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【出演者インタビュー】杉本脩子さん「悲しみは"大切な人だった"という証」

2015年04月22日(水)

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4月23日放送(4月30日再放送)
生きるためのテレビ
"自死遺族"の声から
ご出演の杉本脩子さんにメッセージをいただきました。


《杉本脩子さんプロフィール》
NPO全国自死遺族総合支援センター・代表


――今回は自殺で家族や大切な人を亡くした“自死遺族”の方たちの声に向き合いました。スタジオには当事者の方にも来ていただきましたが、収録を通してどのようなことを感じましたか。

今回のように自死遺族の当事者の方々がご自身の思いをたくさんお話できる番組があること自体、私には驚きでしたし、感激でした。悲しみというのはどうしても目を背けがちですし、つらいことは全部忘れて頑張ろうと言う人も多いと思うんですけど、その悲しみは亡くなった人が“大切な人だった”という証なんですよね。その証こそ大事にししていきたいと改めて思いました。

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――番組の中で特に印象に残っている言葉はありますか。

今回の番組は自死遺族に関する放送ではあるんですけども、“自死遺族”という枠組みに閉じ込めて考えるのではなくて、生きること、死ぬことについて大きな視点から捉えて話し合えました。そう感じる言葉が随所にあったように思うんですね。自死(自殺)のことも社会全体で考えるべきで自死遺族だけの特殊な話ではないという雰囲気があったことが私は一番印象に残っています。

――杉本さんが代表を務めるNPOでは、同じ経験をした遺族同士で語り合う「分かち合いの場」を開いています。VTRでは特別にその様子を少し紹介しましたが、改めていかがでしたか。

みなさんがあのようにご自身の思いを話してくださるとは思っていなかったですから、びっくりしました。もしかすると当事者の方々は語りたいことや伝えたいことはたくさんあるのに、周りが聞いていない、聞こうとしていないのかもしれないですね。話された方たちと会が終ってからしばらくお話ししたのですが、話すことは辛かったけれどご自身の中で変化があったと感じた、できれば自殺の問題に関わりのある活動をしていきたいとおっしゃっていましたね。

――普段、遺族の方と接するなかでどのようなことを感じていますか。

番組内でも申し上げたように、社会の中で生産性をあげることはもちろん大事なんだけども、それだけじゃなくて、やっぱりA面B面があると思うんですよね。悲しみや苦しみに向き合わなければならない場面は生きていく中で必ずありますから、順調な時もそうではない時も、その両方を大事にすることこそ成熟した社会の有り様かなと。私は高度成長期を生きてきた人間ですから、そのなかで見落としてきた大切なことがあったんだろうなと感じています。今の若い人たちが抱える“生きづらさ”に大きな責任がある世代だというのはいつも思います。


――番組を通じてどのようなことを感じてほしいですか。

大切な人を亡くして独りで苦しんでいる方があったらあなたはひとりぼっちじゃないよと伝えたいですね。仲間はいっぱいいるよ。みんなで変えられることがあれば変えていきたいし、支え合っていきたいなって。「共生社会」と言われますが、文字通り共に生きることの出来る世の中になったらいいなと思います。
そして、当事者たちの声や情報を共有できる場に関しては、もう少し知恵を働かせて集積したり提供したりする仕組みが必要かなと感じます。必要としている方に確実に行き渡るような仕組みを考える時期なのかなと。来年は自殺対策基本法が施行されて10年の節目ですから、それを機会に改めて考えなければいけないなと思いました。




これまでに寄せられた様々な声は、以下のホームページでご覧いただけます。
【特設サイト】自殺と向き合う


[Eテレ・ハートネットTV]
 本放送:夜8時00分~8時29分
 再放送:翌週午後1時5分~1時34分
2015年4月23日(木)  
生きるためのテレビ “自死遺族”の声から

コメント

こんばんは、もう一度、再放送してくれませんか?
命の大切さを今回の事件、この神奈川県の自殺ネットで9名が亡くなりました。それを利用する人、悪用とする人が現れてしまいます。本当に命の大切さを教えてほしい。
痛いしい事件です。生きる希望があるはず。
何故若い命を大切に出来なのか?まだ夢も希望もあるはず、それが何故
もっと友達がいて、とめてくれる友人がいてほしい。自殺を利用する人。それをとめられない大人達、おじいちゃんおばあちゃんで、病気で亡くなる命だが、親より早く死を、ことわざでは、親不孝になります。親は、子供の成長を見て子供が羽ばたいていく姿見届けていくのに、それをいとも簡単に死を命の大切さをどうやって教えたらいいか?私もわからない。
私は、小学校の時、同級生が自転車から落ちて頭強く打って亡くなりました。
病院にもいけず、その場の姿も見ていないし、探しても見当たらなかった。それが自分、大きくなり、辛かった時、ランドセルの少女が現れ、自分は、大きく、それが心にずっと残っています。まだ小さい、自分は、大きいのに、しかも同級生、泣くほど辛かった。その子の分まで生きる、楽しく生きていつか話したい事いっぱいある。その子が生きれなかった分まで背負いこまないといけないのです。それが辛く悲しく、まだ君たちは、まだまだやれる事だってある。結婚したり子供が生まれたり、アイドル、本を書く人、花屋さんだったり、色んな世界がある。君達の出番があるはず。大人ができなかった分、子供のあなた達がある。暗い道でもいつか明るい道があるはず。その子供も、それを私は、教えたい。死んでからは、何も教えられない。

投稿:亜紀 2017年10月31日(火曜日) 16時02分

日本人が主体となっている社会に生まれたくなかった。少なくても今現在を生きている僕にとってこの時代が一番新しい時代で先進国だと言われたから、だから僕は恵まれた時代と比較的豊かな社会で生まれたのだと、好条件の下、生を受けたのだと子供の頃は漠然と信じていた。だが科学文明の発展に寄与した資本主義経済も、電球もより迅速な移動手段の革新もそれらを総括的に評価すれば我々から時間を搾取する存在でしかない。日本という国にしたって世界第3位の経済生産と低い労働生産性が両在することを考えれば資本主義経済における日本国民の暮らしぶりが豊かでないことの推考は明白だ。なぜなら資本主義経済において労働者階級の者はたくさん一連の経済生産をするほど齷齪よりいっそうたくさん働かなくてはならなくなるからだ。また環境は民族の人種の遺伝子プールにも変容を与える。僕の経験から言うと僕が中学生だったころ一クラスに0.8位の頻度でいじめがあった。容姿の整ってない者、発達障害者、肌の色が違う人間 集団に対して異端である者がいじめの被害を受ける傾向がありこれらの人々に多く共通する特徴は社会性の低さだ。この場合は同質性の低さでもある。僕の持っている知見から言えば『ブレイブストーリー』しかり『ペックナンバー理論』しかりローナ・ウィングの著書とある種の神経学的知見から得られる推察しかり多数の個人から形成される民族、社会の排外主義は一定程度を超えると加速していく性質がある。
生出いた社会は呪ってるし、敵意にさらされ続けた傷が大きくて浪費的な何かに依存しなくてはもう生きていけなくなってしまった。僕ももうすぐこの国の最たる死因にカウントされると思う。
この頃は『人はいつか死ぬ』という言葉を感じる。

投稿:じょけr 2015年05月26日(火曜日) 20時24分