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知床観光船事故の悔しさ胸に “空飛ぶ海猿”の思い

  • 2023年10月23日

知床半島の沖合で観光船が沈没し、乗客と乗員20人が死亡、6人が行方不明になっている事故から、10月23日で1年半となる。事故を受け、救助体制強化のため海上保安庁の釧路航空基地に新たに9人の「機動救難士」が配置された。 あの時、現場への到着が遅れ、救助がかなわなかった悔しさを胸に、訓練に励む隊員がいる。その思いに迫った。
(釧路局記者  梶田純之介) 

機動救難士とは

海上保安庁には「機動救難士」と呼ばれる、特殊な任務をこなす隊員がいる。
海難事故が起きた際、ヘリコプターでいち早く現場に駆けつけ、ロープを伝って一気に降下する。空と海を活動の舞台とするその様子から「空飛ぶ海猿」とも呼ばれている。

彼らのシンボルは、オレンジ色の隊員服、通称“オレンジ服”。過酷な訓練をクリアした隊員にしか与えられず、これがないと出動を許されない。

知床の思い胸に

道東の機動救難士らが拠点とする釧路航空基地。ここには、オレンジ服を着ていない新人の機動救難士がいる。倉幸永隊員(28)だ。

ことし4月に機動救難士になったばかりの倉隊員は、オレンジ服を着るため、上官から課された厳しい訓練に励んでいる。
訓練に取り組むのには、去年4月の観光船事故の悔しさがある。

当時、潜水士だった倉隊員。事故の一報を受け、釧路港から巡視船に乗って現場に向かった。しかし現場海域に到着したのはおよそ4時間半後。すでに捜索は困難な状況にあった。

釧路航空基地  倉幸永 機動救難士
「やはり、苦しいものは心の中にはありますし、今でも残っています。万が一、そういった事故が起きた時に、また再度、私たちがすぐに現場に駆けつけられる体制を常に構築していかなければ」

過酷な訓練  指導役からのげきが飛ぶ

正式な機動救難士になるためには、およそ半年の間、過酷な訓練に耐え抜く必要がある。

そのひとつが、「障害ドルフィン」と呼ばれる訓練。隊員がつけている酸素ボンベやヘルメットにトラブルが発生したという想定で、道具をひとつずつ外しながら、およそ20分間泳ぎ続ける。海に潜る訓練の中でも、もっとも過酷と言われるこの訓練。疲れのあまり、倉さんは外す手順を間違えてしまう。

倉さんの指導役、神谷高仁 上席機動救難士(41)が、倉隊員を一喝する。

釧路航空基地  神谷高仁 上席機動救難士
「倉、ちゃんと背負ってからやれ。ちゃんと疲れてるときこそ、平常心保たないと。現場出ちゃうからさ」

陸に上がり、半ば放心状態の倉隊員。顔をうなだれながら、神谷上席の指導にうなずく。

なぜこれほど過酷な訓練を乗り越える必要があるのか。神谷上席は訓練の意義をこう強調する。

神谷高仁  上席機動救難士
「やっぱりオレンジ服を着させる側には、“着させる責任”がある。反面、その着る側にとっても“着る責任”があるんです。命の危険があるような現場に行く可能性がある隊員になる。ある程度厳しい目で見ざるをえません」

どうしたら救助の技術を向上できるのか。倉隊員は、訓練のあとも先輩隊員の活動の映像を見ながら、自分に足りないものをノートに書き出していく。

倉幸永  機動救難士
「自分の動きを研究して、今後の改善点を自分なりに考えています。先輩に追いつくことを目標にしています」

手応えを感じたものの…

9月下旬のこの日。倉隊員は「HR訓練」と呼ばれる訓練に臨んだ。

ヘリコプターから、時速20キロで走る船の甲板にロープを使って降り立つ。適切な位置に降りられるようパイロットに指示を出しながら、タイミングを逃さず降下する。一瞬の判断を誤れば、海中に転落する可能性もあるハードな訓練だ。

倉隊員は、沖合の高い波や強い風を浴びながら、遭難者を体にくくりつけ、ヘリコプターに引き上げる。事前の学習もあり自分としては手応えを感じていた。

しかし、訓練のあとの検討会では、機材の扱いにもたつき、判断や動作が遅いという厳しい指摘も。

神谷高仁  上席機動救難士
「現場のリスク評価ができるようにならないと、オレンジ服はもらえない。考えが甘いな」

検討会は1時間以上にも及んだ。倉隊員は、神谷上席の指摘を受けたあと、じっと前を見据えて筆者にいまの思いを語った。

倉幸永  機動救難士
「観光船事故では今もまだ発見されていない方がいて、捜索は続いています。もっともっと、自分の技量を向上させて、より多くの知識や技量を積んで、オレンジ服をしっかりと着て、救助の現場に出られるように。そこを目指していければ」


取材後記

「オレンジ服」という言葉を私が初めて聞いたのは、釧路に着任したばかりのことし4月だった。釧路の機動救難士が発足して初めて公開される訓練で、隊員らは水温4度の水に飛び込み、ロープを伝っておよそ10メートルの高さを必死によじ登る。力尽きて海に落ちる隊員も。「お前オレンジ服着てるんだろ!」と叱咤(しった)激励する神谷上席の声を聞き、彼らが「オレンジ服」に抱く誇りを知った。今回の取材で、彼らが「オレンジ服」に抱く思いをより深く感じることができた。
倉隊員は引き続き訓練を積み、来年にも最終試験に臨む予定だ。神谷上席によると、これまでにはオレンジ服にたどり着けなかった隊員もいるという。知床事故の悔しさを胸に、オレンジ服を着られるのか、引き続き密着したい。

2023年10月23日

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