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知られざる北海道開拓の犠牲者を追って Eテレ「こころの時代~宗教・人生~ “殉難者”の祈り」 担当ディレクターが語る制作の舞台裏

  • 2023年9月25日

国家や社会の危難のために身を犠牲にした人「殉難者」。北海道では、鉄道や道路の建設など明治以降の開拓事業で過酷な労働条件のもとで亡くなった「殉難者」が4万人にのぼるといわれています。先人たちの知恵や体験に耳を傾け、考えていく番組、Eテレ「こころの時代〜宗教・人生〜」。10月8日(日)午前5時の放送では、北海道開拓の「殉難者」を追います。番組の担当ディレクターに制作の舞台裏を聞きました。

人生の壁にぶつかったとき、絶望の淵に立たされたとき、どう生きる道を見いだすのか。経済的合理性や科学的思考が判断基準となりがちな現代。それだけでは解決できない生老病死の問題に、いかに挑むのか。
先人たちの知恵や体験に耳を傾け、考えていく番組、Eテレ「こころの時代〜宗教・人生〜」。10月8日(日)午前5時の放送では、北海道の鉄道や道路の建設などの開拓事業で過酷な労働条件のもとで亡くなった「殉難者」を追います。
「殉難者」とは国家や社会の危難のために身を犠牲にした人です。北海道では、特に鉄道や道路の建設など明治以降の開拓事業で過酷な労働条件で亡くなった犠牲者を指します。北海道開拓で誰に弔われることもなく死んでいった殉難者。その数は4万人にのぼるといわれています。

かつてあまり知られていなかった殉難者を独自に調査し、その存在を明らかにしたのが、北見市で高校教諭をしていた歴史家の小池喜孝さんです。

小池さんは開拓の様々な労働現場の目撃者を訪ね、聞き取り調査を行い、その詳細を記録しました。小池さんの「オホーツク民衆史講座」と名付けられた民衆史掘り起こし運動は全道各地に展開していきました。

JR石北本線には、北見市と遠軽町を結ぶ、507メートルの常紋トンネルがあります。石北本線最大の難工事といわれ、大正元(1912)年から3年の年月をかけて完成しました。

「タコ」と呼ばれた労働者。全国で募集され、「タコ部屋」「監獄部屋」と呼ばれる、鍵をかけられた飯場に収容されました。朝3時から夜遅くまで、わずかな賃金で重労働を強いられました。常に幹部の監視が付き、逃亡は暴力によって抑えられ、食べ物は粗食で、栄養不足から病気になるものも多く、病気になっても薬は与えられなかった現場。常紋トンネル工事の3年間で、暴力や病気が原因で、百数十人の労働者が亡くなり、周辺に埋められたといわれています。

「オホーツク民衆史講座」の一員で、小池喜孝さんに大きな影響を受けていた中川功さん。当時、留辺蘂町の町役場に勤務していました。

小池さんと中川さんが中心となって、常紋トンネル周辺での遺骨の発掘作業を行いました。1980年までの7年間で8回の発掘を行い、10体の遺骨を掘り出しました。

かつては監獄部屋の労働者に対する差別意識もあったそうです。「怠け者のなれの果てが、そこの監獄部屋で働かされて、そして死んだ」。死ぬのは自業自得だという差別意識です。身内に監獄部屋労働者がいたことが世間に知れると、自分の身内の縁談にも影響するという思いもあったそうです。

「オホーツク民衆史講座」の一員、網走市の森亮一さんは、小池さんの考え方を学ぶため、7年間、小池さんの現地調査に同行しました。

ひとつひとつの事実を確認するため、数多くの文献にあたることも、小池さんの大切な教えだったそうです。
北海道全域の殉難者の実態を明らかにするため、道の事業として、1984年から5年間、20人の調査員によって行われた「北海道開拓殉難者調査」。森さんは調査員として参加しました。調査の対象は、明治から終戦までの77年間の、いわゆるタコ労働者や囚人労働者。調査で判明した殉難者は39080人。森さんは、特別な許可を得て、役場に残されている「埋火葬認許証」を1枚1枚閲覧し、職業や死因から、殉難者を割り出していきました。

千葉県出身の髙橋良太郎さんは、斜里町の「監獄部屋」で、21歳で亡くなった。
➡死因の「脚気」は、偏った食事しか与えられなかったのが原因だった。

熊本県出身の木下松喜さんは、「土工部屋」で、29歳で亡くなった。
➡死因の胃腸炎は、食事の劣悪さが原因と考えられる。

本籍地不明の伊東徳次郎さんは、31歳で亡くなった。
➡死因は頭蓋骨骨折。幹部からリンチを受け、亡くなったと考えられる。

長野県出身の平出文幸さん。29歳で亡くなった。
➡死因は凍死。冬に逃亡を企て、逃げ切れずに凍死したものと考えられる。

北海道弟子屈(てしかが)出身の小池春太郎さん。49歳で亡くなった。
➡死因は他殺。幹部から受けた暴行によるものと考えられる。

小池喜孝さんに強い影響を受け、民衆史掘り起こし運動に加わったのが、深川市で寺の住職を務める殿平善彦さんです。

殿平さんは雨竜ダムの工事で亡くなった殉難者の遺骨発掘に長年尽力してきました。
昭和18(1943)年に完成した雨竜ダムは、戦時下の昭和13(1938)年に着工。6年を費やして完成しました。長さ216メートル、高さ45メートルのコンクリートの本体部分は、80年前の建設当時のままです。雨竜ダムの建設に投入された「監獄部屋」の労働者は、6年間で、日本人が数千人、朝鮮人が3000人にのぼるそうです。過酷な労働条件のもと、110人を超える労働者が亡くなりました。
雨竜ダムの殉難者の存在を知った殿平さんは、「監獄部屋」の犠牲者の存在を広く知ってもらおうと犠牲者の位牌や遺品の展示活動をしています。さらに、韓国の友人の協力を得て、日本人、韓国人、在日韓国・朝鮮人の若者100人が、合宿をしながら共同で遺骨発掘を行うワークショップを開催。若者が、それぞれの思いで遺骨と向き合いました。また北海道と韓国の市民が共同で実行委員会を結成し、遺骨の韓国への返還が実現しました。

北海道開拓の殉難者の存在が公にされることはなく、長い間、歴史の闇に葬られてきました。殉難者に光が当たり始めたのは、1970年代。北海道の各地に殉難者を祀る慰霊碑が建てられるようになりました。鉄道や道路、鉱山など、数多くの労働者が亡くなった現場には、地元の人々によって碑が建てられ、殉難者の存在を今に伝えています。

今回の番組「こころの時代~宗教・人生~ “殉難者”の祈り」を担当したのは、数多くのドキュメンタリーを制作してきたベテランディレクターの矢部裕一さん。

矢部さんは今回なぜ北海道開拓の労働現場での犠牲者”殉難者”をテーマに選んだのでしょうか?

昨年、まだ札幌局に勤務していた時に、北海道の「廃村」をテーマに番組を制作した時、北海道開拓の労働現場で過酷な労働条件のもとに亡くなった「殉難者」が4万人近くいることを知りました。そして、その「殉難者」の存在を歴史の闇から掘り起こそうとしている人々がいることも知りました。
「殉難者」の調査は1970年代~80年代に盛んに行われていたものですが、この「殉難者」の存在は全国的にはあまり知られておらず、テレビ番組としてもほとんど制作されてこなかったテーマなので、今回、このテーマを取り上げようと考えた次第です。

今回のロケ・編集など制作中に最も苦労した点はなんでしょうか?

特に苦労したということはないのですが、非常に厳しい労働現場で、誰に弔われることもなく亡くなっていった労働者の存在は、その人が生きていたという痕跡すらほとんど残っていないものなので、番組としてはできるだけ、そうした労働者の存在を実体のあるものとして提示するように留意しました。
具体的には、実際にその工事が行われていた現場の写真はないかどうか、手を尽くして調べたりしました。写真はほとんど残っていないことが多いのですが、わずかに残された写真の片隅に小さく写る労働者の姿に「殉難者」を感じていただければと思っています。

今回の「こころの時代」で、制作者としていちばん注目してほしいところはなんでしょうか?

番組でとりあげている「殉難者」は明治時代から終戦までの労働現場での話で、だいぶ昔のことですし、またその「殉難者」を調査した人々も主に活動していたのが、1970年代~80年代ですので、これも昔の話と思われるかもしれません。
ただ、この「殉難者」が今に問いかけるテーマは、決して昔のことではないと考えていますので、この「殉難者」の存在が何かを考えるきっかけになっていただけたらと思っています。

先人たちの知恵や体験に耳を傾け、考えていく番組「こころの時代〜宗教・人生〜」。Eテレ10月8日(日)午前5時の放送は「 “殉難者”の祈り」。ぜひご覧ください。

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