クローズアップ現代

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2018年9月25日(火)
秘話 樹木希林さん 直筆の手紙

秘話 樹木希林さん 直筆の手紙

75歳で亡くなった俳優の樹木希林さん。生前、実は多くの一般人に毛筆で書いた手紙を送り続けていた。いじめに遭った人に送った手紙、将来の進路に悩む新成人たちに送った手紙、映画撮影で出会ったハンセン病の元患者に送った手紙、CM撮影で訪れた町に送った手紙…。出会った人たちの不安や悩みに耳を傾け、「あなたにはあなたの道がある」と語りかけ続けていたのだ。樹木希林さんが遺したものを手紙につづられた言葉から紐解く。

出演者

  • 武田真一・鎌倉千秋 (キャスター)

樹木希林さん 直筆の手紙 “はてしのない道のり”魂の言葉

75歳で亡くなった俳優・樹木希林さん。人生の最晩年、交流を持った人たちに宛て、直筆の手紙や文章を数多く残していました。人生に思い悩む若者や懸命に生きる人たちに向けた、樹木さんならではのエールがつづられています。
女優の風吹ジュンさん。数多くのテレビ作品で共演し、樹木さんとプライベートでも深いつきあいがありました。

女優 風吹ジュンさん
「写真見ちゃうと…。大切に読ませていただきます。」

“ひとりひとり違って生まれる。当然、差別がある。いじめはちがいから起きる。わたしも人をいじめたし、いじめられたし。それを亡(な)くそうたってーねえ。はてしのない道のりです。”

これは2年前、樹木さんが「いじめ」をテーマにつづった手紙です。

手紙を受け取った中島啓幸さん。仕事のかたわら、子どものいじめをなくす活動に取り組んでいます。6年前、ファンのイベントをきっかけに樹木さんと知り合い、互いの家を行き来するなど交流を続けてきました。

中島啓幸さん
「(樹木さんは)丸裸の自分を見せていますよね。いじめをしたとはっきり言っていますから。包み隠さず、本当に真実で、うそを言わないで生きている人だ。」

実は中島さん、中学生のころ、激しいいじめを受けた経験がありました。その話をしたところ、樹木さんも芸能界に入り、いじめたことやいじめられたことがあったと明かしました。樹木さんにいじめについてメッセージを書いてほしいと頼んだとき、こう問い返されたといいます。

中島啓幸さん
「本気かというのを必ず問いますからね、希林さんは。」

「そのとき中島さんは?」

「わかりましたよという感じで、挑戦的な目だったと思います。」

中島さんの覚悟を聞いた樹木さん。中島さんの目の前で、がんから来る痛みに耐えながら、3時間かけ手紙を書き上げました。

中島啓幸さん
「一筆一筆、命がけで書いています。体がね、あれだけあちこち痛いのに、それで書くわけですから。」

いじめについて、きれい事ではない、まっすぐな言葉が心に響きました。

中島啓幸さん
「絶対に(いじめは)なくならないけれども、こつこつ続ければ何かしら変化が起きる。そのことを大事にしなさいと。(いじめをなくすのは)長丁場だねと。」

この夏、中島さんは市内の中学校すべてに、樹木さんからのメッセージを配りました。

生徒
「“わたしも人をいじめたし、いじめられたし。それを亡くそうたって。はてしのない道のりです”。」

生徒
「ゴールはあるよって書いているのか、ゴールはない道のりなのか分からないけど、
あえて樹木さんは答えを書かない。」

生徒
「考えさせるために。」

実はこの手紙には、追伸として続きがありました。

“追伸 じゃあさ、皆で同じ形のロボット人間に―それじゃ、つまりませんネェ。”

生徒
「実際、みんながこうやって違うから、この5人が違う意見で話し合えているわけだし。」

生徒
「考え方が違うからこそ生まれる何かもあるから。」

人間は一人一人違う。生徒たちが受け取った樹木さんからのメッセージです。

“ひとりひとり違って生まれる。当然、差別がある。それを亡くそうたってーねぇ。はてしのない道のりです。
じゃあさ、皆で同じ形のロボット人間に―それじゃ、つまりませんネェ。”

“死ぬことは 人の中に生きること”

5年前、がんの全身転移を公表した樹木さん。入退院を繰り返しながら、ゆかりの土地を訪ね、手紙を送っていました。

北海道・比布(ぴっぷ)駅。去年(2017年)の秋、事前の連絡もなく樹木さんが姿を現しました。

比布駅を管理する 亀海聡さん
「本当に突然来られたので、すごいびっくりした。ここに来たのを残したかったみたいで、『写真を撮るよ』と言って。」

ここは、かつて樹木さんが、あるCMの撮影で訪れた場所でした。

“とうとうやって来ました。感動的ですね。なんかおっしゃったら…。”

“ピップ…。聞こえた?”

“なんにも。”

それからおよそ40年。樹木さんは駅舎の建て替えを祝い、手紙をつづっていました。

“比布駅グランドオープン♪めでたいわぁ~♪あれから何十年たったかなあ。わたしはこんなになったけど、駅はこ~んなになったようで。嬉しいような、淋しーいような。マ、いいか。”

樹木さんは、演じた役のモデルとなった女性にも手紙を送っていました。

映画『あん』より
“これ、アルバイト、これ。本当に年齢不問なの?”

3年前に公開された映画「あん」。ハンセン病の元患者と人々の交流を描いています。

“上野正子さん
10月18日、暖かい日でしたネ。驚かせてゴメン―。映画 あん 撮影終了しました。”

手紙を受け取った上野正子さん、91歳です。13歳のときに家族と別れ、ハンセン病の療養所に入所した上野さん。国が隔離政策の誤りを認めた訴訟に原告として参加し、各地で語り部活動も続けてきました。
4年前の10月18日。治療で鹿児島の病院にいた樹木さんが、上野さんを訪ねてきました。上野さんは、手作りのお菓子をふるまおうとしたときの樹木さんの言葉が忘れられないといいます。

上野正子さん
「『こっちの病気だから食べられないのよ』と言うから、『どんな病気でも、みんなこれ食べるのよ』と言ったら、1つ食べてみようと。食べて『おいしいから、みんな持っていく』と。やさしく声をかけてくださる人だとあとで思って、尊敬しています。」

映画の撮影が終わったあと、樹木さんから届いた手紙。いつもそばに置いています。

上野正子さん
「大事です。『お棺に入るまで一緒に生きましょうね』と言っている。長生きしてよかったと思ってます。」

去年のインタビューで、樹木さんはこう語っていました。

樹木希林さん
「私、役者をやるために人間やってるんじゃなくて、人間をやっていくためのなりわいとして、役者の部分で皆さんに出会わせていただいているという感覚だから、皆さんが先生。世の中にいる人間、皆さんが先生。」

なぜ、樹木さんはその晩年に多くの手紙をつづったのでしょうか。30年以上にわたり樹木さんと交流を続け、亡くなったあと、納棺に立ち会った人に会うことができました。美術館の館長・梶川芳友さんです。梶川さんは、樹木さんが亡くなる2か月前まで手紙のやりとりをしていました。差出人は、樹木さんの本名。詳細を明かせないというその手紙には、死と向き合う心境がつづられているといいます。

ここを頻繁に訪れた樹木さんには、必ず立ち寄る部屋がありました。

何必館・京都現代美術館 梶川芳友館長
「そこへ上がられて、よく正座してご覧になっていました。」

若き日の釈迦の姿を描いた絵。樹木さんは長い時間何も言わずにこの絵を見つめていたといいます。

何必館・京都現代美術館 梶川芳友館長
「死ぬということは人の中に生きるということ。そして自分の中に逝った人を生かし続ける、そういうことではないか。そのような話も、樹木さんとはよく何度もしたことがあったと思います。」

樹木希林さん
「もう70歳過ぎたんだから、いろんな形で恩返ししたいなって思うわけね。それはどういうことかっていうと、ほとんど忘れてるんですよ、恩返しなんていうのは。何か才能ある人なのに、生きづらかったり、せっぱ詰まったりしてる人を見たときに、ちょっと何か手助けできたらいいなって、そんな気持ちではいるのね。」

旅立つ若者へ 人生のエール

「いろんな形で恩返ししたい」。樹木さんは2年前、社会に旅立つ若者に向けて手紙をつづっていました。手紙が渡されたのは、長野県の山の中で行われた小さな成人式。闘病中の体を押して駆けつけました。

樹木希林さん
「みなさんの顔を見ていると、だんだん元気になってくる。若いパワーはすごいなと思いました。」

会場は、戦時中、画家になる夢を持ちながら戦争で命を落とした画学生を追悼する美術館。当時のことを若い人たちにも知ってもらいたいと、毎年ここで成人式が開かれています。

樹木さんは、25人の新成人の将来の夢や目標を聞いたうえで、一人一人異なる内容の手紙を手渡しました。

「津山純一さん。」

手紙を受け取った一人、愛知県に住む大学生・津山純一さんです。当時まだ2年生だった津山さんは、事前のアンケートの夢や目標のところには何も書いていませんでした。

“拝啓 じゅんいちさん
将来の目標のとこが空白だった。わたしネ、偶然18才で役者の道に入ったけど、60才過ぎて、やっと将来役者を目ざすかなと定まったのヨ。
自分の中の夢がはっきりしない時―ならば誰かの熱い思いがあるところに関わっていく―それも手だわネ。”

津山さんは、今年(2018年)4年生。就活シーズンを迎えましたが、まだ進路は決まっていません。自分がこれからどう進んでいけばいいのか、改めて手紙を読み返しました。

津山純一さん
「自分の中の夢がはっきりしないなら、という部分は、『とりあえず一歩踏み出せ』みたいな。将来の空白だったところを埋める、埋めようとしながら進んでいこうと思います。」

樹木さんの手紙を支えに、社会に飛び出した若者もいます。長野県に住む澤田大地さん。当時、専門学校で介護福祉士を目指す学生でした。

介護福祉士 澤田大地さん
「自分の部屋の、起きてすぐ見える所に飾ろうと思いました。」

最初は、樹木さんの独特の人生観に戸惑ったといいます。

“拝啓 大地さん
年をとると人間が成熟するとは、大間違い。不自由になった分だけ文句が出るの。自分を見ているとよく解る。
私の独断だけど、手を抜く介護士っての、どうかしら。してあげるんじゃなく、自力でやれるようにしむける…。”

介護福祉士 澤田大地さん
「けっこう文が周りの人には考えられない内容なので、何を考えているのか、何を伝えようとしているのか、わからない文面もあります。」

それから2年。澤田さんは、介護福祉士になる夢を実現しました。

介護福祉士 澤田大地さん
「どうぞ。」

コミュニケーションなど、難しさも感じる日々。そんな中、樹木さんの言葉の意味が、少しだけわかるようになってきたといいます。中でも心の支えにしている言葉があります。
“水ってのは、どんな形の器にも添うのに、雨だれのポツンポツンで岩や鉄にも穴をあけるでしょ。どんな人間にも添えるけど―こりゃムズカシイ。あとは正しく念じて巌を通してネ。とにかく『仕事を面白がる』デス。”

介護福祉士 澤田大地さん
「つらいこともありますし、逃げ出したくなるときもありますけど、利用者さんの笑顔とか、在宅復帰される方とか、頑張っている方を見ると楽しい職場ですし。やっとちょっと伝えたいことがわかってきたかなという感じがします。」

“水ってのは、どんな形の器にも添うのに、雨だれのポツンポツンで岩や鉄にも穴をあけるでしょ。どんな人間にも添えるけど―こりゃムズカシイ。”

秘話 樹木希林さん 直筆の手紙 魂の言葉

武田:樹木さんは、自分に残された時間はそう長くはないと自覚していたといいます。がんと闘いながらも、人生の恩返しに人々を励まし続けたい。そんな最期の思いが、この直筆の手紙から伝わってきます。

鎌倉:ほかにも、直筆の手紙が数多く残されています。2年前、ある商社に求められて記した新年のメッセージには…。

“欲と雪は積るほど道を忘れるっていうじゃないネ。今年も売り手よし、買い手よし、世間よし―で。おめでとうございます。”

樹木さんらしいウィットに富んだエールでした。

さらに、こちら。世界で活躍する、看護師になりたいという夢を持った女性に送った手紙です。

“以前見たカナダの老人ホームの映像、感心したのヨ。広々とした庭、建て物、やたら高額なのに看護師が少いのヨ。ただ、その人その人に合う道具がうまく配置されてるの。
我々は、ほんの少し手を添えるだけ。入所者の自立が育つのを待つ。これ、日本人はむずかしいわネ。無理かな、手出した方が早いものネ。でもそのほうが、ピンピンしててコロリと死ねるのにねェ~。”

武田:最後にご紹介するのは、将来、教師になりたいと希望していた女性に、樹木さんが直接手渡した手紙です。

“拝啓 ゆり乃さん
法華経の薬草諭品第五番にね、太陽も雨も風もわけへだてなく降り注ぐって書いてあるの。だけど木の持つ性質で、うまく育つものもいれば、根腐れする樹もある。陽が当りすぎて枯れるかと思えば、日陰だからきれいに咲く花もある。って、生徒も同じ。それぞれの性質によく耳をかたむけ聞いて、その子が一番輝く場所を共に探す。教育って教えるだけでなく、寄り添い、共に育つことかもしれない。それが面白くなったら、ああ、教師になって幸せーっっっヨ。樹木希林”

武田:樹木さんは「クローズアップ現代」にも一昨年(2016年)の2月に出演していただき、がんを生き切るその覚悟をユーモアを交えて語ってくださいました。安らかにお眠りください。

●2016年2月9日放送「がんを“生ききる”~残された時間 どう選択~」はこちら