クローズアップ現代

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2020年3月10日(火)
家族や知人が支えてくれた震災9年 ~たび重なる逆境の中で~

家族や知人が支えてくれた震災9年 ~たび重なる逆境の中で~

津波で妻と3人の子どもを失った男性の9年の記録。支えたのは家族や地域の仲間たちだった。しかし、去年は台風被害も・・・。NHKは地震と台風で「二重被災」した事業者にアンケート。家族、友人・知人、地域のつながり、全国からの支援などが被災地の人たちを支えてきたことが見えてきた。災害大国・日本で生きるために大切なことは何か。この9年、被災地の復興に力を入れてきたサンドウィッチマンの2人と現地から生中継で考える。

出演者

  • サンドウィッチマン (お笑いコンビ)
  • 武田真一 (キャスター)

サンドウィッチマンが応援 二度被災した農家

東日本大震災でみずからも被災したサンドウィッチマンが、応援し続けている人がいます。
宮城県で農業を営む阿部聡さん、42歳。
この9年、2度にわたり大きな災害に見舞われました。


ゲスト サンドウィッチマン(お笑いコンビ)

武田:お二人は以前から阿部さんをご存じだということですけれども、台風の被害まで受けてしまった。その話を聞いたとき、どんなふうに思われましたか。

伊達さん:そうなんですよね。震災後、5年後と先月にもお会いしているんですけど、また被害に遭ったんだという。でもね、阿部さん、強いんですよ。本当に下を向いているところを見たことがないね。

富澤さん:うん。会うと明るく接してくれるんで、逆に僕らが助かるというか。

武田:先月もそんなご様子で…?

富澤さん:へらへらしてましたね。

伊達さん:へらへらはしていない。元気だよね。

武田:たび重なる逆境の中、阿部さんは何を支えに、どう歩んできたのか。ご覧ください。

家族・仕事を失って…被災農家の苦悩

津波の翌日、東松島市を撮影した映像です。
津波が来たとき、阿部さんは自宅の裏のハウスで農作業をしていました。

津波にのみ込まれましたが、電柱にしがみつき、奇跡的に助かりました。
家族は、指定避難所になっていた市民センターに避難。しかし、そこにおよそ2メートルの津波が押し寄せました。

震災から1年半。

阿部聡さん
「本当に空っぽというか。家族のことも家のことも全部ひっくるめて、なんて言うか、夢ならば本当に覚めてほしい。もしタイムスリップできるのであれば、あの日のあの津波が来る前に戻って、助けてやりたいと思います。」

34歳で亡くなった、妻の妙恵さん。農業に打ち込む夫を、経理や事務などで支えてきました。

阿部聡さん
「妻は姉の友達だった。姉に“あんたのこと気に入ってる人がいる”と言われて紹介された。お互い一目ぼれというか。」

まとまった休みがない中、3人の子どもたちと初めてディズニーランドに行こうと約束していた年に震災は起きました。

何か一つ輝くものを持つ子になってほしいと名付けた、長男の壱輝(いっこう)くん。美しい命を大事にしてほしいと願いを込めた、次女の美命(みこと)さん。長女の夏海(なつみ)さんは海の日に生まれ、海のようにおおらかな子に育ってほしいと名付けました。
震災の2日後、自宅から50メートルほどの場所で、阿部さんみずからが遺体を捜し出しました。

阿部聡さん
「わからなかった最初は。誰かわからなかった、ごみかぶって。触ったときはカチコチになってた。冷たくなってカチコチに硬くなっちゃって。なんとか顔を拭いてあげて、なかなか目の土がとれなかったりして。鼻の中からも泥が出てきて、それもなかなかとれなくて。」


震災から1か月後、まだ津波の水が引かない東松島市。

阿部さんの父、誠さんです。阿部さんと一緒に農業を営んできました。

父 阿部誠さん
「今となってはどんなことでも言えるけど、代われるものなら代わってあげたかった。今はそういう思いが脳裏から離れない。こんなにむごいことはない。恨むとすれば、津波を恨むしかない。」


阿部さんが失ったのは、家族だけではありませんでした。
トマトときゅうりを育てていたハウスは全壊。2億円の負債を負うことになりました。

阿部さんは浸水を免れた2階に閉じこもり、家族のあとを追うことばかり考えていたと言います。

阿部聡さん
「電気もつかない中で、どうやって死のうか。同じように溺死を考えたり、いろんなことを考えて。」

「家族を失って、仕事を失った。自分の人生で一番本当にいらない日。」

このころ、部屋で一人見続けていたものがあります。
家族の遺品です。
小学校で作った工作を持つ夏海さんの写真。
津波で壊れた妻の携帯電話。
長男の壱輝くんがサッカー大会で優勝したときのメダル。

二度被災して…仲間・家族が支えた9年

自宅に閉じこもっていた阿部さんを気にかけていた人たちがいます。
地域でともに農業を営み、被災した仲間たちでした。

その一人、震災前から農業の将来について語り合ってきた佐藤雄則さん。佐藤さん自身も、いちごのハウスに大きな被害を受けていました。

佐藤雄則さん
「阿部に何か今やることあるのか聞いたけど、“ない”って話だったので、とりあえずうちに働きに来てよと言った。たまに、本当にたまに、朝来ないときがある。心配になって、私の嫁か私が家まで声掛けに行ったのが何回かある。」

2人は、阿部さんの自宅の2階で地域の農業をどう復活させるか話を始めました。そして、佐藤さんが会社をつくりたいと持ちかけたのです。

佐藤雄則さん
「夜な夜な、阿部の津波に遭った家の2階部分は残っていたので、そこで話したり、計画書を作ったり。自分たちの手で動いていかないと、未来も変わっていかないし、そういう取り組みを、阿部が一緒にできる仲間だなと思ったので。」


2012年。
阿部さんは佐藤さんなど3人の仲間と、東北地方の方言で「良くなる」と名付けた農業法人を立ち上げます。

全員が被災した農家でした。
参加した武田真吾さんには、阿部さんが声をかけました。武田さんも阿部さんと同じように家族を亡くしていました。

武田真吾さん
「当初の阿部の立ち上がった姿が一番、家族が亡くなって、仕事だけは取り戻すという意気込み。どんな過酷な状況にあっても前を向く。命があるんですから、仕事は常に死ぬまであると思うので。命はあるんですから。」

業績は順調に伸びていきました。
法人を立ち上げて4年で売り上げが2億円に迫るなど、負債を減らすめども見えてきました。


農業の仕事が忙しくても、阿部さんは週3回、家族が眠る墓を訪れていました。

阿部聡さん
「何年たっても、この世にはいないけど、子どもは子どもですから。やっぱり何とか見守っていてね。また頑張るからねって。」


震災翌年に4人で始めた農業法人は、社員・スタッフあわせて60人を超え、県内でも有数の規模にまで成長しました。

阿部聡さん
「俺はもう目的を変えようと思って。自分のためじゃなくて、従業員であったり、従業員の生活が懸かってきて、その人たちの生活を支えるためには、中途半端なことをしていたら、すぐその人たちの生活がだめになっちゃう。なので逆に、僕はこれから家族じゃなくて会社っていうか、仕事で。ここで仕事をしてもらっている人たちが幸せになれるように自分で頑張ればいいかなって。」


しかし、去年。
台風19号が東日本大震災の被災地を襲いました。
2億円かけて内陸に建てたハウスも濁流にのみ込まれました。収穫を間近に控えていたトマトは全滅。農機具の被害もあわせて、阿部さんはさらに1億円の負債を抱え込むことになったのです。

阿部聡さん
「なんて人生だって思いました。なんでこう水害ばかり受けるんだって。腹立たしくなる。」


2度目となった大規模な被災。
再び支えになったのが、武田さんや佐藤さんたち仲間でした。
行政の支援をどう活用し、設備の復旧を進めていくか、ともに事業の計画を検討しています。

阿部聡さん
「僕は1人じゃなくて、佐藤も武田も齋藤もいる中で、みんなで力を合わせてやっていける。仲間がいるので。」


今も、毎週、亡き家族の墓に通う阿部さん。
台風のあと、ある写真を見たことが気持ちを支えていました。
亡くなった長女の夏海さんの写真です。

阿部聡さん
「上の娘が生きていれば20歳くらいだったのかな。ふと見たときに、あの時に比べればいいよなと思って。台風被害に遭いましたけど、誰か生きていれば、そこから行動すれば、自分たちが考えて行動して、復旧・復興はできるんです。被害受けたけど、また少しずつ進んでいくから見守っていてねと。」

トマトの生産再開に向けて動き始めた阿部さん。
この苗が育てば、6月には、台風で壊滅した畑で再び収穫が始まります。

阿部聡さん
「これも食べてね。」

被害の少なかったハウスではいちごが実を結びました。

阿部聡さん
「甘いですか?」

女の子
「おいひい。」


今月、阿部さんは、ある写真を見せてくれました。
再婚して産まれた子どもの写真です。

阿部聡さん
「生まれたときは、おサルさん、子ザルさんみたいな。誰に似ているのか、よくわからなくて。嫁さんとか嫁さんの母親とか俺とか、みんな“私に似てる”って言い張っていた。」


震災から9年の日々。

阿部聡さん
「(自ら)立ち上がってきたというふうには僕は思っていない。僕はいろんな人に支えられて、ここまで9年間頑張ってきたので。恐らくこれからも、もっといろんな人に支えられて生きていくんだろうな。逆に私も、そういう人たちを支えていかなきゃいけないと思っています。」

サンドウィッチマンが語る震災9年

武田:いかがでしたか。

伊達さん:本当にいい仲間にめぐり合えているなと思いますね。仲間の武田さんがおっしゃっていましたけど、“命があるんだから”というのがすごく刺さりましたね。助かった命ですからね。何でもできるんですよね。すごくいい仲間だな。たまに、けんかするって言ってたけどな、この間。

富澤さん:言っていましたね。

伊達さん:いちごもおいしいしね。われわれもいただきましたけど。

富澤さん:行ったときに、利きいちごをしたんですけど、間違ってましたけどね。

伊達さん:いろんな品種をつくってて。

武田:富澤さんはどういうふうにご覧になりましたか。

富澤さん:自分のこと、自分のために頑張るって、なかなか難しいと思うんですよね。さぼることもできるし、投げ出すこともできるし。誰かのためにって思うと、もうひと踏ん張りできると思うので、そこがよかったのかなって。

武田:支えられるだけじゃなくて、誰かのためにというのが、支えるということなのかもしれないですね。
お二人も9年間、被災地を支え続けてこられたと思うんですけれども、この9年というものを、今どういうふうに感じていらっしゃいますか。

伊達さん:本当にたくさんの方が亡くなって、たくさんの建物もなくなったりしたんですけど、行くたびに新しい建物ができていたりとか、笑顔が増えて。月日がたつといろいろ変わってくるんだなと改めて思いますね。

武田:変わってくる?

伊達さん:気持ちなんかも変わりますよね。すごい元気な人が多いですよ。

武田:もう元気に…。

伊達さん:なってます、なってます、本当に。

武田:どうでしょう富澤さん。9年がたって、被災地から遠く離れていますと、阿部さんのような人生、あんな苦労があったんだということはなかなか想像もできない、つい忘れがちになってしまうところもあると思うんですが。

富澤さん:そうですね。真一さんもそうだと思いますけど。

伊達さん:真一さんって…。

武田:私ですか?

伊達さん:武田さんね。急に下の名前で呼ばれたから。

富澤さん:すいません。僕ら何度もちょいちょい被災地に行ったりして、接していると、そんなに風化という気持ちも感じないというか。義援金なんかもたくさん協力してくれる方もいるので。僕ら自身は感じないんですけどね。

武田:気にかけている人は、ちゃんと気にかけているということですかね。それを何とか維持していかなきゃいけない。これからのまた9年、10年ということになるんですかね。
実は私たちが今いる場所なんですけれども、阿部さんが被災した東松島市にある「震災復興伝承館」という建物です。もともとJRの駅だったんですけれども、津波に襲われて、今は震災と復興の歩みを伝える施設になっています。ちょうど私の後ろに時計がありまして、巨大地震発生直後に止まった時計です。

この駅もがれきに覆われていたんですけれども、地域の人たちが支え合って、ちょっとずつ9年間進んできた。支え合うというのは口に出すと簡単なことばなんですけれども、本当の意味で支え合うって何なんだろう。どういうふうに思っていらっしゃいますか。

伊達さん:意外と僕は単純だなと思っていて。本当に東北の被災地はいろんな方に支えられたんですよ。だから、日本全国いろんな被災地が今ありますけれども、何かあったら支えられた恩返しで行くぞと。俺らが今度は支えるんだというような、本当にお互いさまというか、そんな気がしますけどね。本当に支えられっぱなしですよね、こっちの人間はね。何か恩返ししたくてしょうがない人がすごく多いですよ。

武田:富澤さんはいかがですか。

富澤さん:僕らもいろんな場所に行くと、「来てくれてありがとう」とか、何も僕らしているわけじゃないんですけれども。そういうことばで僕らも支えられてるなって感じがしますし。そこが支え合っているのかなとは思いますけれども。

武田:そうは言っても、中には支えが得られない人、孤立してなかなか立ち向かっていけない人もいるかと思うんですけれども。

伊達さん:阿部さんみたいにお仲間がいない方も、実はいらっしゃいますしね。そういう人たちに会うと、いろいろ話を聞くようにしていますね。話を聞いてほしいみたいですね。だからずっと聞いています。握手して、一緒に写真撮ってみたいな。そうすると、何かちょっと笑顔になるんですよね。

武田:震災から9年がたつわけですけれども、支え合いで前に進んでいる人が多くなっているのか。やっぱり取り残されている方が多いのか。そこは、どういうふうに実感されていますか。

富澤さん:うーん、どうなんでしょうね。僕ら、話ができる人というのは、割と前を向いて歩けている人だと思いますけど、まだやっぱり話ができない人もいらっしゃいますし。近づいてくれるまで、僕は待ったほうがいいのかなと思います。

武田:近づいてくれるまで待つ。

伊達さん:向こうから話をしてくれるようになったんです。当時のこととか、自分の今の現状とか。それは月日なんですよね。

武田:“待つ”というのも大事なことだと。

伊達さん:そうだと思います。あんまりがつがつ行っても迷惑ですしね。

二度の被災 支えになったのは

武田:私たちは、震災に加えて台風などの被害に遭った人たちに、一体何が支えになったのか、アンケートで聞きました。最も多かったのが「行政の支援制度」。続いて「家族・親族」「地域のつながり」「友人・知人」「ボランティア・全国の人の支援」というふうになりました。

伊達さん:サンドウィッチマンは入っていなかったですね。


武田:こちら、宮城県石巻市のボウリング場です。震災や台風で大きな被害を受けました。
しかし、常連客や全国からの励ましで再開。

ボウリング場 代表取締役 髙橋芳昭さん
「“もう一回頑張って、やってみてくれませんか”って。多くの来ているお客さんからお話がありました。やれるところまでやっていこうじゃないか。」


「いいノリだ。」

武田:こちらは原発事故の風評被害と闘う、福島県相馬市のアオノリの漁業者の皆さんです。台風で流木が流れ込むといった被害があったんですけれども、仲間の絆が乗り越える原動力となったといいます。

伊達さん:大事ですね、仲間って。

相馬双葉漁協 山下博行理事
「本当に昔からやっていた方の集まりなんだけど、みんな同じ思いで、このアオノリを切らしちゃいけないという思いが皆さんあってやっている。(災害が)何回きても、倒れれば起きるという感じで、諦めるということはない。」

サンドウィッチマン いま伝えたいこと

武田:お二人は全国の人の代表として。

伊達さん:気を使っていただきまして、ありがとうございます。

武田:まだまだ支えが必要な人たちがいると思うんです。ひと言ずつ、お二人が今改めて全国の人たちに言いたいことをお願いします。

伊達さん:お客様を迎え入れる体制は本当にできていますので、ぜひ東北に足を運んでいただいて、おいしいものを食べて、何かお土産を買って、帰っていただきたいなと思います。僕らも、その動きをこれからもやっていきたいなと思います。

富澤さん:さっきの阿部さんみたいに、生産者はいいものをつくろうと思って頑張っているんで、何とか僕らがスピーカーがわりになって、みんなに知らせられたらいいなと思います。

武田:今、被災地で前を向こうと頑張っていらっしゃる方をいろんな形で応援していく。

伊達さん:やっぱり、あの震災を乗り越えた人は強いです。本当に。台風は乗り越えられます。それぐらいの強さですよ。すばらしいです。

武田:きょうはどうもありがとうございました。