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人気ゲームのまんじゅう復活!夢の続きを

  • 2023年08月01日

    ゲーム機にソフトを差し込む。スイッチを入れると懐かしいBGMとともに、主人公の少女の姿が。パズルゲーム「ぷよぷよ」です。このゲームのキャラクターをかたどった「まんじゅう」が、広島で21年ぶりに復活を遂げました。そのウラには、夢半ばで終わった人たちの思いがありました。

    (広島放送局記者 重田八輝)

    いい年の大人が夢中に

    画面の上から降ってくる「ぷよ」というキャラクター。同じ色を4つ以上並べて消していくルールで、並べ方を工夫して一気に消す技を競います。発売から30年以上たった今も新作が次々と発表され、プロが腕を競うeスポーツの大会も開かれています。

    40歳手前の同僚を集めて始めると、私たちはすっかり童心に返ってしまいました。37歳の同僚は7連鎖、8連鎖と華麗な技を見せつけます。この人気ゲームのまんじゅうが、この4月から広島で発売されました。

    ビルメンテナンス会社?

    製造しているのは、大正7年創業という広島市の和菓子メーカー。「ぷよ」の顔をかたどったまんじゅうの中は、きめ細かいこしあん。長い時を経ての復活はSNSで話題になりました。

    “ねんがんのぷよぷよまんじゅう”
    “いつか食べてみたいと思ってた”

    売れ行きは好調といいます。ただ、まんじゅうの復活を提案したのは、この和菓子メーカーではありません。

    平安堂梅坪 田中里佳社長

    正直、こんなに反響があるなんて驚きました。ビルのメンテナンス会社の方から、まんじゅう製造の提案をいただきましたが、お菓子とも『ぷよぷよ』とも結びつかない会社で驚きでした。

    ビルのメンテナンス会社が提案とは、どういうことなのか?広島市南区にある会社に向かい、発案者に話を聞きました。

    ビルメンテナンス会社 穏土健司課長
    記者

    ビルのメンテナンス会社が、なぜ、まんじゅう復活の提案を?

    穏土課長

    実は、私はかつて『コンパイル』という会社に勤めていました。『ぷよぷよ』を作った会社です。そこでキャラクターグッズの販売に携わっていました。

    クセが強すぎた?

    「コンパイル」は、かつて広島市にあったゲームソフト会社です。「ぷよぷよ」や「魔導物語」などの作品で多くのファンに支持されました。会社のキャッチコピーは「のーみそコネコネ」。「ぷよぷよ」の説明書には、次のように書かれています。

    スタッフひとりひとりの個性をたっぷりつめこもうと、みんな意気込んで創りましたが、ちょっとクセが強すぎたかもしれません。なにはともあれやっと完成しましたので、指がつるまで存分に遊んでください。でも、あんまりハマりすぎると夢の中にまで“ぷよぷよ”が降ってきます。まさに『夢のようなゲーム』です。

    主人公のアルル・ナジャ

    夢半ばで辞めていく

    1990年代、キャラクターのまんじゅうが広島で発売されます。広島市中心部の商店街や広島駅、宮島にも店舗がありました。当時のNHKの番組には「『ぷよぷよ』をかたどったまんじゅうは、もみじまんじゅうに並ぶ広島のお土産として人気」とのナレーションが。復活を発案した穏土さんは、店舗で働きながら、ゲームファンや観光客が買い求める姿を見てきました。

    しかし「コンパイル」は拡大路線などが災いして経営が破綻。21年前に解散し、まんじゅうも姿を消しました。その時のことを穏土さんは鮮明に覚えているといいます。

    穏土健司課長
    会社がなくなる時って、ドラマなんですよ。残りたいけど残れない、夢半ばで辞めていく。思いは残ってしまいますよね。

    穏土さんが今も愛用する名刺入れには「コンパイル」の社名が入っていました。

    私財をなげうってでも

    まんじゅう復活の決め手は2年前。愛知県の機械メーカーに当時のまんじゅうの木型が残っていたことが分かったのです。すでにビルのメンテナンス会社に転職していた穏土さんは、まんじゅうを復活させて「ぷよぷよ」発祥の地・広島を盛り上げたいと会社に決意を伝えます。本業とあまりにかけ離れた提案に、社長は…

    ビルメンテナンス会社 大中幹夫社長

    『いやいや、まんじゅうって何言うとんか』と。『うちはお客さまの建物を守るビルメンテナンス業、うかつに他業種に行くようなことはできませんよ』って伝えました。

    しかし、50代後半になった穏土さんには「私財をなげうってでも、まんじゅうをつくりたい」という強い思いがありました。熱意に押されて、社長は会社の事業として、まんじゅう復活に乗り出すことを決めました。

    大中幹夫社長
    穏土さんは、さまざまな心残りがある中で『チャレンジさせてほしい』ということを真剣に言ってきた。それを『業種じゃないから』とか『やったことないから』と言ってはいけない、会社経営者として聞かにゃいけんなと思った。

    ちなみに、大中社長の小学6年生のお子さんも、このゲームのファンでした。

    再び愛されるまんじゅうを

    いま、広島駅の商業施設では、復活したまんじゅうを買い求める人たちの姿があります。

    『ぷよぷよ』っていうのがめずらしいなと思って、ちょっと気になったので買ってみました。東京の友だちにお土産で渡します。

    海外の方を含めてこのゲームを好きな人がたくさんいますから。もっと広島から広まってほしいです。

    販売初日の様子を見た隠土さんは「コンパイル」時代のことを思い出していました。

    穏土健司課長
    復活初日から行列ができました。今か今かと待つ人たちの姿を見たら、当時をふと思い出しました。毎日が楽しいといいますか、仕事を楽しく感じた職場でしたから、非常になつかしくてね。広島発祥のゲームだと知らない人が多いと思います。『ぷよぷよ』がね、また盛り上がっていけばと願っています。

    夢半ばで別れた仲間たちの思いものせて。再び広島で愛されるまんじゅうを目指します。

      • 重田八輝

        広島放送局 記者

        重田八輝

        2007年入局。福井局・大阪局・科学文化部を経て広島局遊軍キャップ。久しぶりにこのゲームをしましたが、3連鎖が限界でした…

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