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直木賞受賞 河﨑秋子さん 「ともぐい」に込めた思い

  • 2024年1月18日

北海道の東部、別海町出身の作家・河﨑秋子さんの「ともぐい」が、第170回直木賞を受賞しました。酪農家に生まれた河﨑さんは、自身も酪農やめん羊飼育の経験があり、北海道を舞台に、自然の厳しさや複雑な人間関係を描く作品を生み出してきました。 今回直木賞を受賞した「ともぐい」は、明治時代の白糠町を舞台に、主人公の猟師・熊爪(くまづめ)が、人間よりも獣に近い感覚でクマやシカを獲り、山の中で生きていく物語です。河﨑さんがこの「ともぐい」に込めた思いを、受賞前に聞きました。 

【河﨑秋子さん】
別海町生まれ、十勝地方在住。実家の酪農をしながら執筆活動を始める。2014年に「颶風の王(ぐふうのおう)」で三浦綾子文学賞を受賞して作家デビューし、現在は作家に専念。2022年「締め殺しの樹」で直木賞候補。

①「ともぐい」は小説家チャレンジの原点

―今回の舞台は白糠町ですが、白糠を選んだ理由はありますか。

羊飼いになる勉強をしていた時に、白糠町の山の中にある羊牧場さんのところで実習をさせてもらったんですよ。半年間の実習期間だったんですけれども、海があって山もあって、クマも出てシカも出てっていうようなところで、ここは魅力的な場所だなというふうに思いまして。で、舞台として作品の中で使わせてもらいました。

―どうして猟師を主人公に描かれたんでしょうか。

山の中で昔から仕事をしている人たちの手記とかを目にしていまして、とてもこう、今の現代社会的な生活とかけ離れていて、今の猟師さんのやり方ともちょっと違ったりしまして、それはとても面白いなというふうに思いまして。そのために、現代ではなく明治時代の山の中に住む人を主人公として据えたわけです。

―この物語はいつ頃から構想されていたんでしょうか?

もともとはですね、大学時代に、文芸サークルに所属していて、少し小説らしきものは書いていたんですけれども、その後、ほかにやりたいこともありましたし、才能も足りないなと思いまして。それよりは、その時興味持ったものを勉強してみたいなと思って、一回小説は書かなくなっちゃったんです。
なんですが、29歳ぐらいの時にもう一回小説を書き始めないといけないかなというふうに思いまして。その時に書いた物語が、今回の「ともぐい」のもともとの話になった短編になります。

―どうしてもう一回書き始めないといけないと思われたんでしょうか?

30歳になるのを前に、何かしなければという思いに駆られたからですね。

―止まっていた夢をもう一度チャレンジしようと思ったときに書いた物語。それを書き直す中でどんなことを感じましたか?

難しかったですね。ある意味では、1から新しい物語を書くという作業よりも、一回書いたものをもう一回ばらして、で、そのばらしたものを建材としてまた組み直して、そういった手間が必要になりますので。新作を1から書くよりも大変でした。

―大変な中で、原動力となったものはありますか?

「昔の自分を超えたい」みたいな部分はもちろんありましたね。もう一回書き直すにあたって読み返してみたら、ここはちょっと、もう少しこうすればみたいな、未熟だったなと、反省点ばっかりで。それから時間がたって書き直すので、それをより良くしてやりたい、より良い形で、物語として、大きな物語、深い物語として作り直したいっていう欲求はありました。10何年前の、再びペンを取り直したときに自分が書きたかったものが詰め込まれていましたので、そこに刺激を受けました。

―当時の河﨑さんが書きたかったものって、具体的にどんなことなんでしょうか。

なんでしょうね。粗削りなものを…。粗削りなものの良さを出したいっていうのは当時もあったのかなって思います。
もちろん題材として荒々しい世界ではあるんですけれども、そこを変にコーティングしながら表面を美しく仕上げるんではなくて、粗い題材をきちんと粗いものとして読者に届けたいっていう、そういった一番最初に書きたかったものっていうのは、10何年後の今、それを受け取って、そこを生かした形で書き直せたかなと思っています。

② 「綺麗なもの」に仕上げない 自身の経験からリアリティを

―作品の中では、とくに山の中の描写が細かくて印象的だったのですが、実際に見たり聞いたりしたものを取り入れているんでしょうか?

ありますね。私は狩猟免許とかは持っていないし、鉄砲も打たないんですけれども、山菜採りなんかで山の中に入っていると、シカの死がいみたいなものが落ちて白骨化していたりですとか、なんかちょっと、クマの気配じゃないけど、なんかこう嫌な感じがしてきたりですとか。実際に住んできた北海道の山の中っていうものは、五感を含めて、自分の中に経験としてかなり自分の根っこに近い部分に積み重なっているので、そこは書けるだけ書こうという意識はあります。

―そういった細かいところを物語に取り込むことには、どういう意図があるんでしょうか?

リアリティっていうのはありますね。もちろん、物語という架空の世界を書いてはいるんですけれども、そういったものはあり得るかもしれないなっていう。たとえそれが事実にあったかどうかっていうのを知らない読者の方が見ても、こういうことはありそうだなというふうに思ってもらえるかっていうこと、つまり境界線をぼかすのも、物語上の作業のひとつと考えています。

―リアリティっていう面では、河﨑さん、本当はクマと戦ったことあるんじゃないかっていうくらい、もう想像を超えたものだったんですけど、そのあたりはどういうところから着想を得ていますか。

読者の方をがっかりさせてしまうかもしれないんですが、クマと戦ったことはなくてですね、クマに襲われた経験もありません。作中で書いていたようなバイオレンスのシーンとかを経験したことはないんですが、ただ、昔のクマと戦っていた猟師の手記を見たりですとか。あとは野生動物ではないですが、例えば、実家にいた時に酪農の仕事をしていて、牛がキレて、大体400キロぐらいの体重の牛が、人間にこう、敵意むき出しでかかってきた時にどうしなきゃならないかって。戦うしかないんですよね。そういった、クマではないですけれども、そういう時の人間の心の動きですとか、動物の怖さですとか、そういったものを部分的には取り入れられたかなと思います。

―作中にはかなりバイオレンスなシーンも描かれていますよね。

例えば、主人公そのものの考え方っていうのは、今の令和の価値観、職業倫理、生命倫理から見ても、決して相いれるものではないんですよね。そこをうまいこと技術によってコーティングして、令和のみなさんにお目にかけて見苦しくないようにっていうのは、おそらく技術的にはできるんです。なんですが、それは私はしたくなかった。ですので、そこは当時のまま、その価値観の、その主人公の荒々しい、粗削りなものっていうのを、あえてぶつけて読んでいただく。納得していただけないまでも、そこは物語の力として、粗削りな状態のまま、読者をその男の世界観の中に引きずりこむっていうことがやりたかったです。

―だからこそ、綺麗なもので仕上げたくなかったんですね。

そうですね。これは私個人の考え方ですけれども、いまの令和の世の中ってとてもいいものでして、生々しいものに接さないで、その存在さえ気づかないで生きていくことを完遂することが可能なんですよね。それは素晴らしい社会であると思います。なんですけれども、実際としましては、害獣は、今の令和の時代においても駆除しなければならない場面が発生したりですとか、それ以外でも、お肉を食べようと思えば、食肉加工場で家畜をお肉にするという過程がある。そこから目をそらさないで生きていくことは可能ですし、目をそらして責められるものではありませんが、ただ、そういうものはあるんだよっていうふうに、あるものとして私は書いていきたいです。

③ 河﨑さんが描く“人間そのものの本性”とは

自分の生き方に疑いを持たず、ひとりで生きる主人公の熊爪ですが、物語は思わぬ方向に展開し、運命にほんろうされます。

―まったく想像していない展開に動いたので、驚きました。

単純にクマと戦うということを物語の主眼として置くことも多分できたんですれども、人間対クマっていうのではなくて、人間であることが揺らいだ主人公が一体どうなるのかっていうのを書きたいと思いました。それは、人間対クマ以上の、そこから先の物語が、たとえ主人公にとって望ましくない生き方や結末を迎えたのだとしても、そこは書きたいなという欲求がありました。

―あえて孤独な猟師を主人公にしたのも同じ理由ですか?

ありますね。あとは、ある程度ロジカルな意味で、集団で狩りをしていると、成果としてはそっちのほうが良くできるんでしょうけれども、そうなるとどうしても、習慣として生きるのが上手になってしまうんですよね。さらに集団になって、それに歴史がくっついてくると、野生動物に対して信仰も生まれてくるしっていうところはありますので。そこはあえて引きはがして、たったひとりで山の中で生きるとしたら、どういった心の動きが出るのかというのを書きたかったんです。

―集団ではなく、たったひとりというところに、人間の本性が表れるんでしょうか?

それはありますね。他人の目がないところで、他人に頼らない、完全にフィジカルの面では自分ひとりで生きていける状態で。で、その山の中でひとり生きた時に人は何を思うのか、何を不満に思い、何を喜びとするのかというようなところをちょっと突き詰めたかった。そして、それが揺らぐところと倒れるところがワンセットですね。

―主人公が思わぬことに遭遇して、本来思っていたことと違う行動を取るシーンも多くありますが、そこにはどんな思いが込められていますか?

効率的なものですとか、効率的な生き方とか、その考え方っていうものを貫いていけば、大抵のことは不幸にも思わないんでしょうけれども、そこからこう、ずれてしまうってことに、やっぱり人間の本性が出てくるのかなというふうに思いますし、そこは人間の面白さなのかなというふうに思いますので。そこはちょっと、読んでいただいてのお楽しみも含めまして(笑)。かっこよくあり続けられる人間って少ないですから。そういった意味で、かっこよくあり続けられない、理想のままでだけでは生きていけないっていう、生き物である上での仕方のない部分と、人間であるがゆえに仕方のないもの、それはどこかでくっついているんですけど、そこで揺らいでいくような主人公を楽しんで読んでいただけると、ちょっとうれしいですね。

―「ともぐい」というタイトルですが、何と何の“ともぐい”なんでしょうか?

そこは、読者の方にとってそれぞれのものを見つけていただきたいなと思います。ただ、ありとあらゆる生き物は、“ともぐい”をし合うといいますか。ありとあらゆる生き物は、その種類間を越えてでも、越えてでなくても、作用し合うという意味においては“ともぐい”だと考えます。と、私から言えるのはこれぐらいですね(笑)。

④ 厳しい土地だからこそ生まれる物語  

―北海道には、桜木紫乃さんを始め直木賞作家もたくさんいらっしゃいます。「物語が生まれる土地」だと思うのですが、そのあたりはどうお考えですか。

私個人の考えですけれども、厳しい土地だからっていうのはあるような気がしますね。例えば、冬の間に薄着で外で酔っ払って寝たら大変だ、みたいな。死の危険が訪れるみたいなところで、それだけに人間は何かを備えなければならないっていう。では何をしなければならないのか、何を精神に与え続けなければいけないのかといった、抵抗。人間としてのその環境に対する抵抗、それが醸し出すものは、文学に限らずあるんじゃないかなと思います。

―考えるきっかけが多い土地ということでしょうか。

そうですね。

―最後に、この作品をどう読んでもらいたいですか。

まず第一としては、物語の中に引きずりこみたいっていうのがありますね。で、物語の中での経験をしてもらって、読まれた方の価値観とそぐうそぐわないに関わらず、読み終えて本を閉じた後に、読む前と読んだ後では、読んだ方の中で何かが変わっているような、もう受け取りたくないんだけど受け取っちゃったぐらいのもので構いませんので、何かこう変わっていただけるといいなというふうに思いながら書いています。

―ありがとうございました。

(骨太な作品を描かれる河﨑さんですが、愛猫にはデレデレな一面も。)

報告 札幌局 アナウンサー 是永千恵
釧路局 記者 中山あすか

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