されていた天然のホタテ。1940年代になると、次第にとれなくなっていきます。戦前からホタテの養殖に取り組み、昭和46年に稚貝の放流を開始。常呂の人々は40年以上をかけて、ホタテ養殖の事業化に力を入れました。

山崎さん:
これが作業場です。昔は保管施設の作業場はなかったものですから、みんなそれぞれ、いかだを海に浮かべて。

中村さん:
酔うんだよ、揺れてるから。

ホタテ養殖が軌道に乗り始めたころの映像です。ホタテの無料配布が行われていました。

稲田さん:
そうそう!無料で配ってくれてたの。

武田さん:
平成18年まで。町内会ごとに取りに行くんです。

山崎さん:
今、何かできることはないかということで、常呂漁協ではホタテの玉冷(冷凍の貝柱)を学校給食に提供しています。北見市内にある小学校、中学校で8000人分ぐらいの量ですね。

白畑さん:
給食で出ていました!シチューとかに入っていて、おいしかったです。

続いては、常呂地区で行われたさまざまイベントの映像。参加者のみなさんに、地元の方ならではのエピソードを語っていただきました。

武田さん:
ホタテ祭り。これ大変だったんだよなぁ。

古川さん:
札幌のビール園から、お客さんに使うテーブル、いす、1000人分ね。それを一晩で持って来て、使ったら朝、一晩で返す。それが常呂のホタテの一番のイベントの始まりです。

常呂高校3年生・白畑さんの生まれた2005年。映っているのは、海開きの様子です。

武田さん:
本州の湘南のまねをして、常南(じょうなん)ビーチって中村さんが名前つけて。

中村さん:
商工青年部がもう毎日、毎日、夜の12時ぐらいまでかかって、ヤシの木を作ってましたよ。

稲田さん:
水着コンテストって、やってましたよね!

中村さん:
その話は恥ずかしいなぁ~(笑)

稲田さん:
もしやってたら、出る?

白畑さん:
いや~、ちょっと…(笑)

武田さん:
「雪んこまつり」だ。輪投げで入ったものがもらえるんですよ。サケなんかがもらえるんだけど、なかなか入らないんだわ。

稲田さん:
ちょっと距離が近いですよね。今は、もうちょっと離れていません?

中村さん:
これは入らなくて、だんだん近くしたんだよ。(笑)

2023年、常呂高校の文化祭に合わせ企画された花火大会。当時、生徒会長だった白畑さんを中心に生徒たち自ら提案し、実現させました。

白畑さん:
若い力が常呂町を明るくしていければいいなぁと思っています。

稲田さん:
今ね、常呂高校の学生さんたちは、授業の一環でもあるんですけど、ボランティア活動をしてくださっているんですよ。高校生がそういうイベントに参加してくださっているので、先は明るいんです。だから、その輪をもっともっと広げていったらいいなって思います。

海が流氷で閉ざされる冬。常呂の人々が見つけた新たな楽しみは、カーリングでした。

中村さん:
使う道具はブルームっていって、元々はほうきでやってたんですよ。

カーリングの普及に取り組んだのが、小栗祐治(おぐりゆうじ)さんです。親友だった古川さんは、そのたぐいまれな行動力に一目置いていました。

古川さん:
カーリングが成功したのは、こいつがいたから。これがまたね、頑固で偏屈でひどかったんだわ。(笑)

映像には、ふだんからカーリングが頭を離れない人々の姿がありました。養豚業を営む男性は、スイーピングを意識した動きで豚舎のほうきがけをしていました。マイナス40度の冷凍庫で働く作業員のグループは、ストーンの代わりにタイヤやバケツを使って練習をしていました。

古川さん:
みんなの夜の楽しみでした。スケートリンクの横でやっていたんだけど、スケート協会と話をしてその横に1レーンだけ作ってもらって。そしたら今度は、レーンの取り合いで毎晩けんか。50、60の親父ばっかり集まって、みんなワインとかビール持ってきて。それが始まりですよ。

練習場所を取り合うほど、常呂の人たちを熱中させたカーリング。1988年にはカーリング競技専用の屋内ホールが誕生し、地域を代表するスポーツへと発展していきます。

武田さん:
国内で専用のカーリングホールっていうのは日本で1か所だから、うれしかったですね。
映像には子どもたちがカーリングしてる姿が映っているけどね。小学校、中学校、高等学校の体育の授業に使われたり、子ども会の大会があったり、そういうことからオリンピックにつながっていったんですね。

白畑さん:
小学校からカーリングの授業があるので、やっぱり地域に根付いていますね。

12月31日から1月1日にかけて、「年越しカーリング」というイベントも行われていました。1992年の映像には、白畑さんの母、容子(ようこ)さんが映っていました。容子さんはこの6年後、長野オリンピックの日本代表に選ばれます。長野オリンピックには、常呂から5人の選手が日本代表として出場しました。

白畑さん:
お母さんだ、この姿は初めて見ました。(笑)

稲田さん:
ほら、お母さんいた!右端の、メガネの。桃ちゃんにそっくり。

武田さん:
なにせ、常呂の町から初めてのオリンピック出場ですからね、盛り上がって。

稲田さん:
すごいね、すごい人なんだよ。

常呂の人々は昔も今も、変わらずカーリングに強い思いを持っています。

中村さん:
若い人もできるし、年寄りもできるってスポーツだし。やっぱり、やってて楽しかったですね。誇りを持ってやってる人はいっぱいいますよ。みんな「俺が一番うまい」って思っているんじゃないですか?(笑)

武田さん:
「常呂ってどこにあるの?」って聞かれて、刑務所で有名な網走の隣の町だよとか、サロマ湖はうちの奥にあるよ、とかありますけど。今はそんな説明する必要ないですよね? 「カーリングの常呂」って言えば伝わるくらい有名になっちゃって。これからも若い人たちに頑張ってもらって、常呂を盛り上げてほしいと思います。

最後に、上映会に参加したみなさんにふるさとへの思いを聞いてみました。

白畑さん:
映像を見て、全然知らないこともいっぱいあったし、今と比べて人もいっぱいいるなぁと思ったんですけど、雰囲気の温かみっていうのは全然変わらないように感じました。その温かさは魅力だなって思います。

中村さん:
人のつきあいが変わらないということですね。分け隔てなく、みんな同じようにつきあってくれたから。僕は好きですね。

山崎さん:
人と接することを第一優先するから、僕はずっとここにいたい。

北見市のみなさんと楽しんだ上映会。あの日あの時の映像は、ふるさとへの思いをよみがえらせてくれたようです。

そして、これから未来へ。皆さんは、この町でどんな思い出を残していくのでしょうか。

 

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