先月亡くなった人間国宝の落語家・桂米朝さん(89)。三味線や太鼓のお囃子が入り、笑いを貪欲に追求する上方落語を復活させた「上方落語中興の祖」と呼ばれる。自宅には今まで公開されなかった自筆の資料が膨大に残されている。終戦時、19歳だった米朝さんの日記には、焼け野原の大阪で行われていた文楽の公演を観て、上方文化の底力に「賛嘆」したと書かれ、「東西共存落語を書きぬく」と決意が記されている。昭和22年に桂米團治に入門、戦争の影響や漫才の隆盛によって衰退が激しかった上方落語を、古老を訪ねて聞き取りし復活に取り組んだ。面白い話を聞けば全て記録する“メモ魔”で、伝統の上方落語に時代に応じた新たなネタを加えて、多くのファンを魅了した。登場人物が小心者だったり、欲深かったり、酒好きだったり、、、「“平凡な人間”だけど、みなが助かり、世の中よくなる、という人が“落語国”にはたくさんいる」としていた米朝さん。残された肉声や、未公開のものを含む膨大な自筆資料をもとに、落語を通じて残そうとしたものに迫る。
みんなのコメント