クローズアップ現代

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2019年12月11日(水)
緒方貞子 今を生きるあなたへ

緒方貞子 今を生きるあなたへ

日本人初の国連難民高等弁務官として、世界の紛争地に赴き、難民の支援に取り組み続けた緒方貞子さん。10月、92歳でこの世を去った。晩年は、諸外国や他者への関心を失い「内向き化」の一途をたどっていく日本への憂慮を語り続けていたという。今では世界中にいる、緒方さんの思いを継いだ“緒方チルドレン”たちを広く取材し、何が後進たちの心を動かし、背中を押しているのかを探っていく。過去のインタビュー映像や講演の音声などから、緒方さんが晩年にたどり着き、後世に伝えようとした“メッセージ”とは何かに迫る。

出演者

  • 野林健さん (一橋大学 名誉教授)
  • 安田菜津紀さん (フォトジャーナリスト)
  • 宮田裕章さん (慶應義塾大学 教授)
  • 武田真一 (キャスター)

緒方貞子 今を生きるあなたへ

バングラデシュ南部にある、難民キャンプです。
隣国・ミャンマーで、虐殺などの迫害を受けたロヒンギャの人々が逃れてきています。その数は、2年間で90万を超えました。
緒方さんの遺志を継ぎ、難民支援に取り組む、土岐日名子さんです。

UNHCR 土岐日名子さん
「それぞれの家がつながっているので、もちろんプライバシーはないし、雨が降ると全部くずれてしまって。」

ここでは、定住を前提とした建物の建設が認められず、劣悪な環境での暮らしを余儀なくされています。
特に見てほしい現場があると、土岐さんがある場所に案内してくれました。

UNHCR 土岐日名子さん
「小学校にあがる前の幼稚園児のためのクラスになっています。電気がないので、ドアから入ってくる光だけを利用して。」

難民の数が増え続ける一方で、国際社会の関心は年々低下。必要な支援を行う予算が、十分に組めない状況が続いていると言います。
日本からの寄付金も、2年前に比べ、著しく減少しました。

UNHCR 土岐日名子さん
「先生は全部で何人ですか?」

「たった1人です。」

UNHCR 土岐日名子さん
「小学校にあがっても結局、算数と英語とビルマ語と、ちょっとした程度にとどまっているので、どうやって自分の力で考えて、いろいろなことを学んでいくのか、ベースができていかない。子どもたちの将来、本当にどうなっていくんだろう。」

緒方さんがトップを務めた時代に、難民支援に携わるようになった土岐さん。
困難に直面するたびに背中を押す、緒方さんの言葉があります。
“現場主義”です。

緒方貞子さん
「現場感というものがなくて、人は説得できないと思いますよ。現場の感覚がないと本当に、こうしたらどうですか、ああしたらどうですかと提言は出来ません。」

UNHCR 土岐日名子さん
「緒方さんがおっしゃっていた“現場主義”。難民の方の声にいつも耳を傾けて、どうしていくのが一番いいのか、難民の方と一緒に、その解決策を探っていくというのが、たぶん緒方さんも今でも、そういったことを考えられるんじゃないか。」

国際政治学者として、日本の大学で教べんを執っていた緒方さん。国連での仕事を経て、63歳のとき、女性初の難民高等弁務官となりました。

就任直後に赴いたのは、湾岸戦争の混乱の中にあったイラク。
目の当たりにしたのが、迫害された数十万のクルド人が、トルコとの国境で行き場を失い、命の危険にさらされている姿でした。

緒方貞子さん
「考えてみたら、命を守る以外ないんですね、最後は。どこであろうと。生きてもらうことに尽きてしまうんですよね。いろいろな生き方はあってもね。大事なことだと思いますよ。それが人道支援の一番の根幹にあると思います。」

現場に立ち、目の前の命を守る。そこから生まれたのが“現場主義”という信念でした。
緒方さんを長年、補佐官として支えた、現在の難民高等弁務官です。
彼女のぶれない決断が、今も脳裏に焼き付いていると言います。

第11代国連難民高等弁務官 フィリッポ・グランディさん
「私がコンゴにいたときのことです。非常に危険な状況でした。内戦の最中でしたから。命を危険にさらしても、難民保護のためにとどまるべきか、撤退すべきなのか、決断を迫られました。そこで緒方さんに電話をしたところ、彼女は『もしとどまれば、難民の命を救うことができそうですか?』と聞いてきました。『出来ると思う』と答えると、彼女は言ったんです。『それなら、とどまるべきです』と。」

緒方さんの言葉や姿勢は、今も難民支援に携わる多くの人たちの記憶に深く刻まれています。

UNHCR マリン・ディン・カシュドムチャイさん
「ある避難民(旧ユーゴスラビア)のテントに緒方さんが訪れたときでした。一家のおじいさんが『客人が来てくれたのに、何のおもてなしも出来ない』と泣き出したのです。すると緒方さんは、そこにあった古いミルクを飲み、おじいさんは本当に喜びました。思い出すと涙が止まりません。厳しい時代にこそ、彼女のようなリーダーが必要なのです。」

ロヒンギャの人々への支援で、予算の不足に直面する土岐さん。
緒方さんならどうするか。
自らに問い続ける中で、限られた資金や人材を教育カリキュラムの充実にも振り向けることに決めました。

少年
「僕は学校が好きなんだ。」

取材班
「大きくなったらどこに行きたい?」

少年
「僕の村はとてもきれいだから、大きくなったらミャンマーに帰りたいんだ。」

UNHCR 土岐日名子さん
「緒方さんが一番力を入れていたのは、難民の方を一人の人間として見ることだったと思う。難民というのが人口移動という現象ではなく、一人の人間の命であり、身近な存在であるということ。今ここで出来ることを、私たちも努力を続けていきたいと思います。」

外の世界で苦しむ人々に目を向け、手を差し伸べ続けた緒方さん。
しかし、その弱者に寄り添う“現場主義”は今、岐路に立たされています。

世界に広がる“自国優先”の姿勢や“難民への無関心”を緒方さんは晩年、深く憂いていたと言います。

前の駐米大使で、生前、親交が深かった佐々江賢一郎さんです。

緒方さんから繰り返し聞かされていたのは、日本は“内向きになってはいけない”という言葉でした。

日本国際問題研究所 理事長 佐々江賢一郎さん
「緒方さんは、日本に良くなってもらいたいというのが非常に強かった。若い人たちに対しても、日本の中だけで安住していると世界は大きな変化を遂げつつあるので、その中で日本はうまく対応していけないんじゃないですかと。もうちょっと世界を知りなさいと。世界と一緒になっていかないと、結局“共感”というのが持ち得ないと。そうでなければ日本は、だんだん弱小の、尊敬される立場になっていかない。」

緒方貞子さん
「私はいま、非常に日本は内向きになっていると思います。これは外国人労働者の問題もありますし、それから難民の受け入れにも問題があるのです。非常に少ない。それはやっぱり、あまりに自分たちのこと、あまりにも日本の内向きのことばかり考える、上から下まで。自分のことだけでなく、広がりをもった日本をつくっていただきたい。」


武田:「現場主義」「生きてもらう」。緒方さんが最も大切にしてきた価値は、人の命を助けること。その思いは今も、難民支援の現場に生き続けています。
ほかにも、次の世代に向けたこんな言葉を残しています。
「難局は乗り越えるもの」「ミッションのためにルールを変える」そして「何でもしてやろう」。

緒方貞子さん
「何でも見てやろう、何でもやってみよう。そういう意気を持って、若い人には生活していただきたい。本当に人間とはどんなものなのか、どういう人がいるのか、自分の仕事はどういうものかということを、肌で感じて考えてほしい。」

「何でもみてやろう」「何でもしてやろう」そのことで、自分の視野は広がる。
この緒方さんの言葉を若者たちに伝えているのは、就職支援会社に勤める河村香織さんです。大学生向けに、社会人になるためのキャリア教育を行っています。河村さん自身、大学生のころに緒方さんの言葉と出会い、導かれてきたと言います。

河村香織さん
「迷ったときに、何か指針になるような、こうありたいという自分が目指す方向を思い出させてくれるような、そういう言葉だと思います。」

河村さんは就職氷河期世代。新聞社や出版社に的を絞って就職活動をしましたが、内定を得られませんでした。
しかしその後、視野を広げてがむしゃらに会社を探す中で、今の就職支援の仕事と出会います。仕事にやりがいを感じるにつれ、緒方さんの言葉の意味が分かるようになったと言います。

河村香織さん
「(緒方さんの本を見せながら)あっ、こことか好きです。“人間は仕事を通じて成長していかなければなりません”。“「何でもみてやろう」「何でもしてやろう」という姿勢を意識的に持ってもらいたい”。『ああ、これか!』っていう、そういうことだと思います。」

河村香織さん
「言葉では分かっていて、すてきな言葉だなと思っていたんですけど、実際の自分の行動で『ああ、こういうことだったんだな』って。ものすごく狭いところだけで終わらずによかった。もったいないことをするところだったなって。」

緒方さんの「何でもしてやろう」の精神を、河村さんは今の学生たちに伝えたいと考えています。

河村さんの会社が開いた企業説明会です。
売り手市場の近年、学生は知名度の高い企業だけにしか目を向けない傾向があるといいます。

河村香織さん
「九州の食品の流通のことをやっている会社があって、ちょうど聞けるので2人で聞きませんか?」

学生
「ちょっと、いいです。」

河村香織さん
「ちょっと違う?」

いろんな世界に好奇心を持ち、納得のいく仕事と出会ってほしい。
かつて、緒方さんに背中を押された河村さんの思いです。

河村香織さん
「『視野を広げたほうがいいですよ』って、やっぱり響く人と響かない人がいるし、でも言い続けることが大事だと思うので。一歩踏み出して、その場所に行くことで何か見つかるような気がします。」


緒方貞子さん
「向き合って、ぶち破いていかないとね。向き合って進んでくださいということですよ。乗り越えるためにあるの。危機とか難局というのは。」

2003年、JICAの理事長に就いた緒方さん。
この言葉の通り、強いリーダーシップで難局を乗り越えたことがありました。
労働力として期待され、日本に来ていた日系人が、景気の悪化で大量に解雇されたときのことです。

JICA 田中雅彦さん
「『調子がいいときは日系人の方々を日本へ呼んで、日本の調子が悪くなったら皆さん帰すんですか?』と。『あなたはそれで平気なんですか』って、すごく怒られましたね。」

緒方さんたちは、各地で日本語教室を開催。引き続き国内で仕事が得られるよう、後押ししたのです。海外での支援活動を主な任務とするJICAでは、前例のない取り組みでした。

JICA 田中雅彦さん
「彼女(緒方さん)はよく『ミッションのためにルールは変えればいいのよ』と言っていまして、『乗り越える方法を考えなさい』というお叱りをいろんな場面でいただきました。」

「難局は乗り越えるためにある。向き合ってぶち破れ」
この緒方さんの言葉を実践しているのが、NPOの代表、渡部清花さん。
母国で迫害を受け、日本に逃れてきた外国人たちを支援しています。

外国人支援のNPO代表 渡部清花さん
「一番大変なはずの、日本に着いてからの数か月を、どこにもつながらずに過ごしていた人たちも多い。生まれて初めての状況に『すごく心が動揺している』と言う人たちもいる。」

今、渡部さんが直面しているのが、日本の難民認定の厳しさです。
NPOでは、これまで160人の申請者を支援してきましたが、難民認定を得られたのは、わずか1人にすぎません。
どうすれば、外国人の命や生活を守れるか。思い起こしたのは、「目的を達成するためにはルールも変える」という緒方さんの哲学でした。

外国人支援のNPO代表 渡部清花さん
「彼女(緒方さん)だったらどう考えるんだろうとか、『仕組みが難しい』とか『ルールが無い』とか、そういうことを言ってちゃいけないなと思って。『だったら自分で動いてみよう』って、何回も背中を押されたので。」

渡部さんは、支援する外国人を企業と結びつける、新たな取り組みを始めています。
静岡県の大手バイクメーカーです。
渡部さんが紹介したアフリカ出身の男性を、今年7月に採用。男性は、アフリカでの市場開拓に力を発揮しています。

大手バイクメーカー
「即戦力の1人ですよ、まさに。いろんな困難にぶつかりながらも乗り越えて、それをビジネスにしていくっていう。似てる感じがするんですよね。必要なスキルっていうか。」

難民認定が難しいなら、外国人が日本で生きる別の道を模索する。
数々の困難を粘り強く乗り越えてきた緒方さんのあとに続きたいと考えています。

外国人支援のNPO代表 渡部清花さん
「緒方さんが描いていたものを超えられるような、そのぐらいのものを作って、次の世代につなげるっていうことを難民の若者たちと一緒にやっていきたい。」

武田:つい最近もシリアで避難民の取材をしてこられた、フォトジャーナリストの安田さんも緒方さんの言葉を心に刻んでいらっしゃると。

ゲスト 安田菜津紀さん(フォトジャーナリスト)

安田さん:特に「誰もとりこぼさない」という言葉だったんですが、緒方さんが亡くなったという知らせを、ちょうど中東のシリア、イラクで取材をしているときに受けたんですね。誰もとりこぼさない、そこに必要としている人がいる限り、そこでやるんだというその精神に、何か改めて思い返して、取材のための背中を押されたような気持ちだったんです。特にシリアという国。よく報道されているように、9年近く内戦が続いているんですよね。今回の取材でも、シリアから逃れてきた人々の中で自分たちのことを本当に苦しめてきたものっていうのは、自分たちに武器を向ける人間ではなくて、自分たちは世界中から忘れられている、誰からも無関心の中に置かれているという言葉だったんです。
今回の現場でもやはり、例えばローカルなNGOでしたり、あるいは緒方さんがいらっしゃった国連の方々。本当にいろんいろなことに、支援に携わっていたんですが、ただ単にそれって物理的に支援を届けるというだけではなくて、そこにその人たちがいるということが、私たちは誰もとりこぼさないよ、忘れていないと、何よりのサインになっていくんじゃないかなということは改めて現場で感じたところでした。

武田:そして、緒方さんへの30時間に及ぶインタビューをもとに回顧録をまとめられた国際政治学者の野林さんは、特にたくさんあると思いますが。「時代の要請に従ったに過ぎない」。この言葉が印象に残っていたと。

ゲスト 野林健さん(一橋大学 名誉教授)

野林さん:緒方さんは、本当にいろいろな難しい決定をずいぶんなさってきました。それは社会的な評価として確定していることですが、そういう苦労話とかをお聞きしたいと思って、何回かそういう質問をしたんですが、答えはいつも同じで、「それは時代がそうさせたんだ。私はその時代の要請に従ったにすぎない。誰がトップに立っても、同じような判断をしたと思いますよ。」というお答えでした。これは自然な人間の気持ち、命を大切にするということから考えれば、自然に答えが出てくる、そういう問題じゃないかと思いますって。そういうことだったと思います。私は、その言葉を何度も聞きましたけれども、本当に緒方さんは私心のない人だと、強く印象付けられました。

武田:だからこそ実現できたということですね。
そして、内向きになるなという緒方さんのメッセージ、印象に残りましたが、ふだん大学生とも多くのおつきあいがある宮田さんは、今の若い人たちにどういうふうに響いていると感じていますか?

ゲスト 宮田裕章さん(慶應義塾大学 教授)

宮田さん:学生たちは少子高齢化、人口減少、日本の厳しい現実に直面しています。この中で、このままでは先がないのではということも感じていて、先日ある学生が真剣なまなざしで発した質問が、もし私が20歳に戻ったら日本から出ますか、という問いかけでした。このとき、私の頭に浮かんだのは緒方さんの「大切なのは苦しむ人々を救うことだ」と。「自分の国だけの平和はありえない」と。こういう言葉ですね。
この言葉自体が非常に美しいですが、緒方さんの活動の中では、救ったはずの難民が命よりも復讐というものを優先して、今度は虐殺を行う側に回ってしまうと。こういった文化や民族や思想の衝突の中で、多くの挫折、あるいは矛盾を経験されてきています。ただ、その中でも、それでも人々の命から始めようと。この信念は大変重みがありますし、この考えの中でノーベル経済学者のアマルティア・センと提案したのが、人間の安全保障という概念で、これがまさに今、地球規模の社会契約になっているSDGsというものにつながってきた、非常に大きな貢献だと思っています。

武田:しかしですね、今、自分のことでも精いっぱいなのに、遠い国の人たちのことなんて考えてられないよって、自国第一主義のような空気が広がっていますよね。そういった時代に、緒方さんの何をどういうふうに学んでいったらいいのでしょうか。

安田さん:そういった場面で、緒方さんはよく「持ちつ持たれつ」という言葉を大切にされていたと思いますが、それは私もすごく共感する言葉で、その言葉から思い起こすことがあります。東日本大震災以降、岩手県の陸前高田の仮設住宅に通っているんですが、仮設住宅の方が、紛争が続いているシリアの子どもたちが冬越えできるように、自分たちの服を集めて送ってくださったということがあったんですね。自分たちは恩返しをしたいんじゃなくて、世界中の支援から恩送りをしたいっていうことをおっしゃっていて、やはり国際協力って、何か上から下の目線で見られがちですが、そうではなくて、何かお返しするという連鎖の中で、私たち一人一人が等身大でどんな役割を持ち寄れるかということですよね。

武田:宮田さんはどういうことが今、私たちにつきつけられているとお考えですか。

宮田さん:緒方さんが難民高等弁務官に着任されて、本格的に活躍が始まったのは63歳のときです。それまで国連でも活躍されていたんですが、大学の非常勤講師ですね。台所から参りましたという言葉からも象徴されています。ただ、等身大の問題意識で物事を捉えた彼女の活躍は世界を変えました。身近な大切なことを守るのは、目に見える世界の中では完結しないと。世界とのつながりの中で考えていかなくてはいけない。一人一人がどう暮らして、何を学んで、どう遊ぶのか。これは世界とつながっているので、こうした視点の中で、彼女の問いかけである「あなたなら、どうする?」を考えるのが、これからの社会を生きる我々にとって、とても重要だと思います。

武田:「あなたなら、どうする」。今、何をするか。
野林さん、この問いというのは何かドキッとさせられますし、今必要なことなんだなと思いますね。

野林さん:私にとっては、あなたは大学に勤めているけれど、学生に何を言っているんですか、何を教えているんですか、それがどういう意味があるんですか、という問いかけだったと思います。なかなか難しいことですけど、やはり一人一人が小さな1歩を踏み出す。そこから始めるという以外にないんじゃないでしょうか。1日100円積み立てて、1か月3000円。そのお金が、非常に難民支援に大きな意味があるということは忘れてはならないと思います。

武田:例えば、そういうことでも一人一人が考えるべきことはあるということですね。
先週亡くなった中村哲さん。そして緒方貞子さん。
強い信念を持ったお二人の言葉から私たちは何をするのか。
考え、行動していかなくてはならないと思いました。



人道支援の道を志す若い世代が“現場”に立ち続けている。

UNHCR 長谷川のどかさん(36)
「リーダーシップをもって、当時女性でそういう場にいるということも、今も難しい中で、そういうことを感じさせない。日本人だからではなくて、人間として強くて優しい。」

UNHCR 森貴志さん(30)
「(緒方さんとは)直接一緒に働いたとか、話をしたという経験はないですけど、明確に私の中に根付いているものは、どれだけポジションが高くても、一人一人の難民に対して真摯に向き合って、より弱い立場の人達に寄り添う姿がやはり印象に残っている。」


緒方貞子さん
「歴史に学び、他者に学び、そして常に先のことを考えて暮らしていかなきゃね。自分だけじゃなくて。人間が生きている限りは、いろんな試みを続けていくと思うんです。その中で、日本も立派な、いろんな形で、いい考え方、いい試み、いろんな幸せというものを表に出して、みなさんを引っ張っていける人々と国であってほしいなと思っております。」