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「こころの支えになったこと」「言われて嫌だったことば」~場面緘黙(かんもく)、当事者・家族の"声"から~

2015年05月28日(木)

5月のWEB連動企画“チエノバ”では、「話したいのに、話せない…“場面緘黙”を知っていますか?」をお伝えしました。
なかなか知られていない“場面緘黙”。どのような症状で、周りに人はどのように考えるのがよいのか?実際の当事者の方や家族の方から、放送前にカキコミ板に寄せていただいた170件以上にものぼるご意見・体験談を一部引用し、「こころの支えになったこと」「言われて嫌だったことば」をまとめました。


「こころの支えになったこと」――ことばにできない気持ちに寄り添うには?
◆緘黙当事者が安心出来る居場所を  /chocoさん、40代(当事者)
無表情で殆ど返事も出来なかった私に、他のクラスメイトと同じ様に普通に気さくに話しかけてくれる子がいて、それはとても嬉しかったです。
ほんの小さな一言や、ちょっとした事が、当事者にとってはもの凄い救いや励みになる事も多いと思います。


◆無理せず過ごせるように  /くみんさん、10代(当事者)
小さい時は幼稚園、歯医者などでほとんど話せませんでしたが、周りはそれを否定することもなく、無理に話させようとはしませんでした。
最初は一切返事ができなかったのが、頷いたり首を振ったりするようになり、それだけでも褒めてくれ、次は声を出して少し返事ができるようになり…、とだんだん話せるようになっていきました。
その対応がすごく有難かったです。
 

◆「大人になれば治る」なんて嘘  /maruさん、20代(当事者)
私のことを悪く思う人がいる一方で、親切にしてくれる人もいました。
喋らないし笑わない私なんかに話しかけても、つまらないはずなのに…
優しく接してくれ、本当に嬉しかったです。
そんな人たちに「ありがとう」って言いたくても言えなくて、胸が苦しかったです。
 


◆安心出来る環境を  /スミレさん、30代
高校では話し上手な人と仲良くなり、下手な相槌にも上手くことばを返してくれ、私のことも「ちょっと変わってるけど面白い」と言ってくれるのでその子と一緒にいるときは緊張することなく過ごせました。
自分のことを肯定的に見てくれる環境ではリラックス出来てことばも出やすいです。


◆ゆっくりと一歩ずつ  /みかんさん、40代 母親(娘が緘黙)
わが家の場合は周りにかん黙の事を知ってもらい、まだ、始めたばかりですが学校や地区では話さなくても意志が伝えられるような工夫をしはじめています。


◆今の子どもの姿がすべてではない:親は心配オーラをかけすぎないように  /shizuさん、40代(当事者)
私は、幼稚園のとき担任の先生から「この子は将来心配です」と言われていました。母は、一時期は落ち込んだものの、「私が変われば子どもも変わるかも」と思い、幼稚園の会長に立候補。母が頑張る姿を見せてくれました。
私に心配オーラをかけず、母が何かに一生懸命だった姿を見れたことは、当時の私に大きな安心感を与えたと思います。小学校で声が出るようになりました。


◆話したい  /taroさん、20代(当事者)
先生や同級生の中にも、優しく接してくれる人もいました。
話せないのに沢山話しかけてくれたり、コミュニケーションの方法で、指や手を使って答える方法を考えてくれた先生や同級生もいました。


◆現在小学四年生の場面緘黙児の母です  /まちりさん、40代 母親(息子が緘黙)
学校ではみんな優しく見守ってくれているようで、先生も無理なことはさせません。割と安心して過ごせてると思います。後は少しづつ背中を押して行きたいんですが、はじめの一言がどうしても怖いんだと思います。


◆社会に広まり深い理解を!  /Akoさん、50代(当事者)
小学5年生の時に出会った、とても面倒見がよく、私と普通に接してくれた友人のおかげで、少しずつ話せるようになりました。大学で自分の過去を知らない人達だけの環境になり、緘黙を克服できました。そして現在小児科医です。


学校・先生側の対応まとめ
◆高校生で突然の発症  /リコさん、20代(当事者)
(高校)1.2年の頃は授業中に発言をしなくてもいいように先生が配慮してくださいました。
高校時代は先生と手紙のやり取りをして恵まれていたと思います。


◆知ることの大切さ  /みーさんさん、40代母親(息子が緘黙)
小6の時に担任の提案から「◯◯くんを知ろう」授業をして、何故うちの子が喋れないのか、場面緘黙についてクラスメイトに伝えました。(他に病気があるのでそのことも)
クラスメイトからは「何故喋らないのか分かったから良かった。教えてくれてありがとう。と。
その後、喋らせようとしたり、からかう子がいなくなりました


◆助け合える社会を  /Tさん、30代 親(子どもが緘黙)
幸いなことに学校側に理解があり、
発表をするときは同級生に代読をしてもらったり、
気持ちを察してさりげなくフォローしてもらえることが多かったです。
わからないことを質問できなかったり困ったこともたくさんあったかと思いますが、
先生とクラスメイトに恵まれ あまり嫌な思いはしていないようです。
(親に心配をかけまいと言わないだけで本当はもっとあるかもしれません)


◆友達ができない  /ともともさん、40代 母親(娘が緘黙)
小学校の時は先生に相談し、担任とクラスメイトの理解を得て、リラックスできていたようです。小学校には今も悪い思い出は残っていないようです。


◆場面緘黙であろう小2女子の母です。  /ひっちゃんさん、40代 母親(娘が当事者)
幼稚園、小学校と集団の場ではしゃべらないのですが、幼稚園の先生も理解があったので色々とサポートしてもらいました。小学校もやはりサポートは必要かもと思い、支援学級に在籍しています。
たまたま同じ学年で支援を受ける子があと3人いて、我が子を入れた4人で国語、算数は勉強しています。ほどよい少人数学級となり、そこでは音読も徐々にできるようになったり、質問に挙手をして発言していると聞いています。他の教科は通常クラスなので、やはりクラスではしゃべらないそうです。休み時間もしゃべってないようですが、楽しそうに遊んではいるようです。


◆周りの理解、協力が欠かせないと思います。  /かてかとさん、母親(息子が緘黙)
年長のときの先生が「秘密の部屋」という、先生とふたりっきりで話せる環境を用意してくださったことがきっかけで耳元でささやくことができるようになりました。
小学校のクラスメートに恵まれ、声を出しても「しゃべった!」と言われたり、「しゃべってみて!」とせがまれることもなかったようで徐々に学校内でもしゃべれるようになりました。
自分に自信が持てるようになったことも大きいと思います。
あせらず根気よく見守っていくことが大事だと思います。


◆娘の場合  /ひまわりさん、40代母親(娘が緘黙)
通常教室では、話さなくてもいいように委員決めでは磁石を張り付ける方法。発表の形を、フラップを上げる。などの形にしてくれたりと先生方が工夫してくれました。
また担任によっては交換日記をしてくれ交流を図ってくれました。


◆多分、場面緘黙でした  /ぽんぽんまるさん、30代(当事者)
子供のころは、とにかく自分に自信がなく、自己嫌悪の塊でした。そのせいか、学校の先生に褒められて嬉しかったことはよく覚えています。
『あなたの絵が一番好き』や、『なんで話さないの?』に『話さないんじゃないよな。○○は話すのが好きじゃないだけだよな。』とフォローしてくれた先生。
これらの先生の言葉はとても嬉しかったです。
また中学以降は、自分のことを肯定的にとらえてくれた友達や特に当時の彼氏の影響は大きかったです。


◆娘が場面緘黙  /あんさん、40代 母親(娘が場面緘黙)
高学年で担任の先生のおかげで、発表もできるようになり、日直のスピーチまでできるようになりました。先生は、プレッシャーをかけないこと、楽しい雰囲気で、返事ができなくてもサラッと流せるような問いかけ方(○○ちゃんも、そうだよね?○○ちゃんならこっちの方がいいよねなど)にして関わってくださっていたようです。私自身、言えばいいのになどと、本人の辛さも分からずに、簡単に言ってました。理解がある人の中でだと、とても成長できるということが分かりました。


◆高機能自閉症と場面緘黙をもつ小1女児の母です  /タマ吉さん30代 母親(娘が緘黙)
4月から小学校に入学し、担任の先生は、発達障害も、緘黙も、本当によく理解していただいています。筆談コミュニケーションに対しても、何の抵抗もなく受け入れて下さり、決して発語を強いず、会話に代わる手段を認めて下さったことが、本人もとても嬉しそうです。


◆少しずつ改善しています  /くぺこさん、40代 母親(娘が緘黙)
私の場合、保護者会で親御さんに説明をして理解と協力を求め、先生から子ども達へも「ドキドキする気持ちが他の人より大きくて声が出しにくいんだよ。」と説明してもらったりしました。先生方、保護者の方、お友達、皆さんが娘のことをよく理解してくれて、色々な形で助けてもらい、支えられて、少しずつ改善してきたのだと思います。やはり、まずは回りの人の理解と信頼関係、特に先生との信頼関係は、とても大事だと思います。


◆11年間緘黙でした。  /みほさん、40代(当事者)
小学校の頃は3~4人だけで別室で給食を食べたりも。最初は小声でなんとか受け答えはできる友達だけでしたが、そのうち私もそっちで食べたいというクラスのコが増えてきて、しゃべれなかったけど、教室よりは食べられるようになりました。


一方で「言われて嫌だったことば」も。――苦しみ・つらい思いを知ってほしい。
知らないうちに人を傷つけていないでしょうか?
わたしたちは“声に出せない声”を知っておく必要があります。ぜひ“声”を知ってください。

◆とにかく理解を・・・  /風音さん、30代(当事者)
「無視してる」「気持ち悪い」(クラスメイト)
「この子は喋らないねぇ」「お口無いの?」(厳しいおばさん)
「家だとうるさいね」「学校でもそうすればいいのに」


◆ひとりじゃないこと /ウィスパーさん、10代(当事者)
「しゃべれない子」


◆自己診断ではありますが /ボイスさん、30代(当事者)
「この子、ほんとはすっごくしゃべるんだよ」(友達)
「家でそんなにしゃべれるんだから、学校でも話しなよ」


◆場面緘黙、早期に適切な対応を /さこちゃんさん(当事者)
「何で話さないの?もっと話せばいいのに」


◆11年間緘黙でした。 /みほさん、40代(当事者)
「なんで話さないの?しゃべって?笑って?」
「家族と話してた、笑ってたのを見た!」


◆緘黙当事者が安心出来る居場所を /chocoさん、40代(当事者)
気を使ってくれているという事は凄くわかるのですが、高校生の私に対して、まるで小学生に対する様な言葉使いや内容で話しかけられたりしたのもなんだか傷つきました。


◆知ることの大切さ  /みーさんさん、40代 母親(息子が緘黙)
(クラスメイトから子供が言われた言葉)「何故しゃべらないの?」「おい笑ってみろよ」「何か言ってみて」


◆理解してもらうのも怖い /ニコちゃんさん、20代
「シカト」「調子こいでる」(部活の先輩)
「全然しゃべらない」(高校のクラスメイト)


◆話せないと言うより言葉が出せない /かんのさん、30代(当事者)
「泣けばいいと思ってる」(クラスメイト)


◆理解が広がりますように /ちえさん、20代(当事者)
「何で喋らないの?」(同級生)
声を出した途端に周りが「しゃべった!」「声出るんだ!」


◆「助けて欲しい」と思っていました。 /今は人前でも平気ですさん、30代(当事者)
「この子喋れないんだよ」「あいうえおって言ってみろ」(幼稚園のクラスメイト)


◆場面緘黙だったのかもしれない /宗像さん、10代(当事者)
質問に対し首を振って答えると「口で言えよ」(クラスメイト)
「何時までもそんな風に生きていけると思うな」「声が小さい!!」(先生)


◆安心出来る環境を /スミレさん、30代(当事者)
「耳が聞こえないんじゃないの」
(授業音読出来ず)「読まないなら立ってろ」(先生)
「聞こえません」「もう1回」


◆私も、そうだったかも /なおママさん、40代(当事者)
「マイクが必要だね」(クラスメイト)


◆話したい /taroさん、20代(当事者)
「話せよ」、「おかしな人」(クラスメイト)
「学校始まって以来の問題児」(先生)


◆娘が場面緘黙 /あんさん、40代 母親(娘が緘黙)
「あなたがセリフを言わなかったら、みんな帰れません」(先生から娘が言われた言葉)


◆学校に通いたい。先生のちょっとした理解、配慮で通えるのに・・・ /かすみ草さん、50代 母親(娘が緘黙)
「何故、大きな声が出ないの?」(先生から娘が言われた言葉)
「発表ができないなら成績を下げる」




【関連情報】場面緘黙について
専門家に聞く、場面緘黙(かんもく)について知っておきたいこと
”場面緘黙(かんもく)の悩み、ありますか?ーーハートネットTV・カキコミ板
・場面緘黙についての様々な情報はこちら (当事者・保護者・支援者向けの情報交換サイト)
  “かんもくネット” (外部リンク・NHKを離れます)
  “かんもくの会”  (外部リンク・NHKを離れます)

コメント

うちの長女も幼稚園の時からしゃべれなくて、また同じようにしゃべれない子がいたみたいで、自分からりほ、黙ってたんだとか言ってました。また、お友だちからしゃべらなくてバカにされてるや、話すと話した~など言われると余計に嫌だったようでした。人の言葉や人の目が気になってしまうのかなって感じます。そして怖いって思って話せなくなるのかも。私も幼い頃は気の許す人しか話せませんでした。強く言う人にも言い返せず言われたい放題。母には気にするな。そう言ってる人の方がバカなんだと言われていました。なので、娘にも話さなくてバカにしてくることなんておかしい。話したくてもなかなか声がでない子だっているのだから。娘にも伝えたりしてました。最近はお友だちもできて学校も楽しいといってます。娘の凄いなと思うところは声があまりでないのに手を挙げるのです。でもその時の先生が近くまで行ってくれて聞いてくれたので良かったと思いました。きっと先生の接し方も大切だと思いました。とにかく恐怖を与えないことですね。ずっと声がでないとか困るとか酷い事言って脅かさずに、おだかやな人や明るい人といたら話せる子がいたみたいなので人って怖くないよって周りのみんなが安心させてあげたらきっと大丈夫なのかなと思いました。今、話せなくても大丈夫です。ちょっとの勇気を出したらそこからは道が開けると思います。私も学校のPTAをやります。副会長です。子供の頃の自分なら絶対に無理です。でも人って成長します。だからきっと今は辛くても2年後ぐらいには良くなってます。ちょっとずつ出来ること増やしていけば大丈夫です

投稿:りこ 2018年03月24日(土曜日) 07時23分

小学校から高校まで学校の中で喋ることができませんでした。ずっと性格だと思っていましたが、この病気のことを最近知って、自分が病気だったことにきずかされました。おとなしいねという言葉にはとても傷つきました。自殺したいとよくかんがえたものです。
でも高校を卒業し県外に出た頃から少しずつしゃべれるようになり大声で笑うこともできるようになりました。今この病気と闘っている人たちは辛いかもしれませんがきっと良くなる時がきますよ。

投稿:れいちゃん 2017年06月15日(木曜日) 23時20分

私は、この春から高校生になる女子です。私がこの病気を知ったのはあるTV番組で再現ドラマがあって知りました。今まで本当に苦しくて何度も泣いて勇気を出して親や相談窓口に相談しました。でも、親には根性がない、相談窓口ではただの人見知りだと言われ、とてもショックでした。小4ときはクラスの男子に「なんで喋らないの?」と言われました。自分でもなんで喋れないのかわかりませんでした。でも、「わからない。」も言えませんでした。しかも自分は学校では無表情なのでさぞかし気持ち悪かったと思います。学校で笑えるようになったのは本当に最近の事です。私はクラスメートや教室だと話せないのですが、学校から出ればそういう人とも喋れるし、大きな声も出るんです。だから今いる友達は同じ部活の人だけです。それでも、やっぱり学生のうちは学校が全てみたいなものなので学校や教室、クラスメートと普通に喋れてる人を見ると羨ましく感じるし、そんな簡単そうなことが出来ない自分が惨めに感じるし、とても悲しいです。でも、これから通う高校は知らない人がほとんどなので今までと違う自分になれそうです。今ここに書いて少し気が楽になりました。私と同じ人がいて本当に良かったです。ありがとうございました。長文失礼しました。

投稿:moka 2017年04月02日(日曜日) 11時59分

こんにちは

投稿:のほほん 2017年03月02日(木曜日) 10時25分

私は、幼稚園の年長から中学3年までそうでした。幼稚園の入園がきっかけでした。
当時はこの症状に理解はなく、私自身もどうして話せないのかわかりませんでした。
辛かったのは伝えたい事を簡単に言葉で伝えられないので友達とのコミュニケーションを諦めてしまう為友達は少なく、心ない言葉でした。同級生には「暗い」「この子喋れない」「聞こえません」「どうして喋れないの?」と言われてしまいました。中学の時に男子にあだ名を
「お通夜」とつけられたのはショックでした。親にも知能障害のある子供の学校に行かせると言われ、小学校の教頭先生には「こんなんで中学に行ったら駄目だから喋ったほうがいい」と言われました。
高校に入学して環境も変わり、友達と話せるようになりました。
最近まで場面かんもく症は知らなかったので、私だけが特別に苦しんでいたと思っていました。

投稿:まゆ 2017年03月01日(水曜日) 10時13分

私も場面緘黙です。家の中でしか、ふつうに喋れません。私が喋れないことにきずいたのは、小5の時です。私は人見知りと思っていて、クラスの人、先生、近所の人とは話した記憶がないです。特にクラスメートは特定の人しか話せなくて、仲がいい人と話しているときに他の人が入ったくると、喉がキュっとなる感じで喋れなかったので、ずっと笑顔でごまかしたりしてました。けど内心は「うわ、なんでくるの…ずっとこの二人でいたたのに」とイライラしてました。だからって入ってきた人が嫌いってわけではなく、喋れなくなるキッカケになるから嫌でした。
そんなある日ふと思いました。なんでみんなはふつうなんだろう。みんなは誰とでもふつうに話せてる。私は人見知りだから話せないと思ってたけど、さすがに喋れなさすぎるんじゃないかと思いました。そう悩んでいる時、テレビで私と似ている子が再現されていました。私は病気なのかと考えました。私なりの結論は病気じゃなくて私の性格と思いました。
小6の時に不登校になりました。その時は学校に行っても楽しいことが一つもなくてつまんなかったからです。勉強も嫌いで点数も悪いし、友達と話していても楽しくない。これだったら家にいて怒られた方が良いと思いました。
そして中1になりました。不登校の人が通う学校みたいなところに通いました。そこはすごく楽しい先輩がいて話しを聞いているだけで笑いが止まらなくて、いるだけで楽しかったです。その時、話すことの楽しさみたいなのが、話せなかったけどわかりました。私ももし喋れたらこんなに楽しいのかなって思い、そっから喋りたい、喋りたい、と思いが強くなりました。
そして中2になりました。私は相談室登校をできるようになりました。その時は一つ上の先輩が吃音症で、ぎこちない喋り方でたくさん話しかけてくれました。相談室の先生がいたんですけど、その人もいい人で、自分の身の回りで起こった面白い話しをたくさんしてくれたり、声が小さくても嫌な顔をしないで聞き直してくれたりしてくれました。相談室は私と先輩と先生、三人で過ごしていました。そして先生とは、夏ぐらいからふつうにはなせるようになりました。私が学校で話せる、しかも先生と と思いとても嬉しかったです。
そして今、中3です。今はわけあって保健室登校です。今は先生も先輩もいません。また話せる人がいなくなり、1人です。話せそうな先生はいるけど、実際話そうと思うと緊張して話せなかったってなります。そういう自分が嫌いだけど、話そうとすごく思っているのに話せなかった、それが緘黙症なんだからしょうがない、と思います。なので高校からは、そんな自分はいない、と思うようにして、高校生活を楽しむ。それが今の目標です!
長文になっちゃいました。読んでくれた人、ありがとうございます。

投稿:チコ 2016年11月17日(木曜日) 01時29分

かんもくって言うんですね。
私は、場面かんもくなんじゃないかと思います。「いい子」だったので、怒られるのには慣れてなかったからでしょうか。中学校の時にイジメにあい、「やめて」と言えませんでした。親に度々怒られました。「どうして言えないんだ。なんとか言ったらどうだ。」「都合が悪い時は黙るよね」「親を馬鹿にしているから、話さないんだな」
相手が私に怒っている、と思うと、言葉が出てこなくなります。相手が言っていることは正論です。私が黙っていると、火に油を注ぐ結果になります。でも、言葉が出てこないです。今も、そういう傾向です。人前で話すのは平気です。上記の場面だけ、黙ってしまいます。家事育児仕事、不器用にこなしています。

投稿:にじのはは 2016年09月27日(火曜日) 21時25分

場面緘黙。
まさしく、そのものでした。
今、たまたまなぜか、このページに出逢いました。49歳女性、ママの居場所づくりに奔走しているものです。

幼稚園〜小学2年生まで、幼稚園、小学校では話をすることができませんでした。
「今度こそ話そう」「順番が回って来たら歌を歌おう」と思うのですが、いざその時がくると、怖くて、喉がぐーっと閉まるような感じになって、まわりの反応が怖くて声が出せない。。。そんな感じでした。

幼稚園の年長の途中までは、母親が教室の外でずっと私を待っていたそうです。
ある時、急に立ち上がり、「ママ、帰っていいよ」と言ったそうですが、全く記憶がありません。先生が泣き虫の女の子の絵本をよみきかせしていて、それに私が反応したのでは、と後に母親から聴きました。その先生は、私が泣かなかった日か泣いた日かどちらかにハンコを押すというノートを作り、私に持たせていました。それは、強烈に覚えています。そのノートを見ていた母の顔は怖かったし悲しそうだった。この先生のやり方が、私と母にダメージを与えたことは、確かだと思います。子どもは、母の笑顔で安心するもの、なんだと思います。何かしたらご褒美のハンコ、という発想は、「場面緘黙」の子どもにとっては、よりいっそうのプレッシャーになるものだったのだと。

そして、小学1・2年生の頃に「言葉の教室」に通わされました。遊戯療法、というものだったかと思います。好きなことを自由にできるところ。そこの先生はいつも笑顔で、その先生だけは大好きで、安堵感が得られるところでした。
高校の合格発表の翌日に、「合格おめでとう!」の電話をいただいた時は、覚えていてくださったのだと母と感激しました。思いある先生との出会いは幸せでした。

学校の中にこの「安心できる場所」ができたことで、小学3〜4年生くらいからは、クラスでも3〜4人くらい仲良しの友達ができるようになって、「恥ずかしがり屋」くらいの状態に少しづつなっていき、放課後も楽しく会話して遊べるようになりました。
ただし、近所のお友達とは、1年生からずっと、家族と同じように喋ったり喧嘩したりできていましたので、「場面緘黙」というものは、我ながら謎なのですが。

小学校時代の嫌な思い出は、1年生のとき、担任に「教科書読まないなら帰れ!」と言われ、帰ろうとしたら怒られ、廊下に立たされたこと。2年生に進級するとき、クラス替えがあり、同級生に「あいつ、喋らないんだぞ」「馬鹿なんだぞ」と言われたこと。
同級生が花瓶を割ったのに近くに居た私の所為にされ、それを言えなかったこと。
とまぁ、いろいろありましたが、高学年のこととなると、友達と休み時間に遊んだり、楽しかったことをたくさん思い出します。
6年生のときの担任が通知表に「消極的」「おとなしい」等の言葉を書いていなかったことで母親が通知表を見て初めて明るい表情をしました。私が場面緘黙であることを(その言葉は知らなかったけれど)母が嫌がっていることを感じていました。授業参観では、「ここでまた声を出さないと、嫌な顔をされる、がっかりされる」という思いがありました。しかし、この先生は「話を積極的にしなくても、いいところを見つけて褒めてくれる」ので、母も娘が「場面緘黙」だからと嫌な思いをすることがなくなり、こども心にそれを感じ取った私は、学校に行くことが楽しくなり、勉強も楽しくなっていきました。

そして、今、子どもを守るためなら、権力に対しても物申す母親になりました。
幼稚園、小学校1年の担任が今の私を知ったら、腰を抜かすでしょう(笑)
1聞かれたら、10返すくらいのオバちゃんです。

「萎縮せずに大丈夫だよ、あなたはそのままで充分なんだよ」という広く穏やかな心でまわりが見守ってあげることができれば、きっと、のびのびと育つものだ思います。
そして同時に、母親が「子どもを広く穏やかな心で見守る」ことができるよう、母親を支える存在が絶対に必要とであると思います。

長文失礼いたしました。

投稿:番長 2016年07月12日(火曜日) 12時08分

私もみなさんのコメントに同感です。「何でしゃべらないの?」「分からない事があったら何でも聞いてと何度も言ってるでしょ!!」と毎回言われます。私も重々わかっています。でも、声が出ないのです。出ても、しどろもどろになってしまう。職場でも家でも電話応対が苦痛です。「ちゃんと相手の名前と用件聞いて」と叱責されます。
誰に相談していいか、本当に苦痛です。

投稿:ウィッチ 2016年07月08日(金曜日) 20時57分

皆さんのコメント見てたらすごい同感しました。私も場面緘黙なんですけど、学校でこいつ喋れないとか無視してんの?とか言われると本当ムカつくし苦しいです。私は家ではめちゃくちゃ喋るし、すごい明るくて逆にうるさい方だと思うんですけどこのよく喋る性格で学校では喋れないって本当にきついです。泣きたくなります。

投稿:しおん 2016年05月27日(金曜日) 18時20分