小林秀雄や加藤周一などと並び称され、小澤征爾や中村紘子といった世界的音楽家を育てた評論界の“最後の巨星”吉田秀和さんが98歳で亡くなった。日本に豊かな音楽文化を与えつつ、新鮮な視点で“自分で考えることの大切さ”を発信し続けた吉田さん。ユーモアと優しさあふれる評論の背景にあったのは、実は、戦災体験に根ざした、日本人の「大勢順応主義」への批判精神だった。世間に流されず、自分の感性に忠実であろうとするその姿勢が最も現れたのは83年、熱狂的歓迎のなか来日した大演奏家・ホロヴィッツを“ひびの入った骨董”と一刀両断した“事件”。バブルへ猛進していた日本、持つべき「選択能力」を失っていた時期だった。晩年、特に原発事故に大きな衝撃を受けた吉田さんは、「日本人にはまだ自分で考える力が備わっていなかった」と悔やみ続けたという。吉田さんの足跡とメッセージを、弟子や家族の証言で読み解く。
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